まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:日帝強制占領期間

    1: まぜるな!キケン!! 2021/02/18(木) 08:21:00.12 ID:CAP_USER
    庚戌国辱(1910)以後、乙酉光復(解放)(1945)まで35年期間を光復(解放)後に倭政(ウェジョン)時代と呼んでいたが、いつか日政・日帝時代と呼び、この頃は日帝強制占領期間でほとんど固まった。日本帝国主義者などが我が国を強制的に占領した時期ということだ。

    強制という単語は軍人が戦争して土地を強制占領したことをいう軍事用語だ。私たちは戦うこともできず、日本の計略に巻き込まれて君主は国を彼らに与えてしまった。そして植民地民として統治を受けた恥ずかしい歴史を持つことになった。

    我が国の歴史時代区分に日本が主語になり我が国が目的語になって日本の支配を受けたことを表わすこの言葉は自尊心を傷付ける。それでも日帝強制占領期間という誤った時代区分歴史用語が堂々と使われている。

    歴史的事実を見れば庚戌年(1910年)に日本にこびた私たちの朝廷の臣下が8条からなるいわゆる併合条約文書に印鑑を押し、君主が裁可し、国を失うことになった。その文書を見れば1条は韓国全部を日本に譲与するとされており、その他はその代価として君主と手柄がある者は待遇と歳費(お金)を受けるということだ。この条約を結んで一緒に記念撮影までしたという。

    その文書の用語は併合ではなく、譲与になっており、附倭逆賊(庚戌7敵)に怒りが込み上げてくる。

    これを日本は日韓併合といい両国が合わさったと歴史用語を作った。間抜けな私たちの学者は一層強めて韓国が日本と合わせたように見える韓日合邦という偽りの用語をぺちゃくちゃしゃべりまくった。併合、合邦というのは両国が気持ち良く(?)合わせたように見える言葉なのに。

    国を失って日本人から習った彼らが習った通り、定見も主体意識もなしに日本が作った用語を使っていることが多い。日本は言葉の力を知っており、我が国にきて日本語をまき散らそうと学校をたてて日本語を国語だと教えた。そして私たちの歴史を自分たちの観点で見た通り、いわゆる植民史観を植えた。光復70年が過ぎた今でも私たちはまだこれを清算できずにいる。

    これからは意思ある我が国の人々は自国を低くし蔑視する日帝強制占領期間という言葉を口にせず、いっそ失国時代と呼ぶことを提案する。

    かつて老石リョ・グヨン(呂九淵)先生は老石集巻2失国論でこれを主張した。簡単な韓国語なら国を失った時期と言っても良いだろう。私たちは今からでも愛国を土台に置いて正しくなされた歴史用語を使い民族精気が起きるようにすべきだろう。

    チョ・ホングク/元晋州教育長
    no title




    ソース:慶南(キョンナム)(韓国語)日報日帝強制占領期間の代わりに失国時代といってこそ
    http://www.gnnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=467856

    前スレ
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1613540393/

    引用元: ・【韓国】 「日帝強制占領期間」という言葉、自尊心が傷付く~代わりに「失国時代」と言おう ★2 [2/18] [昆虫図鑑★]

    【今は失笑時代か? 【韓国】 「日帝強制占領期間」という言葉、自尊心が傷付く~代わりに「失国時代」と言おう ★2 [2/18] [昆虫図鑑★]】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/03/08(水) 21:35:31.30 ID:CAP_USER
    no title

    no title

    ▲日帝強制占領期当時、日本が戦争物資として松炭油を作るため、松脂を採取した被害痕跡が残った提川市白雲面朴逹峠一円の松。

    [忠北日報=提川]最近、山林庁が日帝強制占領期当時、日本が戦争物資として使う松炭油を作るために、我が国全域で松脂を採取した傷を調査している。

    国立山林科学院は最近、全国8地域、合計121株の松脂採取被害樹を標本調査した。現在まで松脂採取被害樹が多く残っている場所は提川(チェチョン)朴逹(パクタル)峠をはじめ泰安(テアン)、安眠島(アンミョンド)、陜川(ハプチョン)海印寺(ヘインサ)紅流洞渓谷などだ。

    特に提川市白雲面朴逹峠一円を国内で被害樹が最も多く残っている場所にあげた。提川市庁山林公園課と白雲面住民たちの証言を土台に朴逹峠休養林~舟論(ペロン)聖地間の林道周辺を確認した結果、この区間では林道の両側で多数の松脂採取被害樹が目撃されている。

    松脂採取のための傷痕は高さ1~1.2メートルが大部分で'V'字型の傷をつける方式だが、幸いに朴逹峠の被害松の健康状態はおおむね良好だと見られる。

    松炭油は松に傷をつけて採取した松脂を煮て作るもので、日本は油が不足した日帝強制占領期間末期(1941~1945)に韓半島全域で松脂を強制的に採取した。

    山林庁は松脂採取跡が残っている松の生息地を「山林文化資産」に登録して松脂採取被害樹の歴史的価値を記録文化で残す予定だ。

    このような日帝強制占領期間の収奪について白雲面の一部住民たちは朴逹峠松脂被害樹発生時期についておかしな主張をしていて注目される。一部地域で解放後も松から松脂を採取した事例もあったことが分かり、この地域住民たちもまた、解放後1970年代にも松脂採取がなされたという主張だ。80代の住民A氏は「松脂採取は日帝強制占領期間当時にもあったが1970年代、住民たちが採取した場合も多くて正確な時期の調査を並行して行うべきだ」と話した。

    /イ・ヒョンス記者

    ソース:忠北日報(韓国語) 日帝強制占領期間松脂採取被害調査
    http://www.inews365.com/news/article.html?no=484703

    引用元: ・【韓国】 山林庁、日帝の松脂(まつやに)強制採取被害樹を調査し歴史記録に残す~地元住民「解放後も採取してた」[03/08] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【こじつけがバレた】 住民たちのおかしな主張「松脂採取は日帝強制占領期間にもあったが、1970年代にも採取」】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 ©2ch.net 2016/07/12(火) 00:48:09.02 ID:CAP_USER
    「この国にも希望がある。学生たちの探求欲、世界一流の学者たちが話す難しい講演を最後まで聞いて理解しようとするその強靭な探求欲には頭が下がる。韓国の明日は明るい」。

    米国ユタ大学教授に在職中だった李泰圭(イ・テギュ)博士(1902~1992)は1964年9月、しばらく帰国して当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領を表敬訪問した席でこのように話した。
    李教授の言葉に鼓舞された朴元大統領は、彼を含めて海外に出て行っている科学者たちの帰国をすすめ始めた。それから9年後、彼はユタ大の教授職を捨てて永久帰国した。

    国内第1号の化学博士であり大韓化学会の前身である朝鮮化学会の初代会長である彼は、最初に国立墓地に安置された科学者だ。彼は日帝強制占領期間だった1931年、日本で差別と経済的困難に打ち勝って理学博士学位を取った。
    大学の師匠であり当代の日本の最高化学者だった堀場信吉教授は早くからそんな弟子の能力を高く評価して「学問に民族が別にあるものか」と朝鮮人だった彼を日本の大学教授として強く推薦した。

    教授として正式な任命を受けたが彼の好奇心はとどまらなかった。当代最高の大学者が集まっている米国プリンストン大学に渡った。彼はそこで理論化学を研究していたヘンリー・アイリング教授と運命的な出会いをした。
    2人が当時、共に研究していた双極子能率の計算についての論文は化学分野に量子力学を導入した初めての事例という評価を受けている。

    解放後しばらく帰国していた彼は1948年、再び米国ユタ大に渡りアイリング教授と研究を継続した。1955年、2人の姓を取って発表された「李-アイリング理論」は粘性物体の流れの性質を研究する分子粘性学の基礎となった。
    彼はこの理論で一躍世界的科学者の仲間入りを果たし1965年、韓国人として初めてノーベル賞推薦委員になった。1969年には韓国で初めてノーベル賞候補に上がった。
    彼が理論を研究していた真っ最中に6・25韓国戦(朝鮮戦争)が勃発した。家族の生死も分からなかった彼は研究にさらに専念した。後日、彼は家族に対する心配と思いを忘れるために没頭していた結果だったと振り返った。

    彼は不毛地帯そのものだった韓国の化学の礎を築いた。1945年解放直後、日本からしばらく帰国した彼はソウル大学の前身である京城(キョンソン)大学理工学部長とソウル大文理大学長として学問研究と教育定着のために努力した。
    1946年には大韓化学会(旧朝鮮化学会)を創立した。

    彼は1992年10月26日、大田(テジョン)KAIST(韓国科学技術院)の研究室から退勤後に亡くなった。政府は化学発展の礎を築いた功績を認め、彼をソウル国立顕忠院に安置することを決めた。
    彼が遺品として残した額縁には、彼の生涯の信念である「鋭い観察と絶え間ない努力」という言葉が記されている。

    ※本記事の原文著作権は「韓国経済新聞社」にあり、中央日報日本語版で翻訳しサービスします。

    http://japanese.joins.com/article/131/218131.html

    引用元: ・【韓国】韓国人で初めてノーベル賞候補になった「国内第1号化学博士」李泰圭氏[7/12]©2ch.net

    【【韓国】「韓国人初のノーベル賞候補」李泰圭が、日帝強制占領期間に日本の大学で、日本人教授のお世話になっていた件】の続きを読む

    このページのトップヘ