まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:経緯

    1: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)17:20:06 ID:X93
    対馬の仏像返還に韓国の専門家 「ユネスコに寄託し国際論争を」


    2015年7月16日、韓国・YTNラジオは、対馬から盗まれ韓国に持ち込まれた仏像の日本への返還を
    韓国検察が決定したことについて、韓国の専門家へのインタビューを報じた。

    返還に反対する恩平歴史韓屋博物館の黄平雨(ファン・ピョンウ)館長は、国内法でなく国際法を
    適用すべきであり、仏像を返すのではなく、ユネスコに寄託し、国際的な論争を巻き起こすべきだと
    主張した。
    また、実際に対馬を訪問したという黄館長は、現地での文化財の管理が非常にいいかげんで、誰でも
    盗めるような状態だったと述べた。

    これについて、韓国のネットユーザーからはさまざまなコメントが寄せられている。

    「あらゆる面で無能な政府。本当に見事だよ」

    国民が文化財を見つけて来ても、それを奪って返してしまう韓国政府。これが韓国指導層の実態だ」

    「日本が略奪した証拠がないというなら、正当に買ったという証拠はあるのか?」

    「自分が韓国人であることが本当に恥ずかしい」

    「韓国政府にたった一つでいいからまともにできることがあってほしい」

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150716-00000042-rcdc-cn

    引用元: ・韓国が盗んだ仏像1体はユネスコ文化遺産に預け 日本が盗んだ経緯を国際社会に訴える

    【どうぞどうぞ - 韓国が盗んだ仏像1体はユネスコ文化遺産に預け 日本が盗んだ経緯を国際社会に訴える】の続きを読む

    1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/03/01(日) 12:34:07.65 ID:???.net
    徳寿宮美術館の設計図全体を初めて確認…工事の全体像が明らかに
    宮殿を公園化・戯画化して、高宗の痕跡を消そうとしたもよう

    1930年代に日本が徳寿宮美術館を作る際、高宗の長寿を祈願した亀の像を撤去して急きょオットセイ像に替えたプロセスが、初めて確認
    された。国立文化財研究所(姜舜馨〈カン・スンヒョン〉所長)は26日「静岡県浜松市の市立中央図書館で徳寿宮美術館の設計図面217枚を
    発見した。韓国国内にあった図面429枚と合わせ、設計図全体が初めて確認された」と発表した。1936年から38年にかけて徳寿宮石造殿
    に付設された徳寿宮美術館(現在の国立現代美術館徳寿宮館)の工事の全体像が、初めて明らかになったのだ。同研究所は最近、この
    設計図を全数調査して研究結果を整理した報告書「徳寿宮美術館設計図」を発行した。

    この設計図によると、最初に美術館を設計した時点では石造殿前の亀の像が残っていたが、造園計画が突然修正され、噴水台を作って
    オットセイ像を置いたことが明らかになった。今回研究を行った金鍾憲(キム・ジョンホン)培材大学教授は「最初の配置図では、地面より
    2.8メートル高いハス池と、その中にあった亀の像を考慮して美術館の配置がなされていたが、その後作られた『徳寿宮庭園配置図』では、
    池の底を地面より低くしたハス池を作り、中央部に噴水台を置いた」と語った。

    亀の像は、中国では皇帝を、韓国では長寿を象徴する。金教授は「結局、現在のような状態は、徳寿宮美術館が完工した後の1938年に
    突然、何らかの意図によって変更されたもの。日本は、高宗の長寿を祈願した亀の像を撤去し、徳寿宮を公園化・戯画化することで、高宗
    の痕跡を消そうとしたものとみられる」と語った。現在石造殿の前には、噴水台の前後左右に、口から水を出しているオットセイの座像が
    4体ある。これまでは、このオットセイ像について、東京美術学校の津田信夫(しのぶ)がデザインしたものを大阪の鋳造所で作り、1940年
    に設置したという事実だけが知られていた。

    徳寿宮美術館は、1936年から38年にかけて新築された古典主義の建築物で、東京の中村与資平建築事務所が設計した。今回発見された
    資料は、図面計646枚、図書計25件からなる。韓国の国立古宮博物館には、光復(日本の植民地支配からの解放)後に旧皇室財産総局を
    経て伝わった図面429枚があり、日本には図面217枚と図書25件が所蔵されていることが分かった。図面は、中村与資平建築事務所で作った
    設計図の原図と、これを複製した青写真、施工現場で発生した修正事項を記録した訂正図面、細部の施工のため現場で作った原寸大の
    詳細図面(原寸図)など、全てを網羅していた。構造計算書、見積書、予算内訳をはじめ、工事現場と設計事務所がやりとりした電報・はがき
    ・手紙まで全て残っていた。

    同研究所側は「徳寿宮美術館の設計から、入札、完工に至るまで、全ての過程が完全に残っていることを確認した。近代期に一つの建物
    が建てられるまでの全過程を知ることができる初のケースであり、貴重なものだ」と語った。基礎図面から、鉄筋コンクリート工事、石工事、
    電気工事、家具工事に至るまで、全工程をカバーする図面が残っており、こんにち近代建築物を復元する上で必要な技術的資料を構築
    できるようになったわけだ。金鍾憲教授は「石造殿を昔の通りに復元できるので、今からでも、オットセイ像を撤去して亀の像を復元すべき」
    と主張した。

    許允僖(ホ・ユンヒ)記者

    ソース:朝鮮日報 2015/03/01 06:10
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/02/28/2015022800622.html
    no title

    ▲左は、1936年6月に作られた最初の徳寿宮配置図。丸い点線で表示した部分が亀の像。その後作られた「徳寿宮庭園配置図」
    (右側。1936-38)では亀が撤去されており、提案計画が変わっている。噴水台が設置され、後にオットセイ像が置かれた。
    /写真提供=国立文化財研究所

    引用元: ・【韓国】徳寿宮の「亀の像」、日本が撤去した経緯が判明…宮殿を公園化・戯画化して、高宗の痕跡を消そうとしたもよう[03/01]

    【いつもの通り妄想… 【韓国】徳寿宮の「亀の像」、日本が撤去した経緯が判明…宮殿を公園化・戯画化して、高宗の痕跡を消そうとしたもよう[03/01]】の続きを読む

    このページのトップヘ