まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:朝鮮人

    1: まぜるな!キケン!! 2021/12/12(日) 23:58:13.81 ID:CAP_USER
    19世紀のイギリスの旅行家イザベラ・ビショップ(イザベラ・バード・ビショップ)は、1894年から1897年まで4回にわたり韓国に長期滞在した経験を基に、『朝鮮とその隣国』という有名な旅行記を残した。本は韓国の近現代史専攻者によって隅々まで分析され、一般人の中にも読んだ者は少なくない。私は最近になって読んだのだが、旅行記的な興味よりも120数年前の朝鮮人と極東情勢に対する著者の冷静な評価が深く感じとれた。

    イザベラ・バード(韓国語の原文は “ビショップ”)は当時、アジアで唯一『文明国』の冷遇を受けた日本について全般的に友好的である。それは韓国人の読者を少々不愉快にしてしまう。例えばこのような部分である。「中国宗主国の庇護の下、朝鮮の両班(ヤンバン)は貴族的生活の風潮だった強圧と独裁の無限の機会を享受していた・・・朝鮮の農民は日本と西洋の教育を通じて、自分たちが最終収奪の対象であることが必然的な運命ではないという点と市民権、法における平等権、財産を保護できる権限を与えられた点を少しずつ悟ってきた」。

    今の韓国で市民権や法治主義、私的財産権のような近代性の基本価値を韓国に移植した主体が日本であると主張すれば、『植民地近代化論者』というレッテルをすぐさま貼られる。『土着倭寇』だと言われるかも知れない。これは今の私の言葉ではなく、清日戦争(日清戦争)を前後して朝鮮を4回も深く観察したイギリス人の主張を伝えているのである。

    イザベラ・バードの主張は続く。 「(清日戦争後の3年間で)中国との従属関係が終わり、日本が勝利することで中国の軍事力は決して崩れないという朝鮮の信頼は壊れ、政治的に腐敗した(中国と朝鮮の)二つの体制の同盟は断絶した。両班と庶民の区分は奴婢制度とともに少なくとも文書上では廃止された。野蛮的な処罰と拷問も廃止されて便利な貨幣が現金に代わり、向上した教育制度が実施されて訓練された軍隊と警察が創設された」。

    どうだろう。帝国主義の元祖国出身の旅行家が日本の帝国的野心に目を背け、法外な称賛を並べたのか。あるいはそうするかも知れない。だがしかし、清日戦争以前に朝鮮が清の属国だったこと、清日戦争後に下関講和条約を通じて、この従属関係が公式に終わったことは客観的な事実である。韓国の歴史教科書は、この事実を十分に教えていない。教科書は朝鮮の体制矛盾は目を逸らし、その結果、朝鮮を実際よりも美化している。

    韓半島(朝鮮半島)で『独立』という言葉が大衆的に使われ始めたのは、ビショップが旅行記を書いたこの頃だった。1896年に独立協会が結成され、すぐに独立新聞が発行された。中国の使臣を迎接した『迎恩門』が、現在の独立門に変わったのも1897年だった。この時の独立はもちろん、中国からの独立を指している。本来、独立していた者は独立という言葉を使う必要がない。清日戦争以前の朝鮮は、独立していたた国ではなかったのである。

    イザベラ・バードは清日戦争の後、露日(日露)が角逐する韓半島の情勢について次のように助言している。「朝鮮は自力では支えられないため、このような困難な状況が解決されなかった場合、朝鮮は日本やロシアの保護下に入らなければならないだろう」。ご存じの通り、実際にそのようになった。イザベラ・バードの次の文章が特に私の胸を打った。「使い方が分からない独立性という贈り物を朝鮮は日本から与えられた」。朝鮮は数百年間独立状態だったのだが、ある日突然、日帝に侵奪されたのではなかった。朝鮮の独立は非常に短く、それは日本が清日戦争で勝っから与えられた贈り物だった。イザベラ・バードにはそのように見えていた。

    独立という贈り物の扱い方が分からず、右往左往する朝鮮朝廷の様子をイザベラ・バードは次のように記述している。「(露館播遷で親露派が勢力を得た状況で)宮内府と王の側近は再び最も醜悪な方法で売官買職を始めた。誰も牽制しないこの悪習は最も悪辣な慣習だった。膨大な官職を掌握している王は公金を私的に流用して、自分の身近が安全で日本の干渉もなくなるとすぐさま自分の王朝の過去の弊習に復帰した」。

    ソース:毎日経済(韓国語)
    https://www.mk.co.kr/news/politics/view/2021/12/1130727/

    >>2につづく

    前スレ
    【韓国】「朝鮮人に愛国心はなく、民族的本能だけがある」[12/12] [ハニィみるく(17歳)★]
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1639310702/

    引用元: ・【韓国】「朝鮮人に愛国心はなく、民族的本能だけがある」★2[12/12] [Ikh★]

    【全く成長していない… 【韓国】「朝鮮人に愛国心はなく、民族的本能だけがある」★2[12/12] [Ikh★]】の続きを読む

    1: 荒波φ ★ 2018/05/09(水) 09:03:52.29 ID:CAP_USER
    “朝鮮籍の在日同胞3世” 鄭栄桓教授
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    金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)国務委員長が板門店の軍事境界線を越えた先月27日、在日朝鮮人(朝鮮籍)の鄭栄桓(チョン・ヨンファン)明治学院大学教授(38・写真)が仁川空港を通じて入国した。

    4日、ハンギョレのインタビューに応じた鄭教授は「金正恩国務委員長が『私たちが失った11年』という表現を使ったが、その分の時間を失った一人として“4月27日”をソウルで迎えることができて感激した」と話した。

    ■李明博・朴槿恵政府の時は入国不許可  
    ■2009年「拒否は不当」行政訴訟も敗訴  
    ■先月27日、12年ぶりに故国再訪問  
    ■「4・27首脳会談をソウルで迎えて嬉しかった」 
    ■朝鮮籍のアイデンティティ・慰安婦問題が“専門”  
    ■「在日朝鮮人は植民地・分断史の被害者」

    鄭教授は2006年に続いて12年ぶりに韓国を訪問することができた。2009年、李明博(イ・ミョンバク)政府は彼が韓国の地を踏むのを拒否した。朴槿恵(パク・クネ)政府も同じだった。2016年6月、鄭教授は自分の著書である『誰のための和解か』(日本語題:『忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任』)出版記念講演のために帰国しようとしたが、韓国の入国が止められた。

    この本は、慰安婦被害者に対する日本政府の法的責任を否定して議論を呼んだ朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授の『帝国の慰安婦』を批判する内容が書かれていた。昨年文在寅(ムン・ジェイン)政府が発足した後、ようやく彼の韓国入国の道が開かれた。これに先立ち、文大統領は「在日同胞は国籍を問わず故郷訪問を正常化させる」という政府の態度の変化を予告した。

    長い間韓国で会うことができなかった鄭教授の講演日程はハードだった。入国翌日から日本軍慰安婦研究会、歴史問題研究所、民主社会のための弁護士会、ソウル大学人文学研究院が主催した6回の講演を一週間で消化した。講演のテーマは彼自身の「アイデンティティ」であり、専攻でもある朝鮮籍問題、そして慰安婦問題だった。

    1980年、日本の千葉県で朝鮮籍の在日3世として生まれた鄭教授は、小・中・高校まで朝鮮学校に通った。日本は1947年に在日朝鮮人の国籍欄に「朝鮮」と書くように指示したが、その後、日本に帰化しなかったり、韓国国籍を取得しなかった在日同胞は「朝鮮籍」として残ることになった。その数は3万人を超える。

    南北交流協力法では、国籍と韓国のパスポートがない外国居住同胞が入国するためにはパスポートの代わりとなる「旅行証明書」を持たなければならない。鄭教授は、日本の大阪総領事館で旅行証明書を受け、2005年と2006年に二回韓国を訪れたが、2009年に急に発給を拒否された。

    彼は「私はその時まで『朝鮮』は朝鮮民主主義人民共和国であり、韓国に行くことは“転向”のように思われ、行ってはならない国だと思った。だが韓国に行けなくなると、もはや行かなければならない国となった」とした。


    2018-05-09 08:21
    http://japan.hani.co.kr/arti/politics/30532.html

    >>2に続きます。

    引用元: ・【インタビュー】 「在日朝鮮人に『南か北か』を問わないでほしい」=ハンギョレ新聞 [05/09]

    【【インタビュー】 「在日朝鮮人に『南か北か』を問わないでほしい」=ハンギョレ新聞 [05/09] 】の続きを読む

    1: 日出づる処の名無し 2017/11/26(日) 09:40:53.07 ID:5uswm5UU
    【李朝時代末当時の証言】「朝鮮事情(仏人宣教師シャルル・ダレ神父/平凡社東洋文庫)」1874年
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      『1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。
    あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもい た。
    北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮・人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
    しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ』

    引用元: ・日本統治前の朝鮮人、娘を米一升で中国人に売却w

    【【それを文明化したのが日本様w 】日本統治前の朝鮮人、娘を米一升で中国人に売却w 】の続きを読む

    1: 日出づる処の名無し 転載ダメ©2ch.net 2017/09/28(木) 11:35:59.32 ID:AQ348hV1
    米国の利上げ、英国の欧州連合(EU)離脱、崔順実(チェ・スンシル)ゲート、
    中国政府のTHAAD(高高度ミサイル防衛体系)配備報復など国内外で発生する事態のため、
    ドル投資家をはじめとする経済主体の被害が雪だるま式に増え、
    韓国も金融ストレス指数(FSI=financial stress index)を開発するべきだという要求が強まっている。

    金融ストレス指数は多様に定義されているが、この分野で最も進むカナダの中央銀行によると、
    「金融市場と政策当局の不確かな要因によって経済主体が感じる疲労」を意味する。
    価格変数は期待値が変わったり分散、標準偏差と表現される変動性が高まる場合、金融ストレス指数を高める要因だ。

    韓国はすべての価格変数の変動性が拡大しているが、ウォン・ドル為替レートの変動性が大きくなるのが問題だ。

    国会予算政策処などが出した資料によると、ウォン・ドル為替レートの変動性(一日変動率標準偏差)は
    2015年の0.41から2016年から今年1月末までは0.58と、41%も拡大した。経済主体が対応できないレベルだ。

    他の新興国と比較しても高い。2016年から今年1月末まで中国人民元は0.21、タイバーツは0.28、インドネシアルピアは0.38であり、
    韓国ウォンはこれら貨幣の1.5-2倍を超える。質的にも、平常時には新興国平均より低く、国際金融不安定期には高いという非対称性がある。

    上位先進国通貨、後位先進国、上位新興国の通貨に続き、韓国ウォンが「三流通貨」として扱われる理由だ。


    2017年03月06日13時18分 [韓国経済新聞/中央日報日本語版]
    http://japanese.joins.com/article/505/226505.html

    引用元: ・◆朝鮮人記者「韓国ウォンは無価値な三流通貨」◆©2ch.net

    【【経済主体が対応できないレベル】 朝鮮人記者「韓国ウォンは無価値な三流通貨」】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2017/09/03(日) 09:56:42.48 ID:CAP_USER
    「歴史的事実を忘れずに伝えることは、無念のうちに犠牲になった524人の朝鮮人に対する日本人の責任です」

    8月24日、京都府北部の舞鶴市で開かれた「浮島丸犠牲者追悼行事」に出席した余江勝彦・追悼会長(76)が、震える声で語った。余江さんは40年にわたり、浮島丸沈没事件の朝鮮人犠牲者を追悼する行事を開いている。

    敗戦直後の1945年8月21日午後10時、青森の大湊港で、朝鮮人徴用工やその家族など3735人(日本政府発表)が旧海軍の輸送船・浮島丸(4740トン)に乗り込んだ。戦時中の非人間的な生活から抜け出して夢に描いた故郷へ戻る、釜山行きの帰国船だった。

    しかし3日後の8月24日午後5時20分、舞鶴沖を航行していた浮島丸で謎の爆発が発生した。船は一瞬で中央部から真っ二つになり、海中へと姿を消した。近くの村の人々が救助作業を行ったにもかかわらず、524人の朝鮮人と25人の日本人乗組員が命を落とした。舞鶴に暮らす82歳の住民は「船から出た油が海を黒く覆い、住民はエンジンもかからない船に乗って、夜更けまで人を助けた」と語った。

    余江会長は78年、浮島丸の沈んだ海が見える場所に朝鮮人犠牲者を追悼する銅像を建て、毎年追悼行事を開いている。大学で彫刻を専攻し、舞鶴市で美術教師をしてきた余江さんは「朝鮮人犠牲者を悼む銅像を作ってほしい」という村の人々の頼みを聞き、銅像を作った。

    余江さんは「最初は、浮島丸事件については知らなかった。銅像作りのため資料調査をする中で、無念のうちに死んでいった朝鮮人に申し訳ないという気持ちを抱いた」と語った。

    余江さんは「戦争でさえなかったなら、植民地支配や強制連行さえなかったなら、こんな悲惨な事件は起きなかっただろう。浮島丸事件がこのまま忘れられてはならないという思いにとらわれた」と語った。

    余江会長は「追悼行事は、思想・信条・宗教の違いを乗り越え、人道的観点から犠牲者を悼むために開いている。普段は対立している民団と総連も、この日は心を一つにする」と語った。

    15年前に退職してからは、日本の各地を回り、浮島丸沈没事件について講演を行っている。朝鮮人徴用工が日本に連れてこられて直面した苦難や、無念のうちに死んでいったことなどを盛り込んだ小さな絵本も作った。余江会長は「日本の人はもちろん、韓国の人も浮島丸事件についてよく知らない。痛ましい歴史を繰り返さないためには、われわれみんなが歴史の真実を知るべき」と語った。

    舞鶴=イ・ドンフィ特派員

    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/09/01/2017090101765.html

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    引用元: ・【朝鮮日報】余江勝彦氏「浮島丸犠牲者追悼、524人の朝鮮人に対する日本人の責任」[9/03] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【それをイチャモンって言うんだよ】余江勝彦氏「浮島丸犠牲者追悼、524人の朝鮮人に対する日本人の責任」】の続きを読む

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