1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/08/18(火) 19:05:31.37 ID:???.net
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▲今月14日、釜山で日帝に連行された同胞が解放帰国船に乗って帰ってくる再現行事。

日帝強制支配期から解放を迎えて70年過ぎた2015年8月15日、大韓民国では多様なイベント
が行われた。しかし、その様な祭りの雰囲気の背後には私たちが絶対忘れてはならない胸が痛
む話が隠れている。

■1910~1945、失われた時間
韓民族の最も大きな苦難の時間を挙げるなら、断然1910年から35年間の日本帝国主義植民統
治期間だ。通常、日帝強制占領期間と表現されるこの期間、我が民族は真に多くのものを失った。
日帝植民地政策は大きく'韓民族抹殺政策'と'植民地収奪政策'に要約される。日帝は私たちの言
語、慣習、文化などを全面否認することによって韓民族自体をなくそうとした。

そのため当時、私たちの先祖は'創氏改名'政策で先祖から受け継いだ姓と名前を日本式に変え
なければならず、さらに'断髪令'でまげも切らなければならなかった。韓民族の言葉と文は禁止さ
れ、1927年、開局した京城ラジオ放送局は日本語だけで放送された。近代化のためという名目だ
ったが、実質的な目的は韓民族固有の慣習からなくそうとする趣旨だった。

日帝がこのように固有の文化をなくそうと考えた理由は韓民族を徹底的に日本に従属する賎民に
しようとしたためだ。高宗(コジョン)を廃位して大韓帝国の主権を強奪したことから戦争物資確保
のための民間人収奪に至るまで日帝が奪い取った社会・経済的資源も計り知れなかった。

■日帝蛮行に対抗した独立運動
しかし、私たちの先祖がその様な日帝の抑圧的統治を傍観してばかりいたのではない。最近、封
切られた映画「暗殺」で扱ったように日帝に対抗する独立運動もまた、着実に展開した。1910年8
月29日、大韓帝国の主権を奪って完ぺきな植民地として従属させるための植民統治機構、朝鮮
総督府が設置された。当時、朝鮮総督府は大韓帝国を治める行政権だけでなく軍隊統帥権まで
持って強大な権限を行使した。

さらに韓国人の生死を決定できる特別権限も朝鮮総督府が持っていた。当然、日帝に対抗する独
立活動家らに対する刑罰権も朝鮮総督府に与えられたし、残忍な刑罰と拷問が公開的に加えら
れた。しかし、日帝が大韓帝国の統治権を奪った韓日合邦(1910年)以後、全国各地ではこれに対
抗する民衆義兵運動が相次いだ。

私たちに'緑豆将軍'で知られたチョン・ボンジュンの東学農民運動が代表的な義兵運動だ。この他
にも各地で秘密結社が組織され抗日独立運動を展開した。このような運動が爆発したのが3・1運
動だ。(中略:3・1運動の説明)

大陸進出を目指した日本は第二次世界大戦で聨合軍に惨敗し、日王が敗戦を宣言したその瞬間、
韓民族は解放を迎えることができた。その日がすなわち70年前の1945年8月15日だ。私たち
には短い歴史の1ページとして記憶されるが、日帝強制占領期間を経た私たちの先祖には35年
に達する圧迫と収奪から解放される感激の瞬間だった。

パク・ソンミ・東義(トンウィ)大学校新聞放送学科助教授
キム・ジョンドク・韓国メディア振興財団釜山支社NIE講師

ソース:国際新聞(韓国語) [ストーリーテリング]私たちが忘れてはいけない70年前その日の話
http://www.kookje.co.kr/news2011/asp/newsbody.asp?code=0300&key=20150818.22021202432

引用元: ・【韓国】 私たちが忘れてはならない70年前、その日の話~35年に及ぶ圧迫と収奪から解放された感激の瞬間だった[08/17]

【実際は天国から地獄に突き落とされた瞬間だけどな 【韓国】 私たちが忘れてはならない70年前、その日の話~35年に及ぶ圧迫と収奪から解放された感激の瞬間だった[08/17]】の続きを読む