1: ねこ名無し ★@\(^o^)/ 2016/03/15(火) 20:40:31.76 ID:CAP_USER.net
催涙弾で死亡、海に捨てられたキム・ジュヨルさん
遺体が浮上し4・19革命の発端に
遺体積んだジープを運転した76歳男性、墓前でひざまずく
「ごめんなさい、ごめんなさい」
今月13日午後、慶尚南道昌原市馬山会原区の「国立3・15民主墓地」にある故キム・ジュヨルさんの墓の前で、白髪のキム・ドクモさん(76)がひざまずいて謝罪した。
ドクモさんは、李承晩(イ・スンマン)政権が1960年に行った3・15不正選挙に抗議していて、催涙弾を浴び死亡したジュヨルさん(当時18歳)の遺体を、警察が馬山市(当時、以下同じ)の近海に捨てる際、遺体を積んだ車を運転した。
当時20歳だったドクモさんは、馬山市内の実業家が所有するジープの運転手だった。ジープがまだ珍しかったため、警察がたびたびジープを借りていたという。
ジュヨルさんが死亡した翌日の3月16日未明にも、警察から連絡を受け、馬山税務署の前に向かった。ドクモさんは「カラタチの垣根の横のどぶに、催涙弾が目に刺さった状態の死体があった。とても驚いたが、感情を表に出すことはできなかった」と振り返った。
ドクモさんによると、当時、警察官3人と民間人1人がジュヨルさんの遺体をジープの後部座席に乗せたという。ドクモさんは指示に従い、工事中だった馬山港第1埠頭(ふとう)=現・カゴパ菊祭り会場=に向かった。
警察官たちは埠頭の工事現場にあった大きな石をジュヨルさんの遺体の胸の上に載せ、針金でぐるぐる巻きにして固定して、海に投げ込んだという。
20日余りたった4月11日、ジュヨルさんの遺体が浮上したことが、4・19革命(1960年4月19日、不正選挙に端を発したデモにより、当時の李承晩大統領が下野した事件。4月革命)の起爆剤になった。
ドクモさんはその後、警察の事情聴取を受けたが、処罰を受けることはなかった。ドクモさんは「どんなことをしても、償いにはならないかもしれないが、キム・ジュヨルさんが天国で幸せに過ごすよう祈っていく」と話した。
昌原=朴柱栄(パク・チュヨン)記者
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/03/15/2016031501112.html
遺体が浮上し4・19革命の発端に
遺体積んだジープを運転した76歳男性、墓前でひざまずく
「ごめんなさい、ごめんなさい」
今月13日午後、慶尚南道昌原市馬山会原区の「国立3・15民主墓地」にある故キム・ジュヨルさんの墓の前で、白髪のキム・ドクモさん(76)がひざまずいて謝罪した。
ドクモさんは、李承晩(イ・スンマン)政権が1960年に行った3・15不正選挙に抗議していて、催涙弾を浴び死亡したジュヨルさん(当時18歳)の遺体を、警察が馬山市(当時、以下同じ)の近海に捨てる際、遺体を積んだ車を運転した。
当時20歳だったドクモさんは、馬山市内の実業家が所有するジープの運転手だった。ジープがまだ珍しかったため、警察がたびたびジープを借りていたという。
ジュヨルさんが死亡した翌日の3月16日未明にも、警察から連絡を受け、馬山税務署の前に向かった。ドクモさんは「カラタチの垣根の横のどぶに、催涙弾が目に刺さった状態の死体があった。とても驚いたが、感情を表に出すことはできなかった」と振り返った。
ドクモさんによると、当時、警察官3人と民間人1人がジュヨルさんの遺体をジープの後部座席に乗せたという。ドクモさんは指示に従い、工事中だった馬山港第1埠頭(ふとう)=現・カゴパ菊祭り会場=に向かった。
警察官たちは埠頭の工事現場にあった大きな石をジュヨルさんの遺体の胸の上に載せ、針金でぐるぐる巻きにして固定して、海に投げ込んだという。
20日余りたった4月11日、ジュヨルさんの遺体が浮上したことが、4・19革命(1960年4月19日、不正選挙に端を発したデモにより、当時の李承晩大統領が下野した事件。4月革命)の起爆剤になった。
ドクモさんはその後、警察の事情聴取を受けたが、処罰を受けることはなかった。ドクモさんは「どんなことをしても、償いにはならないかもしれないが、キム・ジュヨルさんが天国で幸せに過ごすよう祈っていく」と話した。
昌原=朴柱栄(パク・チュヨン)記者
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/03/15/2016031501112.html
引用元: ・【韓国】警察官とともにデモ参加者の死体を海に遺棄、76歳男性が56年ぶり謝罪[3/15]
【警察や警察官は謝らないのか【韓国】警察官とともにデモ参加者の死体を海に遺棄、76歳男性が56年ぶり謝罪[3/15]】の続きを読む