1: なまはげ87度 ★@\(^o^)/ 2015/03/27(金) 14:08:19.20 ID:???.net
ベオソン教授「読書と知識の風景」出版... "実像と異なり"
(ソウル=連合ニュース)キム・テシク記者=日本早稲田大学で韓国古代史を教える在日イ・セイジ教授は、2001年に出版した「作られた古代」を使用して、

※私たちが知っている古くからの韓国史は、近代国家、国民が「作り出した」表象と主張して衝撃波を与えた。

これによると、実際には(史實)を追求することを標榜した歴史が、実は、当時の権力、あるいは時代精神に野合して歴史上のその目的に応じて作り出したというものである。
18世紀の朝鮮後期の社会を別名「朝鮮のルネッサンス」と標榜して、正祖はそれを導いた偉大な君主という。 このような時代にパク・チウォンと丁若鏞はいつもそれを代弁する象徴人物として崇められたりする。
この時代に朝鮮は、資本主義社会に向けた萌芽、芽生え始めていた、実学はそのような精神を代弁するというものであった。
ベオソンソウル市立大グクサハクグァ教授の根幹「読書と知識の風景」(石の枕)は、このような朝鮮後期の歴史学の中で非常に懐疑的である。
彼の朝鮮後期は「歴史と過去は、必ず現在のロマンを照らして見る鏡」という。言葉では比較的鮮明に表れている。 コンテキストで見ると「ロマン」は「欲望」である。

※つまり、朝鮮後期といえば、今の私たちがいきなり思い浮かべる「近代」「実学」などという概念さえも無く、現在の私たち、あるいは歴史が必要に応じて、その現在の欲望を投影して作り上げた虚像にすぎないのである。

さらに著者は、私たちの歴史が標榜する史觀が朝鮮後期を必要としたと思う。
植民地主義歴史学に対抗して、私たちが近代に進む主体的な力を発見したいとした民族主義歴史学や軍事独裁に抵抗する主体として「民衆」を発見した。民衆史学は、彼らの目的に合ったターゲットに朝鮮後期に注目したものである。
このように目的に応じて、これらの歴史は、朝鮮後期に加え「内在的発展論」と「資本主義メンアロン」を植え、「実学」を組み入れたものである。
このような視点から、既存の歴史学を徹底的に反省しようとする流れが韓国知識人社会では、特にイ・セイジ教授の「作られた古代」が出版された後、2000年代に入って大幅に強くなった丹羽資本主義メンアロンと実学もそのような省察から自由でなかった。
最近では、さらに「実学」はないという主張も出ており、ペ教授はまた、これを積極的に提唱すると見ることができる。
私たちが知っている朝鮮後期の歴史の中の実像とは異なる現在、我々の欲望がもたらした虚像といえば、この時代の歴史はどのように見るべきかである。
今回の本は、実際、既存の歴史への批判でありながら、それを克服する代替の一つとしてまさにサブタイトルが標榜した「朝鮮後期の知識人たちの読み取りと書き込み」を注目する。
貞操を筆頭にパク・チウォンとホンデヨンが代表するブクハクパ、朝鮮実学の流れの中で私学の偉大な成果に選ばれる安鼎福、そしてタイプ円と丁若鏞の読書と著述活動を介して既存の歴史の中でチェックを実行する。
それによると、西洋科学的知識の受け入れに積極的だったホンデヨンはそのような書籍を「有用なジャプソ」として扱われた程度に過ぎず、ペグァン小物を楽しんだパク・チウォンも受信、
私は国政ピョンチョンハの価値を放棄していない支配があったため、正祖また、彼登用しようとしたということだ。
正祖が改革君主という見方も拒否する。 ペ教授によると、正祖は宋時が代表する朝鮮性理学のウイリロンとジョン・ジュロン(尊周論)を継承した本格的な柚子(儒子)君主として、彼が主導した文体半分は老論系のエリートを支配学的に引き寄せるための目的があった。
丁若鏞は実学の集大成育つ称賛の評判が著者の言うように、彼の当時の彼の文を読んだ人は誰もいなかった。

※このような考察を見ると、最終的に私たちが知っている朝鮮後期住む近現代の歴史が作り上げたものであり、実際とは全然違うということだ。
聯合ニュース
http://blog.yonhapnews.co.kr/ts1406/
taeshik@yna.co.kr

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引用元: ・【韓国】私たちが知っている朝鮮後期史は歴史家が作ったもの

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