まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:朝鮮時代

    1: まぜるな!キケン!! 2022/05/14(土) 21:43:26.06 ID:CAP_USER
    ┃「滞った花代」発言、今も反省・・・「大韓民国を滅ぼす一番の主犯は言論」

    (写真)
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    ▲ 13日に辞任した大統領室のキム・ソンフェ元宗教多文化秘書官が14日、自身と関連して物議を醸した日本軍慰安婦被害者に対しては今も反省していると謝罪しながらも、朝鮮時代の女性の半分が性的快楽の対象だったという発言に対しては真実だと改めて主張した。
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    13日に辞任した大統領室のキム・ソンフェ元宗教多文化秘書官が14日、自身と関連して物議を醸した発言などに対して重ねて反論を提起した。

    キム元秘書官は13日、「ユン・ソクヨル大統領に迷惑をかけないために自ら辞任する」と明らかにした。その後SNSに、「私に対する多くの誤解があるが、すぐに私の真正性と真実が伝わることを願います」と述べた。

    14日、キム秘書官は3つの文章で物議を醸した内容について積極的に反論した。ただし、日本軍慰安婦被害者たちに関連した蔑視する発言については、依然として反省しているという。彼は、「いくら個人間の論争だとしても・・・、慰安婦ハルモニたちの痛み伴う傷口に塩まで塗る “滞った花代” という表現を使ったことについては・・・、今も反省します」と謝罪した。

    だがしかし、キム元秘書官は同性愛と朝鮮時代の女性たちに関連した議論の発言については反論した。

    彼は、「同性愛は喫煙のように治療ができるという釈明の発言。自閉症児にも先天性の自閉症児がいれば後天性の自閉症児がいる。先天的自閉症児は治療が難しいが、後天的自閉症児は早期に発見されれば治療が可能である」とし、「同性愛が望ましいかと助長すべき問題ではない。先天的でない後天的同性愛を本能と勘違いしている人々、喫煙が本能ではないように、また喫煙する人々が病気ではないように同性愛は治療できるということだ」と説明した。

    キム元秘書官はまた、朝鮮時代の女性の半分が性的快楽の対象だったという言葉についても、「真実だ」と強調した。

    彼は「奴婢(ノビ)は一賤則賤という奴婢従母法によって莫大に増えた。 統一新羅時代の清州(チ ンヂュ)の戸口調査では奴婢は2~4%に過ぎず世襲でもなかった。地方士大夫が大きく成長した高麗末期でも、その割合は10%未満だった」とし、「奴婢従母法は世祖(セヂョ)の時代にしばらく変わるが、成宗(ソンヂョン)の時代に完全に定着した。その後、朝鮮は42%前後の奴婢が存在する社会になった。これは1909年に日本が民籍法を施行して、姓氏を配るまで続いた」と述べた。

    彼は続けて、「日帝が1909年に戸口調査をして姓氏を配った際、姓氏を持っていない人口が42%だった。 それを見れば、朝鮮後期に姓氏を売買していた空名帖が一般化した後も、どれほど多くの人たちが奴婢の身分だったのかが分かる。我々の恥ずかしい歴史を振り返ることは、我々の歴史を侮辱することではない」と付け加えた。

    キム元秘書官は、「自分の間違った過去を反省するのは自虐ではなく、自己発展と成長の基礎だ」とし「李承晩(イ・スンマン)が朝鮮王朝を強く否定し、朴正熙(パク・ヂョンフィ)が朝鮮の習性を強く変え、大韓民国は隆盛に発展してきた。ガリレオの口を塞いでも地球は回ると話したのだ。なぜ不愉快であると真実に背を向けるのか?それは麻薬に酔うだけで発展の道ではない」と主張した。

    また彼は、自身の発言をめぐる論議を言論(メディア)のせいにした。キム元秘書官は、「私は大韓民国を滅ぼす一番の主犯はジャーナリストであると確信している」と述べた。

    彼は、「言葉に耳を持たず、真実に背を向け、歪曲編集して人々を誤解させて間違わせる、それが大韓民国のジャーナリストたちの最も大きな過ちだ」とし、「政治家たちは国民を分裂させるが、ジャーナリストたちは国民の考えを歪めて低能児にする。だからこそ大韓民国のジャーナリストが国家を滅ぼす一番の主犯であり、政治家が第二の主犯だと思う」と強調した。

    ソース:ザ・ファクト(韓国語)
    http://news.tf.co.kr/read/ptoday/1938307.htm

    引用元: ・【韓国】辞任したキム・ソンフェ、「朝鮮時代の女性の半分は性的快楽の対象」を改めて主張[05/14] [ハニィみるく(17歳)★]

    【反日正義の国ではファクトはタブー【韓国】辞任したキム・ソンフェ、「朝鮮時代の女性の半分は性的快楽の対象」を改めて主張[05/14] [ハニィみるく(17歳)★]】の続きを読む

    1: まぜるな!キケン!! 2021/06/23(水) 21:07:06.12 ID:CAP_USER
    「基層民の本当の相扶相助、村契がまさに住民自治」

    朝鮮時代の「村契」から住民自治の原型を取り戻して、各地域だけの歴史・文化的伝統と遺産を、住民自治を通じて活かすべきだという主張が提起された。住民自治実質化の新たなページを開く韓国住民自治中央会第2期定期会議が6月18日~20日、済州パーリープラスホテルで開かれた。

    「住民自治、愉快な反乱をしよう」というキャッチフレーズに合わせて、今回の定期会議は住民自治の理論的向上はもちろん、現場で基礎となる役立つ実行プログラムとして進められた。定期会議二日目の最初のプログラムは、パク・ギョンハ中央大歴史学科教授(郷村社会史研究所長)の「朝鮮後期の住民自治組織村契と済州道の郷会」講義だった。

    郷村専門研究学者のパク・ギョンハ教授は、「郷約は郷村規約の略字で、国家が郷村民を統制するための道具として、美風良俗の伝統を活用したと見るのが適切であると思う。両班が下層民を支配するために活用した。水平的な郷会組織もあった。それがまさに『村契』だ」とし、「郷約を30年以上研究してみると、概ね4つの性格に分類されるが、△士族の郡単位である郷村統治の道具である『郷契』、△郷会の村単位である『洞契』、△首領の郷村統治とも言える『洲県郷契』、△基層民たちの水平的郷契である『村契』がそれだ」と説明した。パク教授は、「洲県郷約の場合、李栗谷の書院郷約が代表的だが、行政的国家機関といえる。官の支援がなければ郷村自治は実現しないという趣旨で制定され、制度は良いが、運営主体によって大きく異なった」と付け加えた。(中略…)

    パク・ギョンハ教授によると、「村契」は村ごとに名前は違うが、似たような機能をしており、規模は10~50戸前後の両村(両班がいる村)対民村の割合は約2:8程度だった。主な機能としては△村の大小事を決める生活共同体△「トゥレ」に代表される労働共同体△小正月に村の守護神を祭る祭祀共同体などだ。(中略…)

    続けてパク教授は、「済州道では、村契を郷会と呼び、この郷会が村の守護神に対する祭祀を主管する。特色は、1つの村で2つの村の守護神を祀って、祭壇の1つはポ祭壇と呼ばれ、儒教式の里社之神に対して祭祀を行う。もう1つは、本郷堂といって無教式の本郷之神を祀る。この本郷神は、儒教伝来以前の村契形成時からの土俗神」と話した。

    続けて、「済州市では、儒教式の里社神が、陰事的要素の本郷堂をなくしたり儒教的表皮で覆ったりして一つの村の守護神にしたのではなく、郷約における里社神と村契における本郷神を一緒に致祭することで、支配階層の儒教的イデオロギーと儒教以前からの基層民の土俗信仰が対立・葛藤の関係ではなく、調和・融合していたことを示している」と説明した。 これについてパク教授は「一つの村で儒教的儀礼と土俗的村の守護神を共に治めるということは支配層の理念に溶けていない、すなわち基層民の影響力の程度を示している」と評価した。

    次に、30年間の踏査写真を見せながらパク教授は、「村の祝祭という伝統を再照明して、住民自治会が主管しなければならないが、最近の地域祝祭はどれも同じ様子だ。その地域の歴史的伝統をいかさなければならない。その村の人々のための祝祭、精神的一体感を得るための行事として、村の人々が主人公となる村の精神を取り戻すべきだ」と強調した。

    パク教授はまた、「百済の人々が、日本に行って古代国家を作って、私たちがやっていた村の祝祭文化も伝えられ、日本の「マツリ」が世界的な祝祭になった。しかし、我々はというと、この美しい伝統を迷信だといって、すべて無くした。先祖たちの伝統文化として再照明する努力を、住民自治会が中心となってやらなければならない。その地域住民の文化自治、経済自治などを作っていく精神的遺産を継承することが本当の自治であり、意味があるのではないか。歴史と文化を基礎に住民自治をしてほしい。村の歴史と文化を基礎とすれば長く続き、誰も反発できないだろう」と強調した。

    オンライン中央日報(韓国語)
    https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=025&aid=0003111945
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    (参考)
    基層民:国の基層をなす民。一般人、庶民。
    村契:一般の村における住民相互間の協同のための自治組織。

    引用元: ・【韓国】 地域ごとの歴史的伝統、朝鮮時代の「住民自治」を活かすべき。百済が日本に伝えた祝祭「マツリ」は世界的になった[06/23] [LingLing★]

    【他国文化の起源を主張して欲しがる乞食 【韓国】 地域ごとの歴史的伝統、朝鮮時代の「住民自治」を活かすべき。百済が日本に伝えた祝祭「マツリ」は世界的になった[06/23] [LingLing★]】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2017/09/03(日) 23:13:18.81 ID:CAP_USER
    2017年8月31日、米国の科学者らが、約600年前に現在の韓国で観測された天体現象の正体を明らかにすることに成功、韓国・朝鮮日報がこれについて「朝鮮時代の天文学の優秀性が改めて証明された」と報じた。

    米国自然史博物館のマイケル・シャラ博士の研究チームは30日、英科学誌『ネイチャー』に「韓国の天文学者らが1437年3月11日に観測した明るい星が、さそり座で起きた新星現象であったことが明らかになった」と発表した。

    「新星」は、周辺にある星から水素を吸収し核融合反応を起こして強い光を発する現象で、程度がより強い場合は「超新星」と呼ばれる。

    朝鮮時代にまとめられた『世宗実録地理誌』には、「客星は初めに尾宿(ミス。さそり座を指す)の2番目と3番目の星の間に現れたが、3番目の星との間隔は半尺ほどだった。およそ14日間現れた」と記録されている。「客星」は東洋の伝統天文学で「これまでにない星が突然現れた現象」を指す言葉だ。

    今回シャラ博士は、1920~30年代に米ハーバード天文台がペルーで撮影した客星に関わる天文写真を分析し、1437年に客星が出現したとされる同じ場所で、1934年に再び新星現象が起きていたことを突き止めた。

    韓国天文研究院のキム・サンチョル博士は「朝鮮の優れた天文観測能力とハーバード大の現代天文学の出会いにより、新星周期に対する新事実が突き止められた」と話した。

    これには韓国のネットユーザーからも「朝鮮王朝は記録オタクと思えるほど記録をしっかり残した」など称賛のコメントが寄せられているが、一方で「当時の記録にあった天体が何なのか明らかにしてくれた米国の方がすごい」「これまでご先祖様の素晴らしい記録物をろくに分析できずに、米国人が証明するまで放っておいた理由は何?」「韓国の優秀性はいつも米国や日本、欧州が見付けてくれる。韓国人は被害者意識が強いせいで先祖がどれほど光り輝く文明を持っていたのか気付いていない」など複雑な感情のうかがえるコメントも多い。

    その他にも、韓国の現在と過去を比べて「朝鮮の朱子学中心の世界観や技術の冷遇さえなかったら、韓国は世界超一流の科学強国になっていたことだろう」「さすがヘル朝鮮(地獄のような韓国)とかつての朝鮮王朝は違う」との嘆き節が寄せられ、当時の記録が漢字であったことに触れ「記録を読めるようになるには漢文教育をしなきゃ」と指摘するユーザーもみられた。(翻訳・編集/松村)

    http://www.recordchina.co.jp/b189263-s0-c30.html

    引用元: ・【韓国】朝鮮時代の天文学の優秀性、ネイチャー誌で再認される=韓国ネット「さすがヘル朝鮮と朝鮮王朝は違う」[9/03] [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: LingLing ★@無断転載は禁止 2017/04/19(水) 15:37:39.87 ID:CAP_USER
    ■世界最初の日刊紙は朝鮮時代の新聞?推定文書発見

    画像:志逢僧侶が公開した1577年陰暦11月23日付朝報。昨夜の天気が記録されている。
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    『朝鮮王朝実録』の記録で言及されていた世界最初の新聞「朝報」の実物とされる文書が発見された。

    今までは1660年、ドイツで発行された「ライプチガー・ツァイトゥング(Leipziger Zeitung)」が世界最初の新聞に知られている。

    慶尚北道永川市(キョンサンブクド・ヨンチョンシ)の也史洞(ヤサドン)に位置した龍華(ヨンファ)寺の住持・志逢(チボン)僧侶は「今月上旬に古書籍の競売サイトで入手した」と18日、話した。

    志逢僧侶は「1月に競売サイトに朝報が登場したが、4月まで誰も関心を示さなかった。私が20年間、書誌研究に関心を注いできたので入手することになった」と付け加えた。

    志逢僧侶が入手した資料は8枚となっている。朝報に掲載されたものと見られる記事が含まれている。1577年陰暦11月6日や15日、19日、23日、24日など計5日分だ。

    6日付には恭懿殿(仁聖大妃)にご機嫌をうかがう内容、経筵(王と臣下が国政を協議し学問を論じること)が開かれなかったという内容が記されている。

    15日付には数百匹の牛が伝染病にかかって死んだという内容も載せられている。23日付にはその日の天気や星座を記録した内容がある。24日付には臣下の人事移動の内容が記されている。

    朝報に対する記録は『朝鮮王朝実録』の中で『宣祖実録』1577年陰暦11月28日付に初めて登場する。宣祖が偶然に朝報の存在に気付いて大臣たちを叱る内容だ。

    また、朝報の発行に参加した約30人に過酷な刑罰を下したと、『宣祖実録』に記されている。

    宣祖が朝報の発行にこのように怒った理由は、民間や外国に国家の機密を漏洩して王室の面子がつぶれたと見なされたためと見られる。

    志逢僧侶は「朝報の発行は当時、朝廷では非常に大きな事件だった。朝報を発行した人々は突然姿を消し、朝報を入手した人々もこれを廃棄したり、隠したりしなければならなかった」と説明した。

    実際に今回発見された朝報とされる文書も書籍の表紙を作る際にリサイクルされていたところ、遅まきながら発見された。

    慶北大学文献情報学科のナム・グォンヒ教授は「形態的・内容的な面で見ると、本物である可能性が大きい」とし、ただ残念なところは、朝報のごく一部だけが発見されて文化財として認められるには困難があるようだ」と評価した。

    書誌学者のキム・ヨンボクさんは「朝報は、中央政府の主な決定や人事事項などを地方官庁に伝える役割を果たしていた」とし、「これまで朝鮮後期の筆写本の朝報がたびたび発見されてきたが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)前の朝鮮前期に印刷された朝報はまだ見つかっていない」と話した。

    彼は「今回の遺物が(8枚の)紙切れの形となっていることから、もう少し正確な追跡研究が必要だ」とした。

    http://japanese.joins.com/article/239/228239.html

    関連【韓国】世界最古とされた金属活字に「宝物の価値なし」と最終判定[04/15]©2ch.net
    http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1492214316/

    引用元: ・【韓国】 世界最初の日刊紙は朝鮮時代の新聞?推定文書発見[04/19] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【と、いう夢をみた】 世界最初の日刊紙は朝鮮時代の「朝報」、実物を発見】の続きを読む

    1: ダーさん@がんばらない ★@無断転載は禁止 2017/03/17(金) 08:56:09.74 ID:CAP_USER
    「朝鮮時代の牛伝染病治療の秘策は...小便・人糞」

    観察使の首領70人の人事考課の内容も含まれて

    「伝染病である役(牛疫)にかかった牛に人糞とミミズを入れて沸かした水を飲ませなさい。」1834年1月17日、全羅道観察使ソユグは、このような内容が盛り込まれた特異な公文書を送った。

    全羅道53の郡県などに送ったこの公文書は、下痢、発熱、脱水、分泌物など、現在の口蹄疫の症状を見せる牛役に対する一種の処方箋(藥方文)だった。

    この処方箋は「牛役を治療する秘法は人糞少しとミミズを都合に応じて導管の真ん中に入れ、火で煮て水が澄んだところを取って飲ませなさい」と処方した。

    導管とは、粘土を焼いて作った管をいう。

    また、牛役で牛が1日または2日間餌を食べていない場合は、タコ足の干物で交互に鼻を通して貫通させるようにと助言した。

    それでも治らない場合はミミズをたくさん取って、牛の口の中に入れて首を押して過ぎるようにと具体的に説明した。

    牛役が発生した農家の近隣の牛に対する注文も漏らさなかった。

    処方箋は「牛役が近くに来た時は、まず小便を飲ませる、病気でない牛に小便を一日に3~4回飲ませれば感染しない」と書いた。

    また「牛はもともと人の小便が好きなので男が牛の口に直接当てて小便をすると自ら受けて飲む、これは最高に神秘的な効果を見る」と断言した。

    全羅北道は15日、こうした内容などが盛り込まれた朝鮮後期の代表的な実学者であり、全羅道観察使を務めたプンソクソユグ(1764~1845)の「ワンヨン日録(完營日録)」1次翻訳版を出版した。

    ワンヨン日録はソユグが全羅道観察使を務めていた1833年4月から1834年12月までに全羅道監営が、つまりワンヨンがいる全州で地方統治と財政を運用しながら実行した公務を日記形式で記述した記録である。

    8冊1本で構成されたワンヨン日録は13種、1千70件の公文書を日付順に記録した行政日記、原本は成均館大尊経閣に保管されており、全羅北道昨年から今までワンヨン日録1~4巻の翻訳を終えた。

    この日記の1833年6月15日の記録を見ると、観察使が全羅道の首領など70人の上半期人事考課についても上 - 中 - 下を記録した。

    光州牧師チョウンミョンの評価は「上」だったが、仕事をまとめる能力に優れており、心中が澄んで訴えが簡単であるという説明が添えられている。

    「チョウンソン(物を運ぶ船)の穀物はどこへ行った」とのコメントが付いた海南県監ベクグィ陣営の人事考課は当然「下」だった。

    ベクグィ陣営が穀物を横領したことを観察使は既に知っていた。

    ノハクキ全羅北道文化遺産課長は「ワンヨン日録は官僚としてソユグの姿だけでなく、全羅道の社会像と生活史の記録が生き生きと含まれており、様々な文化コンテンツとして活用することができる」と語った。

    ソース:聯合ニュース 2017.03.15 15:02:26(機械翻訳)
    http://news.mk.co.kr/newsRead.php?year=2017&no=177047

    引用元: ・【韓国】朝鮮時代の牛伝染病治療の秘策は…小便・人糞[03/17] [無断転載禁止]©2ch.net

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