まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:日帝

    1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/01/12(月) 14:09:44.00 ID:???.net
    日帝の侵略戦争を称賛した文を書いた事実が後に判明
    ソウル高裁、原審破棄し子孫が起こした訴訟に敗訴判決

    ソウル高裁行政9部(裁判長イ・ジョンソク)は、尹致暎(ユン・チヨン 1898~1996)初代内務部長官の子孫が「独立有功者叙勲取消は不当だ」として
    国家報勲処を相手に起こした訴訟で、原審を破棄し原告敗訴判決をしたと11日明らかにした。

    李承晩の側近だった尹致暎は、外国に留学していた時に独立運動に参加した功労で1982年建国褒章を受けた。 だが、民族問題研究所の
    『親日人名辞典』編纂作業過程で、1938年に転向声明書を発表し日帝の侵略戦争を称賛する文を書いていた事実が後に判明し公論化された。
    報勲処は尹致暎と張志淵(チャン・ジヨン)元『皇城新聞』主筆ら19人の叙勲を取り消すことにし、2011年4月の閣僚会議で叙勲の取消が議決された。
    報勲処はこれを子孫たちに通知した。

    尹致暎の子孫が起こした訴訟で1審裁判所は「叙勲取消権限は大統領にあり、国家報勲処長名義の叙勲取消は不当だ」として原告勝訴判決した。
    だが、控訴審裁判所は「報勲処の通知は、大統領が閣僚会議を経て叙勲を取り消したことを対外的に示したこと」とし、1審判決を覆した。

    張志淵の子孫も同じ趣旨の訴訟を起こし1、2審では勝訴したが、大法院(最高裁)は昨年10月「大統領が閣僚会議を経て叙勲を取り消し」たとし、
    原審を破棄し事件をソウル高裁に差し戻した。

    チョン・ファンボン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

    韓国語原文入力:2015/01/11 17:36
    http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/673042.html 訳J.S(803字)

    ソース:ハンギョレ 2015.01.12 08:11
    http://japan.hani.co.kr/arti/politics/19290.html
    尹致暎(1898~1996)初代内務部長官。//ハンギョレ新聞社
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    引用元: ・【韓国】ソウル高裁、日帝に協力した尹致暎元長官の独立有功者叙勲取消は適法[01/12]

    【 いっそのこと日系企業の財産も全て没収したら如何か。 【韓国】ソウル高裁、日帝に協力した尹致暎元長官の独立有功者叙勲取消は適法[01/12]】の続きを読む

    1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2014/12/25(木) 15:40:24.38 ID:???.net
    本『ニュートンの無情な世界』

    チョン・インギョン著

    出版:トルペゲ、280ページ

    価格:1万4000ウォン

    「朝鮮の人に何よりもまず科学を与えなければならない。知識を与えなければならない」。イ・グァンスの『無情』(1918)に出てくる
    開化論者ヒョンシクの誓いだ。植民地朝鮮の多くの知識人は、抑圧的な帝国主義と封建の残滓のもとで疲弊した民衆の人生を救う
    方法を科学に求めた。西洋の圧倒的な軍事力に清がひざまずくのを見て、朝鮮人は科学の恐ろしさを痛感した。

    だが当時、朝鮮の地に住んでいた誰も科学がいったい何なのか知らなかったために、それが朝鮮人のジレンマだった。科学は西欧
    がアジアを侵略する過程で強制的に移植されたが、一気に文明を開花させる妙薬にはなれなかった。科学はそのように朝鮮人との
    初めての出会いからゆがんだものだった。

    帝国主義の収奪が最高潮に達した1910年代を、西洋人は「ベル・エポック(良い時代)」と呼ぶ。私たちにとってその時代は暗鬱
    だった日帝統治下に入る地獄の戸口だった。だから当初から科学を眺めている西洋と私たちの間には、渡ることのできない深い
    谷間が存在していた。

    『ニュートンの無情な世界』は、私たちの視点から科学史を再構成する。ニュートン・ダーウィン・エジソン・アインシュタインなど西洋
    の近代科学で革命的な発展を成し遂げた人物の成功と、近代韓国の風景を重ねる。イ・グァンス、ヨム・サンソプ、パク・テウォン、
    イ・サンら当時の日帝統治下で耐えた知識人が、西洋文明を眺めながら抱いた自己恥辱感の入り混じった告白は切々としている。
    これと共に、西洋の近代科学が成し遂げた主な成功がどんな背景から出たものなのかも細やかに解き明かしていく。

    著者は「科学は空から落ちてきたものではなく、欧州の歴史と社会の中から生産された知識」と話す。著者は「日の沈まない帝国」
    を建設するために中枢的な役割を果たした西欧科学の文明は、きちんきちんと積み上げられた土台の上で可能だったという事実
    を細かく論証する。数学の実力は思わしくなかったが同僚科学者の支援で電磁気場を発見したファラデーや、米国産業の発展を
    背負ったエジソンの成功談は、科学の発展がインフラにどれほど大きく依存しているのかを物語る。

    日本の科学の発展も、西欧の後を追っていち早く固めた土壌の上で可能だった。アジア帝国を熱望した日本は、軍需産業の発展
    のために科学研究に拍車を加えた。人的ネットワークが不足していたためにアインシュタイン・ボーア・ハイゼンベルクなど当代最高
    の科学者を日本に招いた。同時に数多くの若い科学者を世界の有数の研究機関に送った。このような努力は1949年に湯川秀樹
    が日本で初めてノーベル物理学賞を受賞する成果としてあらわれた。

    一方、科学文明を夢見た日帝の朝鮮人らの努力は凄惨に踏みにじられた。日帝は朝鮮人の科学技術教育と高等教育を徹底的に
    押さえ込んだ。日帝時代に科学教育に努めたキム・ヨングァンは日帝の弾圧の中で獄中生活を経験した後、寂しい余生を送った。
    1946年、日本物理学会創立当時の登録会員数は2293人である一方、解放前に物理学論文を発表した朝鮮人は4人に過ぎな
    かった。科学は少なくとも朝鮮人にとっては、無情な存在だった。

    ソース:中央日報 2014年12月25日14時20分
    http://japanese.joins.com/article/504/194504.html?servcode=400&sectcode=440
    本『ニュートンの無情な世界』
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    引用元: ・【韓国】日帝が朝鮮人の科学教育を妨げた理由は[12/25]

    【日本に対するヘイト満載の書籍じゃないか【韓国】日帝が朝鮮人の科学教育を妨げた理由は チョン・インギョン著『ニュートンの無情な世界』 [12/25]】の続きを読む

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