1: まぜるな!キケン!! 2021/09/08(水) 21:38:18.65 ID:CAP_USER
形容詞の語尾に‘-ic,-tic’がある。日本語ではチック(-tic)を「ティキ・チキ」と発音する。漢字の的の発音は「テキ」だ。接尾辞「的」は日本が1800年代後半、-ticから仮借した言葉だ。デモクラティックは‘民主的’、エロチックは‘性愛的’と翻訳した。ロマンチック(romantic)は漢字「浪漫的」と翻訳して「ロ-マンテキ」と読む。ロマンチックでロマンティックな言葉だ。
文章ごとに欠かせない接尾辞「的」を日本が作った、というから当惑する。堪え難いのは、己未(キミ)独立宣言書に「的」が十七回、そのうちの「民族的」が6回も見られる事実だ。「民族」も日本製だ。
西洋文物を導入して日本は多くの訳語を作った。新しい思想と文化導入では概念確立が重要だ。日本は用語をカナではなく漢字に翻訳した。「観念、異常、哲学、逆説、本能、概念」のような概念、「科学、技術、物質、政治、解放、人権、民族」も日本製だ。東洋古典の単語に新しい意味重ねて当てたものも文化、自由、階級、経済、権利、政治、社会、思想、自然など多い。「-的」のように使う接尾辞-力、-性、-式、-型、-社会、-作用、-主義の様な言葉もおびただしい。
この日本製漢字語を除けば韓国語の駆使はとても難しい。日本が西洋文化を自分のものに消化した労苦には粛然とする。今、人々が漢字に従って意味を簡単に察するが、その様に理解させようとした翻訳者の洞察と熟慮は真に貴重だ。ところが、筆者はこの日本製漢字語に困惑する。(中略)
「日帝残滓清算広場」の行事があって笑った。「残滓」と「清算」が日本製だから、日帝の漢字語も韓国語で発音さえすれば大丈夫だという事なのか。しかし知らずに使っているかも明らかではない。解放後76年間、倭色カス(残滓)洗い落とし(清算)はまだ残っているものがあるのだろうか?
イ・スンマン(李承晩)とパク・チ ンヒ(朴正煕)は国民の反日感情をあおって政治的利益を得た。ところで反日情緒は今もたまに政略的に悪用される。筆者は日本製漢字語を書くのか、やめるのか悩むのは違うと考える。それらを日本語であっても気にしない。
考えれば過去、三国時代以来千年の歳月の間、韓半島から数多くの言葉が日本に伝えられた。これに関する研究成果は多い。韓国語と日本語が系統的に似ているものが多いことは、このように歴史的に両国の言葉が永く互いに影響をやりとりしたためだろう。隣接国言語間の相互作用は自然で必然的だ。
帝国主義精神の込められた「国民学校」のようないくつかの歴史的民族的問題で見られる言葉でなければ、もう日本製単語に対する拒否感を片付ける時になったのではないだろうか。
80年代、貿易学を専攻した筆者の論文主題は対日貿易赤字だった。原材料輸出し工業製品を輸入する構造打破は不可能に見えた。90年代、日本行けばショッピングが天と地だった。しかし、いつのまにか世の中が変わった。韓国人の人生が日本に先んじる日も遠くない。
筆者は東京オリンピックで日本の行事の準備と私たちの選手の余裕を比較してとても楽しかった。精神と意識、文化と芸術も日本はもはや警戒対象ではない。過去の被害意識を払いのけよう。政治屋の政略的発言、親日派、倭寇、附逆のような言葉もそろそろやめて欲しい。
ユ・ホミョン京東大学対外協力室長
ソース:中部日報(韓国語)[以心伝心]残滓清算とカス洗い落とすこと
https://www.joongboo.com/news/articleView.html?idxno=363502094
文章ごとに欠かせない接尾辞「的」を日本が作った、というから当惑する。堪え難いのは、己未(キミ)独立宣言書に「的」が十七回、そのうちの「民族的」が6回も見られる事実だ。「民族」も日本製だ。
西洋文物を導入して日本は多くの訳語を作った。新しい思想と文化導入では概念確立が重要だ。日本は用語をカナではなく漢字に翻訳した。「観念、異常、哲学、逆説、本能、概念」のような概念、「科学、技術、物質、政治、解放、人権、民族」も日本製だ。東洋古典の単語に新しい意味重ねて当てたものも文化、自由、階級、経済、権利、政治、社会、思想、自然など多い。「-的」のように使う接尾辞-力、-性、-式、-型、-社会、-作用、-主義の様な言葉もおびただしい。
この日本製漢字語を除けば韓国語の駆使はとても難しい。日本が西洋文化を自分のものに消化した労苦には粛然とする。今、人々が漢字に従って意味を簡単に察するが、その様に理解させようとした翻訳者の洞察と熟慮は真に貴重だ。ところが、筆者はこの日本製漢字語に困惑する。(中略)
「日帝残滓清算広場」の行事があって笑った。「残滓」と「清算」が日本製だから、日帝の漢字語も韓国語で発音さえすれば大丈夫だという事なのか。しかし知らずに使っているかも明らかではない。解放後76年間、倭色カス(残滓)洗い落とし(清算)はまだ残っているものがあるのだろうか?
イ・スンマン(李承晩)とパク・チ ンヒ(朴正煕)は国民の反日感情をあおって政治的利益を得た。ところで反日情緒は今もたまに政略的に悪用される。筆者は日本製漢字語を書くのか、やめるのか悩むのは違うと考える。それらを日本語であっても気にしない。
考えれば過去、三国時代以来千年の歳月の間、韓半島から数多くの言葉が日本に伝えられた。これに関する研究成果は多い。韓国語と日本語が系統的に似ているものが多いことは、このように歴史的に両国の言葉が永く互いに影響をやりとりしたためだろう。隣接国言語間の相互作用は自然で必然的だ。
帝国主義精神の込められた「国民学校」のようないくつかの歴史的民族的問題で見られる言葉でなければ、もう日本製単語に対する拒否感を片付ける時になったのではないだろうか。
80年代、貿易学を専攻した筆者の論文主題は対日貿易赤字だった。原材料輸出し工業製品を輸入する構造打破は不可能に見えた。90年代、日本行けばショッピングが天と地だった。しかし、いつのまにか世の中が変わった。韓国人の人生が日本に先んじる日も遠くない。
筆者は東京オリンピックで日本の行事の準備と私たちの選手の余裕を比較してとても楽しかった。精神と意識、文化と芸術も日本はもはや警戒対象ではない。過去の被害意識を払いのけよう。政治屋の政略的発言、親日派、倭寇、附逆のような言葉もそろそろやめて欲しい。
ユ・ホミョン京東大学対外協力室長
ソース:中部日報(韓国語)[以心伝心]残滓清算とカス洗い落とすこと
https://www.joongboo.com/news/articleView.html?idxno=363502094
引用元: ・【日帝残滓清算】 「残滓」も「清算」も日本製、「倭色カスの洗い落とし」に変えるのか~そろそろやめよう[09/07] [蚯蚓φ★]
【正当化記事かよ 【日帝残滓清算】 「残滓」も「清算」も日本製、「倭色カスの洗い落とし」に変えるのか~そろそろやめよう[09/07] [蚯蚓φ★]】の続きを読む