1: HONEY MILKφ ★@\(^o^)/ 2015/04/01(水) 10:18:23.65 ID:???.net
(写真)

セウォル号惨事から197日目の昨年10月29日の夕方、295人目の犠牲者である檀園(タンウォン)高校の
ファン・ジヒョンさん(女)の遺体が収拾された。その12日後の209日目になる11月11日の午前、政府は
行方不明者9人を残したままセウォル号の捜索中断を宣言した。
淡々と時は流れ、惨事から惨事からあと15日で1年となる4月1日、350日目となる今も相変らず9人は
愛する家族たちの元には帰る事ができない。
行方不明者が最も多い檀園高校の生徒および教師は計6人である。2年1組のチョ・ウンハさん(女)と
2組のホ・ダユンさん(女)、6組の6班のナム・ヒョンチョル君とパク・ヨンイン君、最後まで生徒のそばを
離れなかった学校生活部長のヤン・スンジンさん、体育教師のコ・チャンソクさんだ。
新たな人生の大きな夢を抱いてセウォル号に乗って済州島(チェジュド)に引越し中、惨事に遭った
クォン・ジェグンさんとクォンさんの6歳の息子のヒョクギュ君は親子の行方不明者となった。一般人
乗客のイ・ヨンスクさん(女)もまだ冷たい海の中に閉じ込められている。
チョ・ウンハさん(女)の机には誰かが書いた、「あなた本当にずっと欠席するつもりなの?お願い
ウンハさん」というメッセージが書かれていた。 チョさんは、「船が45度傾いている」という最後のメール
を家族に残して消息が途絶えた。
ホ・ダユンさん(女)は修学旅行に行く数日前に家族写真を撮影した。事故が起きた当日に家族写真
が家に到着した。写真の中のホさんは明るく笑っていた。
音楽が好きだったナム・ヒョンチョル君。『サランハヌン・クデヨ(愛する君よ)』の歌詞を書いたりした。
ヒンチョル君の遺品であるギターはペンモク港で数ヶ月間オーナーを待っていたが、結局オーナー
には再会できなかった。
パク・ヨンイン君は惨事の翌日に死体が収拾されたと伝えられたが、その後別の生徒の死体と確認
されて家族を2度悲しませた。
学校の裏山にりんごの木を植えたというヤン・スンジン先生は、生徒たちにお菓子を買って食べなさい
とお金を渡して笑った最後の姿が監視カメラの映像に残った。
ハリネズミのヘアスタイルで生徒たちから『トチ・セム』と呼ばれたコ・チャンソク先生は、水泳が得意
な体育教師だったが最後の瞬間まで生徒とともにした。
家族4人でセウォル号に乗っていたクォン・ジェグンさんは、かろうじて救助された娘のジヨンさんが
好きだった肩ぐるまをもう乗せてあげられない。2歳下の妹チヨンさんに自分が着ていた救命胴衣を
脱いで渡したという兄のヒョクギュ君も、海の中に閉じ込められた。ベトナム出身の母親ハン・ユンジ
さんは、事故から1週間後の4月23日に発見された。
クォンさんの兄のオボクさん(60歳)は、政府の捜索中断の決定以降大部分の遺族は安山(アンサン)
に戻ったが、1人ペンモク港を去る事ができない。
イ・ヨンスクさん(女)は、済州に住みたいという息子と一緒に住むための家を得て、荷物を運ぶ途中
だった。 息子は、「高校の頃からお母さんと離れて住んでいて、済州島で一緒に住めば一緒に
山登りもできたのに・・・」と悲しんでいる。
「遺族になる事が願い」という行方不明者の家族たちは、政府と国民に向かって今日も叫んでいる。
「セウォル号に人がいます」
ソース:NAVER/news1(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=102&oid=421&aid=0001342653

セウォル号惨事から197日目の昨年10月29日の夕方、295人目の犠牲者である檀園(タンウォン)高校の
ファン・ジヒョンさん(女)の遺体が収拾された。その12日後の209日目になる11月11日の午前、政府は
行方不明者9人を残したままセウォル号の捜索中断を宣言した。
淡々と時は流れ、惨事から惨事からあと15日で1年となる4月1日、350日目となる今も相変らず9人は
愛する家族たちの元には帰る事ができない。
行方不明者が最も多い檀園高校の生徒および教師は計6人である。2年1組のチョ・ウンハさん(女)と
2組のホ・ダユンさん(女)、6組の6班のナム・ヒョンチョル君とパク・ヨンイン君、最後まで生徒のそばを
離れなかった学校生活部長のヤン・スンジンさん、体育教師のコ・チャンソクさんだ。
新たな人生の大きな夢を抱いてセウォル号に乗って済州島(チェジュド)に引越し中、惨事に遭った
クォン・ジェグンさんとクォンさんの6歳の息子のヒョクギュ君は親子の行方不明者となった。一般人
乗客のイ・ヨンスクさん(女)もまだ冷たい海の中に閉じ込められている。
チョ・ウンハさん(女)の机には誰かが書いた、「あなた本当にずっと欠席するつもりなの?お願い
ウンハさん」というメッセージが書かれていた。 チョさんは、「船が45度傾いている」という最後のメール
を家族に残して消息が途絶えた。
ホ・ダユンさん(女)は修学旅行に行く数日前に家族写真を撮影した。事故が起きた当日に家族写真
が家に到着した。写真の中のホさんは明るく笑っていた。
音楽が好きだったナム・ヒョンチョル君。『サランハヌン・クデヨ(愛する君よ)』の歌詞を書いたりした。
ヒンチョル君の遺品であるギターはペンモク港で数ヶ月間オーナーを待っていたが、結局オーナー
には再会できなかった。
パク・ヨンイン君は惨事の翌日に死体が収拾されたと伝えられたが、その後別の生徒の死体と確認
されて家族を2度悲しませた。
学校の裏山にりんごの木を植えたというヤン・スンジン先生は、生徒たちにお菓子を買って食べなさい
とお金を渡して笑った最後の姿が監視カメラの映像に残った。
ハリネズミのヘアスタイルで生徒たちから『トチ・セム』と呼ばれたコ・チャンソク先生は、水泳が得意
な体育教師だったが最後の瞬間まで生徒とともにした。
家族4人でセウォル号に乗っていたクォン・ジェグンさんは、かろうじて救助された娘のジヨンさんが
好きだった肩ぐるまをもう乗せてあげられない。2歳下の妹チヨンさんに自分が着ていた救命胴衣を
脱いで渡したという兄のヒョクギュ君も、海の中に閉じ込められた。ベトナム出身の母親ハン・ユンジ
さんは、事故から1週間後の4月23日に発見された。
クォンさんの兄のオボクさん(60歳)は、政府の捜索中断の決定以降大部分の遺族は安山(アンサン)
に戻ったが、1人ペンモク港を去る事ができない。
イ・ヨンスクさん(女)は、済州に住みたいという息子と一緒に住むための家を得て、荷物を運ぶ途中
だった。 息子は、「高校の頃からお母さんと離れて住んでいて、済州島で一緒に住めば一緒に
山登りもできたのに・・・」と悲しんでいる。
「遺族になる事が願い」という行方不明者の家族たちは、政府と国民に向かって今日も叫んでいる。
「セウォル号に人がいます」
ソース:NAVER/news1(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=102&oid=421&aid=0001342653
引用元: ・【セウォル号1年】「人が残っています」~行方不明者9人[04/01]
【なかに誰もいませんよ。 【セウォル号1年】「人が残っています」「遺族になる事が願い」という行方不明者の家族たち~行方不明者9人[04/01]】の続きを読む