1: LingLing ★ 2018/04/03(火) 23:52:11.18 ID:CAP_USER
■漢拏日報、校庭に咲いた王桜-祭りになる キム・クムスク市民記者
http://www.ihalla.com/read.php3?aid=1522680687591051184
晴天が続き、満開になった王桜が絶頂になった今、「第27回済州の王桜祝祭」が盛況だ。典農路で3.30-4.1第14回ソサラ文化通り祭を開催していて、涯月邑ジャンチョン里では4.7-4.8まで実施する。ここだけでなく、グァンリョン里ムスチョンではハンモンユ遺跡との間の通りと済州大学への進入路の王桜が有名だ。 済州全体が飛び散る桜の花びらでいっぱいだ。桜は祭りの道だけが人々を魅了するのではなく、学校内の校庭でもまた輝いている。 済州中央女子高等学校の正門から続く校庭は今、王桜トンネルが造られた。
「中央女子高校の長年の伝統です。王桜が咲く一週間のうち、休み時間だけでなく授業時間にもつなげて校庭に出て、先生と一緒に集合写真も撮って、携帯に春を載せたり思い出を作っています。この日は特別に、過度でない化粧は許してあげています。完全にお祭りムードです。(中央女子高校イム・チャンドゥ教頭先生のインタビュー内容)」 (省略…)
王桜の原産地は、済州の漢拏山だ。日本の国花が王桜であるから、原産地を日本と思っている人もいるが、日本の学者たちも王桜の原産地は済州と認めている。
王桜の原産地論争は今から100年以上前にさかのぼる。1908年4月、宣教活動をしていたフランス人タケ神父によって、自生王桜の木が済州で初めて発見された。彼は、漢拏山の標高600m地点の観音寺付近で王桜を発見、標本を採集して、ドイツの植物学者ケネー博士に送って、日本の桜の中で最も有名な品種であるソメイヨシノ(染井吉野)と同じだという鑑定を受けた。
更に1932年4月、日本京都大学の小泉博士も漢拏山の南側の地点で自生した王桜を発見して、事実上、済州が王桜の自生地であることを認めた。
しかし、記録があるだけで、自生王桜の木の実体が済州で発見されなかったから、日本の他の植物学者たちはこの事実を信じようとしなかった。
我が国の植物学者たちは王桜の野生種が日本にはなく、特に済州で発見された記録が出る点などを挙げて、王桜の原産地は済州にあって日本に渡って広がっていったという仮説を立てて、日本の学者たちは日本にも王桜の自生種があったが、広く栽培される過程でなくなったと反論してきた。
議論が熱く繰り広げられていた1962年4月に、パク・マンギュ博士、ブ・ジョンヒュ博士らが王桜の木の自生地を発見して、名実ともに済州が王桜の原産地であることを宣言するに至る。
以降、2001年4月に山林庁林業研究院チョ・ギョンジン博士チームは、DNA分析を通じて、日本にある王桜の原産地が済州漢拏山であることを明らかにした。
2014年11月には成均館大生命科学科キム・スンチョル教授研究チームが、済州島にある王桜の起源を明らかにして、国際学術誌である「米国植物学会誌」(American Journal of Botany)に載せたりもした。
そんな中で、2015年3月にはホ・チュンル(何宗儒)中国桜産業協会執行主席が、記者会見を通じて、「韓日両者は、どちらも原産地を論じる資格がない」とし、「多くの史料は桜の発源地が中国という事実を証明する」と主張して議論が韓中日の3国に拡散した。
しかし、これは桜の原産地を中国というもので、一般の桜の木と区分される王桜の原産地論争からは逸れた主張だ。
王桜は、世界的に済州島にだけ自生する特産植物で、木の背が高くて勇壮に育って、花より葉が先に成長する一般桜の木と違い花が先に咲き始めて、花柄と花柱に毛があり花梗一つに花が複数並んで、他の桜の木に比べて派手という特徴がある。
毎年この時期には、米国の首都ワシントンD.C.で華麗な桜祭りが開かれる。1912年に日本が寄贈した桜の木を移植した日を記念する祭りだ。米国東北部の春を告げるこの祭りは、凧揚げや花火や仮装行列など多彩なイベントでも有名だ。米国のみならず、全世界から集まる観光客150万人が食べて寝そべって楽しむために使われる費用で、地域経済にもかなりの収益になる。しかし、時間が経つにつれて、ワシントンに寄贈された日本産ヨシノ品種の原産地が、済州産王桜という分析が有力になっている。日本はこれを徹底して否認しているが、韓国国内では定説として通じる。
http://www.ihalla.com/read.php3?aid=1522680687591051184
晴天が続き、満開になった王桜が絶頂になった今、「第27回済州の王桜祝祭」が盛況だ。典農路で3.30-4.1第14回ソサラ文化通り祭を開催していて、涯月邑ジャンチョン里では4.7-4.8まで実施する。ここだけでなく、グァンリョン里ムスチョンではハンモンユ遺跡との間の通りと済州大学への進入路の王桜が有名だ。 済州全体が飛び散る桜の花びらでいっぱいだ。桜は祭りの道だけが人々を魅了するのではなく、学校内の校庭でもまた輝いている。 済州中央女子高等学校の正門から続く校庭は今、王桜トンネルが造られた。
「中央女子高校の長年の伝統です。王桜が咲く一週間のうち、休み時間だけでなく授業時間にもつなげて校庭に出て、先生と一緒に集合写真も撮って、携帯に春を載せたり思い出を作っています。この日は特別に、過度でない化粧は許してあげています。完全にお祭りムードです。(中央女子高校イム・チャンドゥ教頭先生のインタビュー内容)」 (省略…)
王桜の原産地は、済州の漢拏山だ。日本の国花が王桜であるから、原産地を日本と思っている人もいるが、日本の学者たちも王桜の原産地は済州と認めている。
王桜の原産地論争は今から100年以上前にさかのぼる。1908年4月、宣教活動をしていたフランス人タケ神父によって、自生王桜の木が済州で初めて発見された。彼は、漢拏山の標高600m地点の観音寺付近で王桜を発見、標本を採集して、ドイツの植物学者ケネー博士に送って、日本の桜の中で最も有名な品種であるソメイヨシノ(染井吉野)と同じだという鑑定を受けた。
更に1932年4月、日本京都大学の小泉博士も漢拏山の南側の地点で自生した王桜を発見して、事実上、済州が王桜の自生地であることを認めた。
しかし、記録があるだけで、自生王桜の木の実体が済州で発見されなかったから、日本の他の植物学者たちはこの事実を信じようとしなかった。
我が国の植物学者たちは王桜の野生種が日本にはなく、特に済州で発見された記録が出る点などを挙げて、王桜の原産地は済州にあって日本に渡って広がっていったという仮説を立てて、日本の学者たちは日本にも王桜の自生種があったが、広く栽培される過程でなくなったと反論してきた。
議論が熱く繰り広げられていた1962年4月に、パク・マンギュ博士、ブ・ジョンヒュ博士らが王桜の木の自生地を発見して、名実ともに済州が王桜の原産地であることを宣言するに至る。
以降、2001年4月に山林庁林業研究院チョ・ギョンジン博士チームは、DNA分析を通じて、日本にある王桜の原産地が済州漢拏山であることを明らかにした。
2014年11月には成均館大生命科学科キム・スンチョル教授研究チームが、済州島にある王桜の起源を明らかにして、国際学術誌である「米国植物学会誌」(American Journal of Botany)に載せたりもした。
そんな中で、2015年3月にはホ・チュンル(何宗儒)中国桜産業協会執行主席が、記者会見を通じて、「韓日両者は、どちらも原産地を論じる資格がない」とし、「多くの史料は桜の発源地が中国という事実を証明する」と主張して議論が韓中日の3国に拡散した。
しかし、これは桜の原産地を中国というもので、一般の桜の木と区分される王桜の原産地論争からは逸れた主張だ。
王桜は、世界的に済州島にだけ自生する特産植物で、木の背が高くて勇壮に育って、花より葉が先に成長する一般桜の木と違い花が先に咲き始めて、花柄と花柱に毛があり花梗一つに花が複数並んで、他の桜の木に比べて派手という特徴がある。
毎年この時期には、米国の首都ワシントンD.C.で華麗な桜祭りが開かれる。1912年に日本が寄贈した桜の木を移植した日を記念する祭りだ。米国東北部の春を告げるこの祭りは、凧揚げや花火や仮装行列など多彩なイベントでも有名だ。米国のみならず、全世界から集まる観光客150万人が食べて寝そべって楽しむために使われる費用で、地域経済にもかなりの収益になる。しかし、時間が経つにつれて、ワシントンに寄贈された日本産ヨシノ品種の原産地が、済州産王桜という分析が有力になっている。日本はこれを徹底して否認しているが、韓国国内では定説として通じる。
引用元: ・【韓国起源】 校庭に咲いた王桜-祭り始まる ワシントン桜の原産地も済州[04/03]
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