まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:真偽

    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/02/28(火) 01:20:54.12 ID:CAP_USER
    (ソウル=聯合ニュース)ファン・テイル記者=地球村のあちこちでフェイク・ニュース(Fake news)が猛威を振るっている。フェイク・ニュースは選挙の構図を揺さぶり社会的葛藤を悪化させる。社会関係網サービス(SNS)に乗れば光の速度で拡散する。

    フェイク・ニュースは記事の形に包装されているので真偽の判断が容易ではない。大部分、政治・経済的利益を狙って生産される。ドナルド・トランプ米国大統領当選にもフェイク・ニュースが寄与した。全体主義国家はフェイク・ニュースを鉄拳統治に活用した。ドイツのヒットラー政府で宣伝部長官を担ったゲッベルスが悪名をはせた。「人は一度は嘘を否定するが二度目は疑い、三度目は信じることになる」という言葉を残した人物だ。ロシア社会主義革命を率いたレーニンも「嘘を十分に繰り返せば真実になる」という発言をたびたびした。

    日本の韓半島強制占領期にもフェイク・ニュースが多かった。1931年に発生した万宝山事件が代表事例だ。この事件は中国長春付近の万宝山城堡で発生した朝鮮人と現地人の紛糾だ。朝鮮人が作った農業用水路を中国農民が破壊したところ衝突が起きた。日本警察が介入して事態が悪化した。中国農民に発砲して一部がケガをした。

    この事件は静かに終わらせることもできたが韓半島に伝えられ波紋を呼んだ。中国人の銃撃で朝鮮同胞が死んだりケガをしたという内容の新聞号外のためだった。

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    ▲万宝山事件を報道した当時の朝鮮日報紙面

    キム・イサム朝鮮日報特派員が日本警察から偽情報を受け確認しなかったのが禍根だった。満州侵略を狙った日帝が朝鮮人と中国人を仲違いさせようとする術策に移ったのだ。朝鮮日報は一歩遅れて記事を直し謝罪文を出したがすでにひっくり返った水だった。号外の波紋は一波万波で拡散した。朝鮮人が中国人家屋と商店を破壊し、片っ端から華僑に暴行した。

    仁川(インチョン)とソウルで始まった暴動は全国に広がって中国人居住地は大部分が破壊された。朝鮮総督府資料では死傷者349人(死亡122人、負傷227人)に及んだ。中国人の呉服屋や床屋、青果店も消失したりつぶれたりした。

    日帝は暴動を手をこまねいたり、むしろ煽った。

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    ▲1931年、万宝山事件で破壊された中国人通りの姿(写真=アルコ美術館提供)

    朝鮮人が三人集まるだけで解散させる日本警察は集団破壊や放火、殺人を黙認したのだ。両国民族運動勢力の反日共同戦線を遮断しようとする下心からだ。フェイク・ニュースを通じて仲違いに成功したようだ。

    しかし、両国民族指導者らが急いで事態を収拾したおかげで日本の思惑ははずれた。両国独立活動家らは抗日共闘の力をかえって強化した。真相を知らせて排日運動を展開した中国国民党メディアも事態鎮静に役に立った。

    日帝は反中国人暴動後、二カ月ぶりに武力侵攻で満州を占領した。満州国樹立後にも離間策は絶えなかった。民族指導者らはよく耐えたが農民は乗せられた。朝鮮と中国の農民どうし反目して衝突する事例が多かった。日帝は両国農民が互いに監視するようにして満州統治を簡単にすることができた。フェイク・ニュースが命脈を保ってデジタル時代をむかえて氾濫する理由だ。

    ソース:聯合ニュース(韓国語) [隠れた歴史2センチ]1931年全国ホットク集連鎖防火原因は'フェイク・ニュース'
    http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2017/02/23/0200000000AKR20170223181300797.HTML

    関連スレ:【朝日新聞研究】「フェイク・ニュース」とサンゴ事件 慰安婦の大誤報、中国人の言い分垂れ流しも[2/28]
    http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1488210420/

    引用元: ・【韓国】 世界で猛威を振るうフェイク・ニュース、日帝強制占領期にもあった~朝鮮人と中国人の反目謀った「万宝山事件」[02/26] [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/01/12(月) 11:27:50.41 ID:???.net
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    ▲顔紋軒丸瓦

    ‘新羅の微笑’と呼ばれる‘顔紋軒丸瓦’の真偽を扱った文が地域学術誌に載り論議になっている。
    今月初め、慶州文化院が発行した‘慶州文化’第20号特集号に‘顔紋軒丸瓦と新羅の微笑’とい
    う題名の文が掲載された。

    イ・ジョンフン(元慶州皇城新聞発行人)氏が書いたこの文の副題は‘顔紋軒丸瓦の真偽考察’だ。
    微笑を浮かべた人の顔をした瓦で去る1998年、慶州世界文化エキスポで‘新千年の微笑’を表現
    するイメージに使われ慶州の象徴になった新羅時代遺物‘顔紋軒丸瓦’をめぐる論議とは何だろうか。

    李氏が提起した核心は‘顔紋軒丸瓦は新羅時代遺物ではないかもしれない’ということだ。疑問点
    は△製作時期と製作方法△実際使用の有無△収集および寄贈過程など大きく三種類だ。顔紋軒
    丸瓦は新羅時代ではなく日帝強制占領期間、慶州のある陶器工場で作られた5点中の一つに過
    ぎないというのだ。このうち4点が過去の慶州博物館の元骨董品店に陳列されており、1960年初
    め慶州東部洞(トンブドン)のある喫茶店インテリアに使われていたという主張だ。

    その後1970年、慶州博物館で喫茶店内部装飾品だった顔紋軒丸瓦を掘り出し持っていって遺物
    登録したという。同文ではこれを目撃した地域民と実際に掘り出た張本人が慶州に今も生きてい
    ると明らかにした。

    一方1934年、慶州の古物商で日本人田中氏がこれを収集し、その後慶州博物館に寄贈したとい
    う博物館の公式記録についても、収集場所と博物館に寄贈した日などが慶州博物館とパク・イル
    フン元博物館長回顧録そして慶州観光振興院資料に各々別に表記されていて信憑性がないと主
    張した。(中略)

    李氏は「顔紋軒丸瓦が根拠なしに歪曲され、新羅遺物に変身したという主張の真偽を考察し学界
    の調査と研究を促すために書いた文」とし、「慶州文化院でも苦心のあげく文を載せただけに、年
    代測定等を通して不信と混乱を終息させなければならない」と話した。

    これについて慶州博物館側は「とんでもない」主張だと一蹴した。ホ・ヒョンウク学芸研究家は「文
    を読んでみたがアマチュア的な見解で書いた小説」とし、文で提起した主張に正面から反論した。
    ホ氏は「土で作った物は炭素年代測定できず、成分を分析しても材料の土の種類などしかわから
    ない。製作技法や様式等を通じて専門家たちが統一新羅時代遺物と確認したものだ。

    また、収集経緯と寄贈は正確に1972年10月14日でこの過程でパク・イルフン元館長が田中氏
    に送った書信なども博物館で保管中だ。顔紋軒丸瓦の出土記録はないが沙亭里から持ってきた
    ものと伝えられるので‘伝’沙亭里出土と表記している」と話した。

    特に文と共に載っていた田中氏の息子夫婦と妻の写真が‘偽物’であると指摘した。ホ氏は写真
    の中の男性は‘ホ氏自身’とし、「顔紋軒丸瓦寄贈40周年をむかえた去る2012年、直接日本に行
    って田中氏の二人の娘と取った写真で、この時、博物館記念品店で買った顔紋軒丸瓦模型を贈り
    物に渡した」と明らかにした。

    ホ氏は「あやふやな主張を土台にしたこの文を慶州文化にのせたことは慶州文化院の名声を傷
    つけた」と反論した。

    チョン・ミンジ記者

    ソース:大邱新聞(韓国語) 新羅の微笑‘顔紋軒丸瓦’真偽論議
    http://www.idaegu.co.kr/news.php?mode=view&num=152577

    引用元: ・【韓国】 日帝時代に作られた?新羅の微笑「顔紋軒丸瓦」真偽論議[01/11]

    【日帝残滓だからあるもこれも抹消すべき ニヤニヤ【韓国】 日帝時代に作られた?新羅の微笑「顔紋軒丸瓦」真偽論議[01/11]】の続きを読む

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