まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:滅びた

    1: まぜるな!キケン!! 2023/02/16(木) 14:19:28.79 ID:try8W3Eu
    儀軌から社会経済まで…朝鮮時代の研究 鄭道伝など韓国の学者・儒学者にも目を向け

     朝鮮時代を中心に多方面の研究活動を展開し、韓国国史学界を代表する学者に挙げられてきたソウル大学名誉教授のハン・ヨンウ氏が、15日死去した。享年85。

     1938年に忠清南道瑞山(ソサン)で生まれた故人は、ソウル大学校史学科大学院で修士・博士学位を取得、1967年から2003年までソウル大学校国史学科教授として在任した。定年退任後は名誉教授になった。韓国史研究会長、国史編纂委員会委員、文化財庁文化財委員、京畿文化財団理事、ソウル大学人文学部長なども歴任した。

    ー中略ー

     故人は引退後、著述活動がさらに活発になり、韓孝純(ハン・ヒョスン)、成渾(ソン・ホン)など儒学者たちの評伝を継続して書き続け、昨年もホ・ギュン(1569~1618)を「天才革命思想家」として探求した『ホ・ギュン評伝』を出版した。故人は本紙とのインタビューで、「朝鮮は事大と党派による抗争、身分差別で滅びた国」という植民史観を克服することを自分の学問の主要な軸に挙げたことがある。

     故人は1974年の維新体制で初めて発行された国定教科書(高等学校国史)の執筆に参加し、一部から「御用学者」という批判を受けた。これに対して故人は、2015年の本紙とのインタビューで「当時、文教部(現在の教育部)が執筆者の反対を押し切って維新体制を美化する内容を含ませるようにした」と明らかにしている。「植民史観を克服した正しい歴史を教えたいという熱望から国定教科書の執筆に参加したが、(政権が無断で内容を変えたため)教科書は維新教科書というレッテルを貼られ、執筆陣は御用学者になってしまった」ということだ。インタビュー当時、朴槿恵政権が「歴史教科書国定転換」を強引に推進しており、これに対する懸念と反対の意思を明らかにしながら述べた話だ。

     故人は5等級勤政勲章(2003年)、大韓民国文化遺産賞大統領表彰(2005年)、民世安在鴻学術賞(2012年)など様々な賞を受賞した。葬儀場はソウル鍾路区(チ ンノグ)のソウル大学病院葬儀場2号室に設けられた。遺族は夫人のキム・チェジュンさんと2人の息子のジョンフンさん(成均館大学教授)、スンヒョンさん(建国大学教授)。出棺は18日午前、埋葬地はソウル追悼公園。
    チェ・ウォンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

    登録:2023-02-16 10:32 修正:2023-02-16 11:11
    https://japan.hani.co.kr/arti/politics/45938.html

    引用元: ・【ハンギョレ】「朝鮮が党派争いで滅びたという植民史観を克服したい」 歴史学者ハン・ヨンウ氏死去[2/16] [仮面ウニダー★]

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    1: ジャン・ポール◆Vkp7zYl5.c 2015/12/17(木)03:52:02 ID:LTV
    前略:開放70周年の機会に旧韓末の歴史を学ぶことにしたが、得た結論は国権を守る機会と情熱、
    才能があったということだ。朝鮮の陽明学者に関する本を頂いた。日本で明治維新に影響を与えた一
    派で、そうした陽明学派が半島にもいたことが興味深かった。

     陽明学の門外漢なので深い意味を計り知ることはできない。ただ虚無だった。命をささげた日本の
    陽明学派も「動機の純粋さ」を重視したのだろう。しかし、彼らは動機と同じくらい重要な目指すべ
    き所を持ち、死を通じて成し遂げた。我が国の陽明学派は何のために死んだのだろうか。彼ら以前に
    もこの国には喜んで命をささげた数多くの実践家がいた。ところが、両国の命の価値はなぜこれほど
    違うのか。勇気と情熱は同じなのに、我が国はなぜ滅んだのだろうか。識見不足のため一つを知ると
    十の疑問がわいてくる。

     歴史書を読めば読むほど、とにかく外国勢力のせいにする主張に興味をなくした。江華島条約から
    国権喪失まで我々には30年近い時間があった。歴史にも三振法が適用される。甲申政変・甲午改革・
    光武改革は貴重なチャンスだった。歴史書を読むほどに興味をなくす主張がもう一つある。朝鮮は国
    力が枯渇し、すでに滅びた国だったという宿命論だ。我が国を長年見てきた当時の西洋人たちは、一
    様に優れた才能、熱い教育熱、豊富な資源を高く評価していた。まだ強くはなかったが、強くなるこ
    とができる国だった。その国で黄ヒョンはなぜ「人間世界の識者役は難しい」という絶命詩を残して
    死んだのか。

     本当に識者役が難しかった時代だったようだ。開花を夢見て政変を主導した当代の天才・金玉均
    (キム・オッキュン)は殺害された後、四肢を切られ全国でさらされた。改革を主導した朝鮮最後の
    領議政(議政府の最高官職)・金弘集(キム・ホンジプ)は失脚後、群衆の前に投げ出されて他殺さ
    れた。外国勢力の暴挙だったとしたら、もっと虚無的でなかっただろう。胸が痛むのは、数多くの人
    材が改革を試みながら、仕えていた王により最期を迎えたことだった。王は改革により王権を制限さ
    れた時、改革全体を放り出した。民族の情熱や才能も、天が与えた貴重な機会も絶対王権の前に30年
    間もがいたあげく、終わりを迎えて消え去った。無能な政治はこのように恐ろしいものだ。

     情熱と希望が枯渇した国には皇帝だけが残った。国権をよこせと要求する日本に対し、皇帝は「大
    臣と国民の意向を問う」と後に下がった。伊藤博文は「不可解なことこの上ない」と皇帝を嘲笑(ちょ
    うしょう)した。「貴国は憲法政治でもなく、万機すべてを陛下が決定する、いわゆる専制君主制で
    はないのですか?」。この幻のような権力を守るために忠臣や改革を捨てたのか。

     旧韓末のことを語ると、「今は国力が違う」と人々は言う。それも事実だ。だが当時の我が国は国
    力が足りなくて滅びたのだろうか、それとも国力を育てる改革ができなくて滅びたのだろうか。考え
    方はそれぞれだが、民族の才能と情熱、改革の機会をまとめて国を引っ張っていくことができなかっ
    た政治のせいで滅びたのは明らかだろう。100年後の子孫たちが書き記す歴史に、今の私たちはどのよ
    うな姿で書かれるのだろうか。歴史は我々の胸を痛くした分だけ教訓を与えてくれる。今年それを悟っ
    た。

    鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員

    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/16/2015121601154.html

    引用元: ・【朝鮮日報コラム】大韓帝国はなぜ滅びたのか:鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員[12/16]

    【滅ぶべくして滅んだ【朝鮮日報コラム】大韓帝国はなぜ滅びたのか:鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員[12/16]】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/07/17(金) 01:01:27.32 ID:???.net
    朝鮮は指導層の腐敗とノブレス・オブリージュ(指導層が持つ道徳的義務)の喪失で滅亡した。これ
    まで二回のコラムで指摘した内容そのままだ。しかし、こういう疑問が残る。一つの王朝が500年
    以上持続したのは世界史的に珍しい現象ではないのか。

    もちろんそうだ。存続期間に限れば非常に珍しいことに属する。重要な点はそのような朝鮮が外
    勢に崩れ、我が民族は変らず健在だという事実だ。韓民族は930回余りの外侵の中で中国という
    大帝国を頭に載せても強く生き残った。その秘訣は?一言で言って愛国心ではないか。

    私たちの血液中には愛国心というDNAがある。それは五千年の歴史を貫く韓民族の精神だ。中
    国を倒した西洋軍隊が驚いたのも私たちの愛国心だった。1871年、米国のアジア艦隊司令官ロ
    ジャースが最新軍艦5隻を率いて朝鮮遠征に出る。江華島(カンファド)で外敵に対抗した人々は
    朝鮮八道から招集された虎猟師だった。武器は白い木綿の服に旧式鉄砲が全てだった。大砲の
    音が鼓膜を刺したが退かなかった。砲弾と弾丸を受けて海の上で花びらのように散った。

    当時参戦したある米軍少佐はこういう文を残した。「彼らは古い銃を撃って弾丸が切れれば石を
    投げ、石が切れれば大声を出した。私は家族と国家のためにこれよりさらに壮烈に戦った兵士た
    ちをまた探せないだろう。」朝鮮軍の戦死者は350人で米軍はやっと3人だった。米軍は大勝をお
    さめても激烈な抵抗の前に結局、退却するほかなかった。

    それより5年先立つ1866年にはフランス艦隊が名もなき国民の反撃に追い出された。愛国心は
    国難の危機のたびに王朝にかかわらず光を放った。他国で見るのが難しい抵抗精神だった。高
    麗王室が大帝国モンゴルに対抗して38年間、江華島で持ちこたえた底には国民らの血沸く抵抗
    があった。丙子胡乱と壬辰倭乱が起きた時には全国的に義兵が起きた。日帝植民地期に太極旗
    一つだけで銃刀に対抗し、日王に爆弾を投げたこともやはり義兵精神の発露であった。

    愛国心は大韓民国でも生まれ変わった。6・25韓国動乱(朝鮮戦争)が起きるとすぐに国軍は春川
    (チュンチョン)付近で生まれて初め戦車とぶつかる。若い将兵らは火炎瓶をふところに抱いて戦
    車の下に飛び込んだ。海外にいた‘義兵’らもじっとしていなかった。日本に居住した韓国人学生
    642人は戦争の消息を聞いて学業を中断し祖国に戻った。世界史上初めての在外国民の参戦だ
    った。これらのうち135人は祖国の山野で命を失った。学生義兵には愛国心が全てであった。

    こういう疑問を抱いたことがある。中国を制覇したモンゴルと清国がなぜ唯一、我が国だけはなく
    さなかったのだろうか?彼らには明確に私たちを滅亡させる力があった。最も大きな理由が愛国
    心ではないかと考える。大帝国を維持するには必然的に多くの軍隊と費用が伴う。たとえば韓半
    島の王朝をなくして自分の土地として完全に服属させたとしよう。その後でずっと独立闘争が起き
    るならば、生半かな悩みの種ではない。

    王朝をなくして直接統治するのが良いか、王朝を置いたまま朝貢国家とするのが良いのか、統治
    費用的な観点で選択しなければならない。彼らは後者を選んだ。愛国心でみな固く団結した抵抗
    精神が負担になったからだ。映画‘延坪海戦’が封切り22日で観客500万人に達っしたという。延
    坪海戦を探す人々が増えて、イ・スンシン(李舜臣)の活動を描いた‘ミョンニャン’が史上最高の
    観客記録を立てた現状の裏にも愛国心が位置する。

    だが、私たちはそのような愛国心だけに満足できない。愛国心は国民が結束する大事な精神だが、
    それ自体は私たちを強大国に導くわけではない。ローマ、英国、米国の様な、超強大国には指導
    層の清廉と道徳的義務があった。私たちにも愛国心のDNAに燃料を入れて火をつけようとするな
    ら、そのような共同体精神が必要だ。1世紀前の朝鮮滅亡の教訓を今日、胸に刻む理由がそこに
    ある。

    ペ・ヨングク論説委員
    http://www.segye.com/content/image/2015/07/15/20150715004480_0.jpg

    ソース:世界日報(韓国語) [世界フォーラム]朝鮮はなぜ滅びたか(Ⅲ)
    http://www.segye.com/content/html/2015/07/15/20150715004449.html

    前スレ:http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1437050497/
    1 の立った時間:2015/07/16(木) 21:41:37.88

    引用元: ・【韓国】 朝鮮はなぜ滅びたのか~五千年の歴史を貫く韓民族の精神、愛国心というDNAがあったのに★2[07/15]

    【何回滅亡したか分かってねえのかよ【韓国】 朝鮮はなぜ滅びたのか~五千年の歴史を貫く韓民族の精神、愛国心というDNAがあったのに★2[07/15]】の続きを読む

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