まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

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    1: ねこ名無し ★ 2017/10/29(日) 05:43:21.09 ID:CAP_USER
    平昌冬季五輪が目前に迫っている中、大会組織委員会は最後であろう逆転のチャンスカードを用意していた。これまで水面下で進めてきた五輪「ビッグエア」(Big Air)種目のソウル開催だ。

    ビッグエアとは、高さ50メートルの人工斜面を滑り降りてジャンプし、上下左右に回転するスノーボードの種目だ。平昌五輪のムードがあまりにも沈んでいるため、ソウルで1種目開催し、関心を全国に広めようというアイデアだった。

    コスト削減のためかつて取りざたされた五輪分散開催論とは性格が少し違うが、遅まきながらでもこのような措置を検討しなければならないほど五輪ムードは冷え込んでいた。

    検討が開始されたのは今年3月ごろだった。開催の有力候補地にはソウル・蚕室総合運動場が選ばれた。1988年のソウル五輪開催会場で30年ぶりに冬季五輪の種目を行うという象徴的な意味があった。

    今回の平昌が五輪初実施となる種目のビッグエアは、国際オリンピック委員会(IOC)が当初から都会での開催を目指して作ったスポーツだった。必要な施設の規模も小さく、総合運動場のような閉鎖空間で開催するのに適しているためだ。

    組織委員会はビッグエアのソウル開催を目指す協議をIOCとも進めてきた。五輪を盛り上げるのが至上目標のIOCは、韓国の首都で1種目開催するというアイデアを歓迎したという。

    大金がかかるというわけでもなかった。臨時構造物の五輪ビッグエア施設を建てるのにかかる費用は5億-10億ウォン(約5000万-1億円)程度だ。平昌五輪をPRするために今年8月19日、ソウル市が光化門に建てたウォータースライダーの設置費用だけで10億ウォンだった。

    「冬季五輪のPRになぜ夏の水遊び施設を?」と冷笑されたが、その施設設置費さえあればビッグエア施設をソウル市内に建てられた。大勢の観客を収容できる蚕室運動場でビッグエア種目を行えば、チケット販売の追加収入だけでも50億ウォン(約5億円)に達すると組織委員会では推算していた。

    この計画は、秋夕(チュソク=中秋節、今年は10月4日)連休を前後して事実上、完全に立ち消えになった。海外分まで含めて既に売れたチケットを取り消して払い戻す問題や、ビッグエアと他種目の両方に出場をする選手たちの移動・宿泊施設問題などが解決できなかったからだ。

    五輪の3大柱とでも言うべき組織委員会・江原道・文化体育観光部(省に相当)が早くから関心を持って準備を進めていれば、いくらでもソウルで同種目を開催し、その熱気を全国各地に広めることもできたはずだ。少なくとも現在のように沈みきったムードではなかっただろう。

    朴槿恵(パク・クネ)大統領(当時)の弾劾問題のさなか、司令塔であるべき文化体育観光部の機能はマヒ状態に陥り、江原道はやる気が感じられず、新政権発足以降は主導的に事を進める推進力がないまま、五輪開催の熱気に火をつける「ソウル分散開催」は立ち消えとなってしまった。

    一部では、来年6月の地方選挙との関連性をとりざたする声もある。「3選を狙う江原道の崔文洵(チェ・ムンスン)知事が五輪種目の1つを他地域に譲るような冒険をするだろうか」というものだ。「なぜ私たちのものを他人にやるのか」と地域住民が反発したら、票離れが食い止められない。

    五輪を国家的な祭典にするための方策さえ、選挙と政治論理に遮られて検討すらまともにできない。いや、誰のせいにもできない。これが政治万能の韓国の現実だ。

    今後は、現在の状態で五輪を成功させる方法を研究するしかない。五輪チケットの販売目標は108万枚だが、これまで売れたのは30%だけで、職員たちはが「108つの煩悩」にさいなまれているそうだ。

    2022年の次期冬季五輪開催地でありながら、終末高高度防衛ミサイル(THAAD)問題以降、平昌に冷ややかな態度を見せてきた中国との関係を改善し、中国人観光客を多数呼び寄せなければならない。北朝鮮参加問題の解決も早ければ早いほどいい。

    平昌五輪はソウル五輪から30年、2002年のサッカー・ワールドカップから16年ぶりに開催される大型スポーツイベントだ。聖火点火まであと109日と迫っている。

    スポーツ部=キム・ドンソク部長

    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/10/27/2017102702066.html

    引用元: ・【朝鮮日報】平昌五輪、花咲かせる最後のチャンスはなぜ消えたのか[10/29]

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    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/12/24(木) 23:58:24.20 ID:CAP_USER.net
    no title

    ▲純宗皇帝の銅像鳥瞰図。大礼服姿の純宗が橋の上に立っている。(写真=大邱中区)

    大韓帝国の最後の皇帝である純宗(1874~1926)は「悲運の皇帝」だ。即位直
    後の1907年、日本の強圧によって韓日新協約を締結する。これに伴い、日本人を韓国
    の官僚として任用できるようになり、法令制定などの権限を、事実上、統監に渡した。軍
    隊も解散した。1910年8月29日の韓日併合条約(庚戌国恥、韓国併合ニ関スル条約)
    で、結局は日本の植民地になった。皇帝は悲痛な毎日を送りながら昌徳宮(チャンドック
    ン)でその生涯を閉じた。高宗(コジョン)と明成(ミョンソン)皇后の次男だ。

    純宗を賛える銅像が大邱(テグ)につくられる。大邱市中区(チュング)は22日、「純
    宗皇帝オガギル象徴造形物」のデザイン設計を終えたと明らかにした。オガギルとは国王
    などが通った御幸道のことだ。

    実施設計を経て来年2月から製作に入り、4カ月後の6月に達城洞(タルソンドン)の
    達城公園入口に設置される予定だ。純宗の銅像がつくられるのは初めてのこと。

    銅像は国家の重要な儀式の時に着用する大礼服姿の純宗皇帝がアーチ型の橋の上に立っ
    ている姿だ。銅像は高さ2.5メートルで、青銅製。ソウルの彫刻家ヤン・ジャンウォン
    氏(48)の作品だ。ヤン氏は「皇帝の権威をどうしたらうまく表せるか悩んでいたとこ
    ろ大礼服が思い浮かんだ」とし「橋の上に銅像を設置するのは『民の橋になりたい』とい
    う皇帝の気持ちが込められている」と説明した。

    なぜ大邱に純宗の銅像がつくられることになったのか。純宗皇帝の訪問を記念しようと
    するものだが、単に純宗を追慕するだけがその趣旨ではない。日帝に侵奪された屈辱の歴
    史を再確認できるようにとの意味も込められている。暗い歴史から教訓を得ようとするダ
    ークツーリズム(Dark Tourism)の名所にしたい考えだ。

    純宗皇帝が大邱を訪れたのは国を奪われる直前の1909年だ。同年1月7日、民政視
    察のために統監だった伊藤博文とともに大邱を訪問した。民の暮らしを確認するという純
    粋な趣旨の行事ではなかった。1905年乙巳勒約(第二次日韓協約)、1907年国債補
    償運動に続いて軍隊を解散したことで民心が荒れると日帝がこれを鎮めるために純宗皇帝
    を前に出した。

    国王の乗った御輿の「オガ」が通り過ぎたところは大邱(テグ)駅~北城路(プクソン
    ノ)~寿昌洞(スチャンドン)~達城公園だった。当時慶尚北道(キョンサンブクト)観
    察使だった朴重陽(パク・チュンヤン)はオガの通り道に銀色の砂を敷いてその上を布で
    覆った。達城公園の進入路を拡張し、冬季の枯れた木には造花をつけて春のようにした。

    中区はこのうち北城路から達城公園までの1キロをオガギルとして整備している。中区
    はこのオガギルを「救国の道」と名付けて「大邱の近代路地ツアー」コースとして活用す
    る方針だ。ユン・スンヨン区庁長は「近代史を学べるよい教育の場になると信じている」
    と話した。

    ソース:中央日報日本語版<「日帝の侵奪史を忘れずにいよう」…韓国・大邱市、
    純宗御幸道を造成>
    http://japanese.joins.com/article/023/210023.html

    引用元: ・【韓国】 「日帝の侵奪史を忘れずにいよう」~大邱市、大韓帝国の最後の皇帝・純宗御幸道を造成[12/24]

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    1: 影のたけし軍団ρ ★@\(^o^)/ 2015/08/24(月) 10:37:09.74 ID:???.net
    北朝鮮が埋めた地雷で韓国兵が重傷を負った事件や砲撃で緊張が高まる南北軍事境界線に近い最前線部隊で最高レベルの警戒態勢が続く中、
    中西部戦線の韓国陸軍兵士らが自ら除隊の時期を先送りする事例が相次いでいる。

    韓国軍によると、最前線の見張り所などを担当する一般前哨(GOP)部隊の陸軍第5師団で部分隊長として服務しているムン・ジョンフン兵長は
    25日に除隊を控えていたが、現在の状況を考慮して除隊を延期した。

    ムン兵長は「戦友らと共に最後まで戦い勝つという気持ちで除隊を延期した」と話した。
    また、同じ部隊の砲兵連隊に服務するミン・ホンギ上兵も来月2日の除隊を延ばした。

    さらに、中西部戦線後方に位置する部隊でも除隊を先送りする兵士が相次いだ。
    http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2015/08/24/0900000000AJP20150824001200882.HTML

    引用元: ・【軍事】 前線部隊兵士ら「最後まで戦う」 除隊延期相次ぐ・・・韓国

    【あからさまな士気維持のプロパガンダ【軍事】 前線部隊兵士ら「最後まで戦う」 除隊延期相次ぐ・・・韓国】の続きを読む

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