1: まぜるな!キケン!! 2022/05/23(月) 14:07:39.21 ID:CAP_USER
(略)
8割程度の国民が中国に親しみを感じないという傾向は、尖閣領有権問題が本格化し、中国脅威論が高まったこの10年間で大きく変化していない。多くの国民が日中関係の重要性を理解しているにもかかわらず、そのことが中国への親近感に結びつかないのである。対中政策をめぐる世論の分裂がなく、日本人の対中好感度が低水準にとどまっていることは、裏を返せば中国側の影響力工作が行われていないか、またはほとんど機能していないことを意味する。それでは、なぜ中国の影響力工作は日本に対して無力なのであろうか。
歴史をさかのぼると、第2次世界大戦後の日本は、中国の影響力工作につねにさらされ続けてきた。中国による日本社会を対象にした影響力工作は1950年代中頃にまでさかのぼる。スターリン死後の東西冷戦の緊張緩和のなかで、中国政府は対日政策を新たに策定する。それは民間交流を通じて日本国内の世論を味方に取り込み、アメリカと協調して中国非承認政策をとる日本政府に政策変更を迫る「以民促官」と呼ばれる方針であった。
■中国は国家間外交でなく「人民外交」を重視
中国側は国家間外交ではなく、日中両国の国民が自発的に交流する「人民外交」を重視していた。具体的には、日本の各界関係者を積極的に中国に招いて、さまざまな民間協定を締結し、民間レベルでの関係を発展させようとした。こうした「人民外交」は革新勢力のみならず、多くの一般の日本人を惹きつけたことは事実である。だが、これらの民間交流は自発的に起こったものではない。中国側の民間団体の関係者は政府に厳しく統制されていた。その意味でこの「人民外交」は、日本とアメリカを離間させることを目指した中国政府による影響力工作の一環であった。
日米離間を目指した中国政府が、最も期待をかけたのが1960年の日米安全保障条約改定をめぐる反対闘争(安保闘争)であった。この頃、中国政府は、日本国内で反米運動が高揚していることに着目し、岸信介政権への対決姿勢を打ち出した。中国側は、野党第一党の日本社会党による安保闘争を全面支援しただけでなく、保守勢力の分断を図るべく、自民党内の反主流派に積極的な訪中を働きかけた。
安保闘争以後も中国側は、日本の国内政治に対する影響力行使を続けた。1978年に日中平和友好条約の締結交渉に臨む際、当時の福田赳夫首相が「本件条約が締結される以上、日中関係は相互に内政干渉に渉る行為を絶対に行わないことを確保する必要がある」という原則を示したのは、当時の空気を如実に物語っている。
今日と違って中国側が大きな影響力を行使できた背景は2つ拳げられる。
第1に、日本国内に中国に対する同情的な世論が広く存在したためである。それは「進歩的」とされた共産主義イデオロギーへの魅力と、中国大陸における過去の戦争で、中国人に甚大な被害をもたらしたことに対する日本人の贖罪意識が入り交じるものであったといえよう。国交正常化前の中国の対日影響力の源泉は、今日でいうところのソフト・パワーに近いものであったといえる。
第2に、日本の政治制度も中国の影響力工作に有利に作用した。1950年代後半から1970年代後半まで、自民党の派閥全盛時代であった。中国と台湾(中華民国)の「2つの中国」問題が自民党内の権力闘争に連動する形で、親中国派と親台湾派との対立が先鋭化した。この時期、中国だけではなく台湾も、自民党に対する影響力工作を行っており、冷戦によって生じた分断国家が、それぞれ自民党の派閥と結びつくクロス・ナショナルな構図が見られたのである。
■最終的には目的を達成できなかった
中国の影響力工作は効果的であり、日本国内の世論を分断し、保革対立を激化させることに成功した。しかし、彼らは最終的に目的を達成できなかった。中国側は自民党の1党優位体制を崩すことができず、日本をアメリカから離間させるという目標を達成できなかったのである。
(略)
冷戦期から中国政府は日本に影響力工作を実施していたが、中国側の手法について多くの日本人が知識や経験を持っていた。さらに1990年代以降、中国政府が日本に影響力を行使するためのチャネルが失われた。冷戦終結による革新勢力の弱体化に加えて、自民党や財界の親中国派も力を失い、中国側が日本に対する働きかけが難しくなったのである。日本が1950年代から中国の影響力工作を受け続けてきた経験は、皮肉にも今日の中国のシャープ・パワーに対する抵抗力になっているといえよう。
全文はソースで (井上正也/慶應義塾大学法学部教授)
https://news.yahoo.co.jp/articles/45648e7e115bf6415556cc3977f21c77606e9b27?page=1
8割程度の国民が中国に親しみを感じないという傾向は、尖閣領有権問題が本格化し、中国脅威論が高まったこの10年間で大きく変化していない。多くの国民が日中関係の重要性を理解しているにもかかわらず、そのことが中国への親近感に結びつかないのである。対中政策をめぐる世論の分裂がなく、日本人の対中好感度が低水準にとどまっていることは、裏を返せば中国側の影響力工作が行われていないか、またはほとんど機能していないことを意味する。それでは、なぜ中国の影響力工作は日本に対して無力なのであろうか。
歴史をさかのぼると、第2次世界大戦後の日本は、中国の影響力工作につねにさらされ続けてきた。中国による日本社会を対象にした影響力工作は1950年代中頃にまでさかのぼる。スターリン死後の東西冷戦の緊張緩和のなかで、中国政府は対日政策を新たに策定する。それは民間交流を通じて日本国内の世論を味方に取り込み、アメリカと協調して中国非承認政策をとる日本政府に政策変更を迫る「以民促官」と呼ばれる方針であった。
■中国は国家間外交でなく「人民外交」を重視
中国側は国家間外交ではなく、日中両国の国民が自発的に交流する「人民外交」を重視していた。具体的には、日本の各界関係者を積極的に中国に招いて、さまざまな民間協定を締結し、民間レベルでの関係を発展させようとした。こうした「人民外交」は革新勢力のみならず、多くの一般の日本人を惹きつけたことは事実である。だが、これらの民間交流は自発的に起こったものではない。中国側の民間団体の関係者は政府に厳しく統制されていた。その意味でこの「人民外交」は、日本とアメリカを離間させることを目指した中国政府による影響力工作の一環であった。
日米離間を目指した中国政府が、最も期待をかけたのが1960年の日米安全保障条約改定をめぐる反対闘争(安保闘争)であった。この頃、中国政府は、日本国内で反米運動が高揚していることに着目し、岸信介政権への対決姿勢を打ち出した。中国側は、野党第一党の日本社会党による安保闘争を全面支援しただけでなく、保守勢力の分断を図るべく、自民党内の反主流派に積極的な訪中を働きかけた。
安保闘争以後も中国側は、日本の国内政治に対する影響力行使を続けた。1978年に日中平和友好条約の締結交渉に臨む際、当時の福田赳夫首相が「本件条約が締結される以上、日中関係は相互に内政干渉に渉る行為を絶対に行わないことを確保する必要がある」という原則を示したのは、当時の空気を如実に物語っている。
今日と違って中国側が大きな影響力を行使できた背景は2つ拳げられる。
第1に、日本国内に中国に対する同情的な世論が広く存在したためである。それは「進歩的」とされた共産主義イデオロギーへの魅力と、中国大陸における過去の戦争で、中国人に甚大な被害をもたらしたことに対する日本人の贖罪意識が入り交じるものであったといえよう。国交正常化前の中国の対日影響力の源泉は、今日でいうところのソフト・パワーに近いものであったといえる。
第2に、日本の政治制度も中国の影響力工作に有利に作用した。1950年代後半から1970年代後半まで、自民党の派閥全盛時代であった。中国と台湾(中華民国)の「2つの中国」問題が自民党内の権力闘争に連動する形で、親中国派と親台湾派との対立が先鋭化した。この時期、中国だけではなく台湾も、自民党に対する影響力工作を行っており、冷戦によって生じた分断国家が、それぞれ自民党の派閥と結びつくクロス・ナショナルな構図が見られたのである。
■最終的には目的を達成できなかった
中国の影響力工作は効果的であり、日本国内の世論を分断し、保革対立を激化させることに成功した。しかし、彼らは最終的に目的を達成できなかった。中国側は自民党の1党優位体制を崩すことができず、日本をアメリカから離間させるという目標を達成できなかったのである。
(略)
冷戦期から中国政府は日本に影響力工作を実施していたが、中国側の手法について多くの日本人が知識や経験を持っていた。さらに1990年代以降、中国政府が日本に影響力を行使するためのチャネルが失われた。冷戦終結による革新勢力の弱体化に加えて、自民党や財界の親中国派も力を失い、中国側が日本に対する働きかけが難しくなったのである。日本が1950年代から中国の影響力工作を受け続けてきた経験は、皮肉にも今日の中国のシャープ・パワーに対する抵抗力になっているといえよう。
全文はソースで (井上正也/慶應義塾大学法学部教授)
https://news.yahoo.co.jp/articles/45648e7e115bf6415556cc3977f21c77606e9b27?page=1
引用元: ・日本に中国の影響力工作が及ばなくなった理由、戦後の日中経済史を振り返って見える変化 [5/23] [昆虫図鑑★]
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