まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:豊臣秀吉

    1: まぜるな!キケン!! 2020/09/21(月) 22:01:37.63 ID:CAP_USER
    スガ・ヨシヒデ(菅義偉)日本総理は本来、豊臣秀長(1540~91)を慕っていた。昨年9月、日本隔週刊誌プレジデントに「人の器を育てる本」という主題で書いた寄稿文で愛読書3冊中の一つとして堺屋太一の「豊臣秀長-ある補佐役の生涯」を吉川英治の小説「三国志」等と共に推薦した。

    壬辰倭乱一年前に亡くなった秀長は韓半島と悪縁がある豊臣秀吉(1537~98)と父が異なる同腹の弟とされる。兄が大業だけに没頭できるようにそばで助けた豊臣政権樹立の一番の貢献者だ。スガ総理は秀長に対して「農家に生まれて何もないところから始めた秀吉が、どのように大成功したのかというのが元々の関心だった。秀吉が世の中に出てきた後にはやはりこういう確実な支え(秀長)がいた点を理解するようになった」と書いた。

    ところがスガ総理の目標が変わった。人生の目標を豊臣秀吉に変えたのだ。10日、地方の自民党党員とのオンライン会議で「豊臣秀長になりたいと思っていたが、今は秀吉を目標にしている」と明らかにした。豊臣秀吉は主君だった織田信長(1534~82)、徳川家康(1542~1616)とともに日本戦国時代の天下人と呼ばれる。

    農民出身で様々な懸案の問題点を改革する姿勢を貫いて手腕を発揮し主君・織田信長後に日本を手に入れた。豊臣秀吉はいわゆる世襲後継者ではなく、自分の力で一家を成して権力をにぎったところにスガ総理は本人との共通点を探すようだ。

    それなら豊臣秀吉はそれほど尊敬される様な人物だろうか。ポルトガルのカトリック イエズス会宣教師として日本にいたルイス・フロイスが書いた「日本史」で豊臣秀吉に対して「彼は自身の権力、英知、財産が増えながら、それに(彼に)比較できないほど多くの悪行といやがらせをした。家臣だけでなく外部の人にも極度に傲慢で嫌われる人でそれに対して憎しみを抱かなかった人がいないほどであった」と書いた。

    豊臣秀吉は特に壬辰倭乱を通じて韓半島とは悪縁を結んだ。明を征服するために道を借りるという征明仮道の妄想の下、朝鮮、中国、日本の民衆を戦禍に巻き込んだ。300年後、豊臣秀吉から教訓を得られなかったその末裔はアジア民衆を再び侵略と戦争の陥穽へと強く背中を押して原子爆弾2発を受けて狂乱を止めた。

    歴史は繰り返されるのか。安倍晋三前日本総理は退任後三日で軍国主義の聖地であり太平洋戦争A級戦犯が合祀された靖国神社を参拝した。アジアの隣国との関係を考える責任ある政治家ならばできない蛮行だ。

    スガ内閣が日本右翼の求心点である日本会議など右翼3団体と靖国神社を参拝するいわゆるヤスクニ派で構成されている点も将来を不安にする。スガ総理とアベ前総理はアベ政権時期から過去の問題に対する内閣の統一された認識を重視した。過去の日本帝国主義の強制支配と侵略を否認する歴史修正主義者なのかどうかが閣僚選抜の重要な基準だった。

    スガ総理が目標にするにしては豊臣秀吉の末路は不幸だった。本人は天授を享受したのか分からないが、56才で得た息子は父親の悪業の報いで22才の時、根拠地の大阪城で徳川軍に包囲され自主的に悲惨な最後をむかえた。

    スガ総理は豊臣秀吉でなく徳川家康を目標にした方が良いだろう。徳川家康は豊臣秀吉の侵略で断絶した朝日国交を回復した。朝日間の平和は豊臣秀吉の末裔、征韓論者が日本政治の主役になる前まで続いた。歴代徳川政権が300年近い朝鮮との平和の中に国内経済と文化を発展させ、民生を安定させることができた点はスガ政権だけでなく今後の日本の各政権にも示唆するところが大きい。

    キム・チ ンジュン東京特派員
    no title


    ソース:世界日報(韓国語)[特派員リポート]豊臣秀吉なるというスガ
    http://m.segye.com/view/20200920514706

    【韓国報道】安倍前首相の「靖国参拝」に込められた意味は? 韓国は異例の反応 中国は反応無し [09/21] [新種のホケモン★]
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1600662406/

    引用元: ・【日本首相】 豊臣秀吉になるというスガ、韓国との未来で不安要素に~徳川家康を目標にした方が良い[09/21] [蚯蚓φ★]

    【こっち見んなストーカー 【日本首相】 豊臣秀吉になるというスガ、韓国との未来で不安要素に~徳川家康を目標にした方が良い[09/21] [蚯蚓φ★]】の続きを読む

    1: まぜるな!キケン!! 2019/07/24(水) 22:37:12.58 ID:CAP_USER
    韓国の文在寅大統領が24日、昼食会のため訪れた南部釜山の食堂の名前が、
    豊臣秀吉による16世紀末の朝鮮出兵に抵抗した英雄、李舜臣将軍が作った船にちなんでいた。

    地元では有名な食堂といい、悪化する日韓関係とは無関係だが、大統領府高官が公表すると韓国メディアが一斉に報じた。

    高官によると、文氏が地方自治体の首長らとの昼食会で訪れたのは「亀甲船刺し身屋」。
    文氏は食堂で「(日本への対決姿勢との)誤解がないよう願う」と語る一方
    「日本の経済報復問題には堂々と対応し、特に外交的に解決しなければならない」と力説したという。
    https://this.kiji.is/526708881617470561?c=39546741839462401

    引用元: ・【韓国】 文大統領、豊臣秀吉に抵抗の英雄ゆかりの食堂へ

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    1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2014/12/09(火) 12:42:46.08 ID:???.net
    「日本人の関野博士が旧度支部(大韓帝国政府の財務担当官庁)の秘密倉庫を開き、その中に保管されていた豊臣秀吉の円形黄金軍扇の
    1つを日本の皇室に持っていった」。

    1909年9月23日付、皇城新聞の記事内容だ。問題の黄金の扇子は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に参戦した倭将・亀井茲矩が豊臣秀吉
    から授かったもので、1592年唐浦海戦の時に忠武公・李舜臣将軍が倭軍から奪取したのだ。忠武公はこれをほかの戦利品と共に先祖に捧げ、
    その後この黄金扇子は朝鮮王室の度支部の秘密倉庫の奥深くに保管されていたという。これを日本の有名建築家・関野貞が倉庫から発見して
    日本の皇室に送ったということだ。

    中央日報は皇城新聞の記事に基づいて黄金扇子の保存の有無について日本の宮内庁に電子メールで問い合わせた。皇室側は最初「存在の
    有無を確認することはできない」と回答してきた。これに対し「確認できないということは、あるという意味か」と再び質問すると「担当者が問題の
    黄金の扇子を探せないと話している」と回答してきた。黄金扇子が行方不明になったのだ。

    これに関連して、「文化財を取り戻す運動」代表のへムン僧侶は8日「壬辰倭乱当時に李舜臣将軍が手に入れた黄金扇子はその象徴性だけで
    なく、韓国民族の魂が込もった大変な文化財」として「当時の戦利品は戦勝国が持つことになっていたし、その上朝鮮の地で得た黄金扇子である
    だけに、その所有権は当然韓国にある」と主張した。それと共に「返還の有無を別にして、李舜臣将軍が手に入れた黄金扇子が果たして日本の
    皇室に存在しているのかを確認するのが韓国政府の第一次的な義務」と話した。

    李舜臣将軍と正面対決した亀井茲矩は唐浦海戦で豊臣秀吉の黄金扇子を失っただけではなかった。壬辰倭乱の渦中に朝鮮王朝の宝物を多数
    略奪して行ったと伝えられている。彼が持っていったものは「朝鮮王陣旗」「朝鮮王陣羽織」などで、現在鳥取県立博物館に保管されているという
    事実が今回の取材を通じて確認された。この旗と織物は、亀井一族で建てた鳥取県の譲伝寺に保管されていたもので、寺の記録には「亀井茲矩
    が『文録の役(壬辰倭乱)』の時に朝鮮に行って捕獲した物」と記載されている。これらの物は普段は展示されず所蔵庫に保管されており、護伝寺
    側の許諾を受けなければ観覧できない。

    護伝寺の書面許諾を得た後、9月に鳥取県立博物館を訪問して王陣旗などの観覧を要請した。博物館側は所蔵庫に保管中だった王陣旗と王陣
    羽織を取り出して見せてくれた。長さ2.27メートル、幅1.16メートルの王陣旗は上部が若干すり切れていただけで、比較的良好な状態であった。
    横・縦1.4メートルの王陣羽織も孔雀模様が鮮やかだった。

    亀井茲矩は豊臣秀吉の全幅の信頼を受けた大将だった。戦国時代に盟主・毛利一族と戦った豊臣側について功績を立てたが、報償をまともに
    受けとることができなかった。これを申し訳ないと思った豊臣秀吉が、ほかの領地を与えると提案したが「琉球(沖縄のかつての名前)を占領して、
    その土地の領主になる」といって遠慮した。豊臣秀吉はこれに感動して亀井茲矩に黄金扇子を授けて「琉球の領主に与える」という文を直筆で
    書いた。李舜臣が唐浦海戦で手に入れたのが、まさにこの扇子だ。

    ソース:中央日報 2014年12月09日09時56分
    http://japanese.joins.com/article/734/193734.html?servcode=400&sectcode=400
    豊臣秀吉のもう1つの黄金の扇子…日本の大阪城に展示されている豊臣秀吉の黄金(金箔)の扇子。朝鮮・日本・明国の地図が描かれている。
    李舜臣(イ・スンシン)将軍が手にしたのとほぼ同時期に作られた。
    http://japanese.joins.com/upload/images/2014/12/20141209095616-1.jpg

    【頭おかしすぎるだろ 【中央日報】李舜臣将軍が手にした「豊臣秀吉の黄金扇子」はどこに?[12/09]】の続きを読む

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