まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:食べて

    1: 名無しさん@涙目です。(茨城県) [US] 2017/11/18(土) 01:43:55.95 ID:mefCzsIJ0● BE:264168779-2BP(2000)
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    ▲カンソク村から眺めたキロク峠。軍人たちは村の後方の山のキロク峠を越えてやってきて住民たちを虐殺し始めた。

    韓国戦争(朝鮮戦争)前後の民間人虐殺に関する企画連載を再び進めます。チョン・チャンデ記者が足で取材した内容です。終戦後60年以上過ぎましたが、つらい記憶は消えません。筆者は左右理念対立の中で行われた多くの虐殺、その惨禍の中で無念の犠牲になった数多くの怨みの霊の魂が文だけででも慰められるよう願います。

    糞尿食べて私は生きた

    斬首を終えた軍人たちは首が切られた死骸に塩を振りかけた。血の色に満ちた現場にも自分の軍服にも白い塩をかけた。誰かは生臭いにおいがしない様にと言い、また他の誰かは霊がひっつかない様にと言った。

    19人を斬首した軍人たちは人々が集められた場所に戻った。引き続き18才から40才まで男女の区別なく住民50人余りを捕縛してクロク峠(訳注:同じ記事の中でキロク峠とも表記されている)方向に引っ張っていった。普通の村と似た風景、カンソク村ももう女子供と老人だけ残った。
    山を越える前、軍人たちはその前の畑に住民たちを一度に押し込んだ。そして集中射撃を加えた。キロク峠の銃声はカンソク村に届いた。わずか数時間で100人余りの人々がこうして命を失った。

    軍人たちはクロク峠を越えて南原(ナムォン)市内にゆうゆうと抜け、この日の住民の被害はそっくり戦果として残った。軍人たちがクロク峠を超えた頃、キム・ジョムドン氏は奇蹟のように気がついた。彼は周囲が静かになると血まみれになった地面をずるずる這って家に戻った。
    引き続き、低い垣根を越えてトイレに身を隠した。肥壺に隠れながら自分が生きているのか死んだのかわからなかった。それほど何を考える余裕もなかった。

    キム氏は糞尿を食べた。なぜそうしたのかは分からない。ただし、つぶれそうに柔らかい糞尿がのどを通る瞬間、生きていることを実感した。

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    ▲カンソク村に住むキム・スヨン氏。彼のお父さんキム・ジョムドン氏は軍人が打ち下ろした日本刀を受けて倒れた。キム・ジョムドン氏はトイレに這って行った後、糞尿を食べて生き残った。

    姉と一緒に父親を探しに行ったキム・スヨン氏は村会館の前でぞっとする現場を目撃してしまう。「庭にも溝にも血がちょろちょろ流れるほど血だらけで、ああ、斬首された人たちは首が完全に真っ二つにならず、首筋がほとんど切られたまま前に家族だけいたよ。後から首を打ったのが根拠になって、それで誰の死体なのかは確認が可能だった。」

    キム氏は「(父は)精神力で持ちこたえた」と言う。彼は「肩はえぐられて白い骨が見えた。肉もえぐられていた」と父の状態にも言及した。それと共に「斬首された人の中で父一人だけ生き残った。本当に運が良かった」とその日を述懐した。

    キム・ジョムドン氏はすでに20年余り前、恨多き世を去った。彼の息子は「後遺症で最後までかなり苦しんだ後亡くなった」と話した。
    (後略)

    ソース:プレシアン(韓国語) 糞尿を食べて私は生きた[韓国戦争、民間人虐殺の記録]全北、南原・任実②
    http://www.pressian.com/news/article.html?no=176328

    引用元: ・【韓国】 「糞尿食べて私は生きていることを実感した」~韓国戦争、民間人虐殺の記録

    【【つぶれそうに柔らかい】 「糞尿食べて私は生きていることを実感した」~韓国戦争、民間人虐殺の記録 】の続きを読む

    1: 【B:86 W:71 H:71 (A cup) 150 cm age:23】 @なまはげ87度 ★@\(^o^)/ 2015/08/03(月) 07:50:26.95 ID:???.net
    http://www.recordchina.co.jp/a115409.html
    2015年8月2日、韓国のインターネット掲示板にこのほど、「日本のレストランでびっくりした所」と題したスレッドが立ち、ネットユーザーも目を丸くしているようだ。

    スレッド主は、日本でビュッフェ形式の焼肉レストランに行き、そのおいしさに“狂ったように”肉を焼いて食べていたとき、ふと隣のテーブルで食事をしていた日本人家族が目に入ったという。
    スレッド主一行は、野菜の皿や肉の皿などを持ってきてみんなで一緒に焼いて食べていたのだが、日本人の4人家族は、互いに分け合うこともなく、各自が持ってきた皿の肉をそれぞれ焼いて食べていた。
    不思議に思ってほかのテーブルも見たところ、カップルなども同じだったといい、その食事風景に驚きを隠せなかったという。

    また、続いて入ったラーメン屋でも、「同じグループでも自分で頼んだものは自分で食べて、他人には勧めない」という、韓国とは異なる日本人の食事文化を目にしたという。
    これについてスレッド主は、日本人と韓国人の違いに気付かされるとともに、「これも悪くない」と感想をつづっている。
    ちなみに韓国では日本に比べ、みんなで分け合って食べたり、男女間では主に男性が肉を焼いたりする場合が多い。

    これを受け、韓国ネットユーザーはさまざまなコメントを寄せている。

    「私も日本でカニ食べ放題に行ったことがあるけど、家族も恋人もみんなそれぞれって感じだったな。鉄板もきっちり半分に分けてたし(笑)」
    「割り勘文化が強いせいか。軽い会食の席で日本人が各自食べたいものを自腹で頼んでたのはさすがに不思議だった」

    「日本人と韓国人は違うから。何が正解とかはない」
    「まあ、見てなって。良いか悪いかは分からないけど、韓国も必ず日本のようになるから。割り勘も結構浸透して来てるでしょ?」(※韓国では年上や男性が支払う傾向が強いが、最近は少しずつ変わってきている)
    「衛生的にも別々に食べた方が良いと思う」

    「悪くはないけど…なんかそっけないね」
    「不思議。合理的ではあるけど、そんなに良いとは思わない」
    「日本人は個人主義が徹底してる割に、国としての集団は全体主義。変なの」

    引用元: ・訪日韓国人「狂ったように肉を食べていたら…」[08/03]

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    1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/06/29(月) 15:01:47.24 ID:???.net
    SBS『よく食べてよく暮らす方法-食事しましたか?』に出演したB1A4のサンドゥルが、
    生肝により寄生虫が発生したことがあると伝えた。

    28日に放送されたSBS『よく食べてよく暮らす方法-食事しましたか?』でB1A4のサンドゥル
    は、「コプチャン(牛の小腸)が好きで、肺が良くなかった」と伝えた。

    B1A4のサンドゥルは好きな食べ物にコプチャンを挙げた。サンドゥルは、「ある健康番組
    に出演して、僕は肺が危険だという診断が下りた」とし、「僕は毎日歌う人で、肺は健康
    だと思っていたので驚いた」と、話を始めた。

    続けて、「それはコプチャンの生肝のせいだった。コプチャンを食べる前に出てくる生肝
    を食べて、肺に寄生虫がいたからだった」と、伝えた。

    これにゴンチャンは、「メンバーたちは生肝をとてもよく食べる。コプチャンが出る前に、
    生肝だけを5回も食べる」として、笑いを誘った。

    ソース:イノライフ 2015/06/28(Sun) 20:00
    http://contents.innolife.net/news/list.php?ac_id=4&ai_id=201211
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    引用元: ・【韓流】B1A4サンドゥル「生肝をたくさん食べて肺に寄生虫が発生した」[06/29]

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    1: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  ) 2015/05/11(月) 11:23:13.48 ID:???.net
    [おいしい食べ物の歴史]キムパプ キム・ジョンミ シナリオ作家 

    まさしく外出の季節がやってきた。 最近は、外食文化の発達で特に弁当を作らない場合が多いが、
    外出すれば弁当、弁当といえばキムパプが最高だった時代があった。特に70、80年代、学校の遠足
    の代表料理だったキムパプは、母親の味を互いに自慢できる機会でもあった。色とりどり各家庭ごとに
    異なる具材を詰めたキムパプを食べる昼食の時間こそ遠足のハイライトだった。

    このように、キムパプは日常的な食べ物ではなく、特別な時にだけ食べられるものだったために、
    それ自体がイベント的な特性が強かった。

    しかし、特別家庭式だったキムパプは、1990年代末、キムパプ専門店が雨後の竹の子のように現れ、
    軽く一食を済ませる食べ物の代名詞にイメージを変貌させた。最近の調査によるとキムパプは、長い
    間、不動の1位であったキムチチゲを抜いて、会社員の昼食メニュー1位を占めるほど、日常的な
    食べ物になった。それは恐らくキムパプが持った簡便性が、早く帰る現代社会の属性と一致したため
    ではないだろうか。

    もはや、韓国の人々に特別ではない簡単料理の代名詞となっていったキムパプを私たちはいつから
    食べてきたのだろうか。

    今日、私たちが食べる形のキムパプ、つまり塩と胡麻油で味付けした香ばしい塩気のあるご飯に、
    卵、沢庵、ほうれん草のナムルを基本として様々な他の具材を詰め巻いたキムパプは、1950年代
    以降から完成されたものと推定している。それなら、それ以前にはキムパプを食べていないのだろうか。

    キムパプの由来についての主張は、大きく二つに分けられる。我が国の固有の福裏文化から発展した
    という主張と日本のキムパプに由来したという主張だ。

    福裏は、小正月に福を包んで食べるという意味で、海苔や菜にご飯を包んで食べた風俗だ。
    19世紀半ばに出てきた「東国歳時記」によると私たちの民族は古来から小正月には、白菜の葉と
    海苔でご飯を包んで食べたという。

    キムパプの主材料である海苔は、朝鮮初期の頃、世宗時代に作られた「慶尚道地理史」に海苔が
    慶尚道の土産品という記録が出て、15世紀の成宗時代に編纂された「東国輿地勝覧」では全羅
    南道光陽郡太仁島の土産品として記録されているので、この時期からすでに海苔養殖が行われた
    ものとみられる。

    ただ、残っている朝鮮時代の食べ物レシピで、海苔は包むよりはナムルのようにあえて食べる場合が
    多かった。 このことから、福裏は、小正月の特別食ではないかという。

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    ▲キムパプ/朝鮮日報DB

    キムパプの日本由来説は日本の太巻きに由来するという主張だ。

    「太巻き」という言葉そのまま大きく包むという意味だが、酢と砂糖で味付けした寿司に様々な膾の
    材料を入れて厚く巻くのだ。この太巻きは19世紀後半、東京賭博場で有閑知識人が賭博をしな
    がら簡単につまんで食べるための食事を寿司屋に頼んで作られたものだという。

    太巻きは、具材をご飯の中に入れて海苔で巻いという点で、キムパプと類似するが、ご飯を寿司に
    するという点と具材に主に刺身を利用するという点で、キムパプとはまた違う味を出す食べ物だ。

    このことから、今日、私たちが食べるキムパプは韓国固有のサムの伝統に日本の巻き寿司の形が
    溶け込み作られた新たな食べ物と言えるだろう。(>>2以降に)

    ソース ChosunBiz.com ※機械翻訳
    http://biz.chosun.com/site/data/html_dir/2015/05/06/2015050601169.html
    http://image.chosun.com/sitedata/image/201505/06/2015050601080_0.jpg

    引用元: ・【韓国】 キムパプ(韓国風のりまき)の歴史 私たちはいつから食べてきたのだろうか?[05/11]

    【日帝残滓なので、食べないほうがいいよ?www【韓国】 キムパプ(韓国風のりまき)の歴史 私たちはいつから食べてきたのだろうか?[05/11]】の続きを読む

    1: 白井黒子◆KuRokoMU3c 2015/03/26(木)22:00:22 ID:???
    <社会> 散策路で意識失った男女発見..1人死亡

    忠南保寧市の散策路で50代の男女が意識を失って発見された。
    忠南保寧警察署は昨日夕方7時50分頃、保寧市大川洞大泉川近くの散策路で、イムさん(58)とキムさん(59)が意識を失って倒れて、発見されたと明らかにした。
    二人は病院に運ばれたが、イムさんは死亡、キムさんも意識が戻っていない。

    innolife.net
    http://contents.innolife.net/news/list.php?ac_id=18&ai_id=196984
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    保寧で「ふぐ」をおつまみにお酒飲んでいた2人が死亡

    忠南保寧で「ふぐ」をおつまみにお酒を飲んでいた男女2人が死亡した。

    26日、警察と忠清南道消防本部などによると、前日の午後7時47分頃、保寧大泉洞大泉川辺の遊歩道芝生の上でキム某(59)氏とイム(58・女)氏が意識を失ったまま倒れているのを119救急隊員が発見した。

    当時イムさんは死亡していた、金さんは呼吸はあるが意識はない状態だったと伝えられた。

    キムさんが119に「体が麻痺している」と直接申告をしたことが分かった。

    キム氏は、近くの病院に運ばれ治療を受けたが、この日の午前に死亡した。

    警察関係者は「現場周辺で焼酎と一緒にふぐとふぐの卵を食べた跡が発見された」と述べた。

    警察は、遺族などを相手に正確な経緯を調査する一方、国立科学捜査研究院に解剖を依頼する方針だ。

    デイリー韓国(韓国語)
    http://daily.hankooki.com/lpage/society/201503/dh20150326003205137890.htm

    引用元: ・【韓国】「ふぐ」食べて散策路で意識失った男女、結局死亡(保寧)[03/26]

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