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韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:韓国併合

    1: ハニィみるく(17歳) ★ 2018/09/04(火) 14:06:35.68 ID:CAP_USER
    (写真)
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    ▲ ナ・チェフン(三国志リーダーシップ研究所所長/歴史小説家)
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    我々と日本の総理、安倍一家との悪縁は深く、いつまで続くのか気になる。1910年の庚戌国恥(韓国併合)から始まって36年の終止符を打った1945年、日本の降伏当時の最後の朝鮮総督は阿部信行(現日本総理、安倍の祖父)だった。

    そして1960年、韓半島(朝鮮半島)を中心とする周辺国の侵略を目的に集団的自衛権関連の憲法改正を推進した岸信介(安倍総理の外祖父)総理(当時)の魂胆は、軍国主義への回帰だった。

    1990年代の初めに日本軍『慰安婦』問題が表面化して、彼らの総合月刊誌である『文藝春秋』がこの問題を特別対談記事で嫌韓談論が本格化するが、安倍家は一定の役割をしたと見ることができる。 2013年の総理就任以降、安倍は日帝強占期当時に日本が犯したあらゆる悪事、日本軍慰安婦はもちろん強制的徴用、数多くの人権抹殺事例を否認したり歪曲する事の先頭に立っている。その上既存の村山総理などが発表した謝罪談話まで否定的に貶したり、歪曲解釈している。また何かにつけて独島を自国の領土と主張したり防衛白書、加えて教科書改訂まで躊躇なく主張する。

    今年に入って北朝鮮が対話路線に転換したが、北朝鮮を自分らの再武装のテコに(手段と)する慣性は相変わらずである。私学スキャンダル(モリカケ問題)や憲法改正などで支持率が急落する度、北朝鮮の脅威(核・ミサイル)を誇張して苦境から脱する事を躊躇わない。少し前までミサイル避難訓練を実施して、太平洋戦争当時を彷彿とさせる警報システムを稼動して、恐怖心を刺激する事で目的を達するだけでなく、嫌韓感情を積極的に活用する事に安倍は躊躇しないという事実である。特に、嫌韓を煽り立てて巧みに活用する問題は非常に深刻である。嫌韓は韓国、あるいは韓国人に対する嫌悪発言を意味するが、日本の極右勢力、安倍を含む政治・社会・文化界の国粋主義者が、歪曲した民族主義と愛国心を高める為に使っているという点である。

    憎悪犯罪研究者のレビンは、『憎悪のピラミッド5段階』を次のように説明している。第1段階は偏見、第2段階は偏見による行動、第3段階は差別行為、第4段階は暴力行為、第5段階は人種虐殺(ジェノサイド)である。

    嫌韓を躊躇しない日本の態度を見れば、5段階理論を受け入れる事ができる 彼らは日帝強占期の36年をあたかも正当な事で、安倍は公然と殖民統治を通じて韓半島の近代化を助けたと強調する。偏見にしても、このような偏見はありえないレベルだ。そして現在行っている行動の基礎も同じだ。偏見による行為だ。在日韓国人を始め、南北韓(南北朝鮮)に対する安倍の差別行為は、数えきれないほど経験している。すでに1~3段階も明らかである。集団的自衛権云々だが、これは韓半島を紛争地域化しようとする意図だ。

    安倍の祖父や外祖父の時代、彼らは東アジア平和議論の旗印を掲げたが、結局は軍国主義の爪を隠すベールに過ぎず、安倍もその延長線上にいることは決して否めない。彼は陸上配置型迎撃ミサイルシステムのような先端武器導入のため、存在しない脅威まで作り出していないか。

    安倍と日本の極右勢力のこのような行為を軽く見たり、嫌韓発言などを一時的な現象で片付けて放置してはいけない。いつ彼の祖父や外祖父がした事のように変わるかも知らない。いや、安倍は嫌韓の確信がある。そうではなければ過去の歴史について、このように韓国と韓国人を見下し侮辱して、攻撃する事はできない事だ。

    嫌韓は突発的な現象ではなく、かなり前から訓練されて養成されたものである。したがって我々は嫌韓を構成する成分を一つ一つ解体しなければばならない。そして歴史的、文化的脈絡を超えて作動している嫌韓の構造的問題も同時に考察しなければならない。

    長期執権を目前にした安倍総理の動きと発言を、綿密に察しなければならない理由だ。一方で我々自ら内部的に国民全員の一致した協力と和合を成さなければならない。庚戌国恥を終了させた1945年、光復と解放の喜びを改めて楽しみ、記念する事も重要である。その意味をじっくりと考え、今、日本が再雄飛という国家的課題を置き示す安倍の姿に対し、警戒心を持たなければならないだろう。

    ソース:畿湖日報(韓国語)
    http://www.kihoilbo.co.kr/?mod=news&act=articleView&idxno=767034

    引用元: ・【韓国】庚戌国恥(韓国併合)、嫌韓、そしてアベ[09/04]

    【第一文から嘘とか【韓国】庚戌国恥(韓国併合)、嫌韓、そしてアベ[09/04] 】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/05/14(日) 01:25:38.04 ID:CAP_USER
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    ◇終わらない歴史/イ・テジン著/424ページ・3万ウォン

    20年余り、日本の韓国強制併合の不法性を研究してきた著者(ソウル大名誉教授)が植民支配清算のために知っておくべき点とすべき事に対する考察を集めた本である。

    20世紀、韓国人を桎梏に追い込んだ植民地化はでたらめ条約で行われた。1905年、乙巳保護条約は国権移管に関する条約で元帥が発行する批准書が伴わなければならないが、外部大臣職印だけ押されただけで批准書がない。

    1910年「韓国併合条約」は条約文の材質だけでなく韓国語と日本語で書いた書き方が全く同じだ。日本側が韓国が揃えるべき文書を一方的に準備したためだ。この様なケースは世界の条約の歴史上類例がない。また、純宗皇帝は併合を国民に知らせる公布勅諭に署名しないことによって批准を拒否した。しかし、日本の新聞は韓国皇帝が進んで国を渡すことにしたと歪曲報道した。

    著者は日本の近代韓国侵略の思想的起源に吉田松陰の膨張主義を挙げる。吉田松陰は明治維新の主導勢力を育てた人物で「幽囚録」で日本が西洋列強に先立ち隣国を先行獲得しなければなければならないと主張した。本は幽囚録の内容を詳しく紹介する。当代日本にも平和的海洋国家への発展を日本の未来に提示した勝海舟の様な人物がいたが、彼は膨張主義勢力に押し出される。

    著者は高宗(コジョン)が主権守護のための努力を止めなかったので毒殺されたと見る。著者は「寺内総理大臣は「李大王(高宗(コジョン))に1905年11月の保護条約を追認する文書を要求し、これを拒否すれば毒殺せよ」という密命を朝鮮総督・長谷川に下した」として「1919年1月19日、高宗はこれを断わり、二日後の21日、膨らんだ死体で発見された」と話した。

    著者は相変らず私たちの歴史認識に誤った点が少なくないと指摘した。日本は韓半島支配の名分をたてようと明成(ミョンソン)皇后を権力欲に燃える女性に、高宗を柔弱で無能な君主に歪曲した。著者は「日本は最近、帝国膨張の根源である吉田松陰の思想を美化して追尊している反面、韓国は100年前の歴史を失敗した歴史と見なして君主に亡国の責任を負わせている」と話した。

    チョ・ジョンヨプ記者

    ソース:東亜日報(韓国語) [本の香り]「韓国併合条約、日本がでたらめ文書で押し通して」
    http://news.donga.com/Main/3/all/20170513/84338537/1

    引用元: ・【書籍】 韓国併合条約は日本がでたらめな文書で押し通した~イ・テジン著「終わらない歴史」[05/13] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【腰抜けばかりなんだな】東亜日報(韓国語) 「韓国併合条約、日本がでたらめ文書で押し通して」】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/01/29(日) 14:22:07.88 ID:CAP_USER
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    ▲李泰鎮教授/写真=李泰景(イ・テギョン)記者

     「四半世紀にわたって取り組んできた、日本による韓国併合の違法性に関する研究を仕上げることになって、すっきりした。朝鮮が無力だったので植民地になったという認識が一般的だった中、日本による韓国併合は世界史的にあまり例のない強制と欺瞞(ぎまん)によるものだったということを明らかにして、国際学界の共感を得たことにやりがいを感じる」

     20世紀初めの日本による朝鮮侵略の過程に見られる歴史的・国際法的問題点を実証的に研究し、これを日本・欧米の学界に伝えることに尽力してきた李泰鎮(イ・テジン)ソウル大学国史学科名誉教授が、これまでの研究成果をまとめた著書『日本の韓国併合強制研究:条約強制と抵抗の歴史』(知識産業社)を出版した。

     朝鮮王朝時代を主に研究してきた李泰鎮教授が大韓帝国に関心を持つようになったのは、1992年にソウル大学奎章閣に所蔵されていた大韓帝国の詔勅・勅令・法律などおよそ60点の中に、純宗皇帝の署名が偽造されたものを見つけてからだった。統監府の日本人官僚が書き込んだものだった。「『保護条約』(第2次日韓協約。乙巳〈いっし〉条約)など韓国の主権を奪った諸条約にも問題があるのではないか」と考えた李教授は、条約の原本を確認した。その結果、皇帝が条約を承認した批准書がなく、条約の名称も書かれていなかった。条約の韓国語本すら、日本側が作ったものであることが判明した。

     そのころ、ソウル大学のキム・ギソク教授が米国カリフォルニア大学で、高宗が米国人宣教師ホーマー・ホルバートに与えた信任状と修好7カ国の元首に送った親書を確認した。高宗は親書に「保護条約は日本が強制したものであって、自分は承認しなかった」と記していた。李教授は、自著の論文やほかの研究者の論文を集めて『日本の大韓帝国強占:〈保護条約〉から〈併合条約〉まで』(図書出版カチ、1995年)を出版した。

     その後、研究は二手に分かれて進んだ。一つは「日韓議定書」(1904年2月)、「第1次日韓協約」(04年8月)、「第2次日韓協約」(保護条約。05年11月)、「日韓新協約」(第3次日韓協約・丁未七条約。07年7月)、「併合条約」(10年8月)など、日本が朝鮮の国権を段階的に奪っていった諸条約の違法性を明らかにすることだった。李教授は「条約締結の過程は、全権大臣の任命や皇帝による批准の手続きを飛び越え、実務者間の『覚書』(メモランダム)を政府間の『協約』(アグリーメント)にすり替えるなど、欺瞞でつづり合わせてあった」と語った。

     もう一つは、条約締結が日本軍の軍事力に依存していた点を明らかにすることだった。95年の村山談話以降、日本側は関連資料の公開を進め、2001年にアジア歴史資料センターを設置したことが大いに役立った。特に、陸軍省が日露戦争当時の日本軍の資料をまとめて編さんした『陸軍政史』を入手したことが決定的だった。この資料集には韓国駐在軍司令官・長谷川好道の報告書が載っており、同報告書で長谷川は、保護条約締結当時、日本軍の騎兵連隊や砲兵大隊までも漢陽城内に投入して完全掌握し、朝鮮強占の「第一の功労者」は自分だと主張していた。また、これまでは併合の際に日本の官僚が中心的役割を果たしたといわれていたが、実際には陸軍省が主導していたことが明らかになった。

     朝鮮併合に消極的だった伊藤博文が、1909年6月に韓国統監を辞めて併合賛成に転じた過程も明らかになった。高宗が強制的に退位させられ、軍隊が解散し、義兵抗争が激化したことを受け、伊藤は1909年初めに純宗と共に韓国各地を回って民心をなだめる計画を立てた。しかし大邱-釜山-馬山を鉄道で回る南巡、平壌-義州-開城を訪れる西巡の際、行く先々で数万もの人々が集まると、純宗は人々に対して愛国と新文物の受容を訴えた。李教授は「君民が一つになった抵抗心を確認した伊藤は、侵略戦争の主導権を軍部に渡すことを決心した」と語った。
    >>2-5あたりに続く

    李先敏(イ・ソンミン)記者

    ソース:朝鮮日報/朝鮮日報日本語版<「世界史に類を見ない強制と欺瞞、韓国併合は国際法上無効」>
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/27/2017012700578.html

    前スレ:http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1485656596/
    ★1の立った時間:2017/01/29(日) 11:23:16.59

    引用元: ・【日韓】 「世界史に類を見ない強制と欺瞞、韓国併合は国際法上無効」~韓国併合の違法性、李泰鎮教授が研究総仕上げ★2[01/29] [無断転載禁止]©2ch.net

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