まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:戦闘行為

    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2016/04/26(火) 18:05:23.77 ID:CAP_USER.net
    来る29日は尹奉吉(ユン・ボンギル)義士義挙84周年になる日だ。よく知られたようにユン義士は臨時政府閣僚会議の承認を受けて1932年4月29日、中国の上海虹口公園(現在の魯迅公園)で開かれた「天長節(日王誕生日)」および戦勝(日本の上海占領)記念式場」を奇襲攻撃して日帝侵略軍の首魁をせん滅した。

    このようにユン義士の上海義挙は国家の承認の下になされたにもかかわらず、義挙の性格をよく知らない一部の人々はテロ云々して抗日義挙をさげすむ。真に残念なことこの上ない。辞書を見れば「テロ」は政治的敵対者または、その団体や機関に破壊、殴打、放火などの暴力を行使し相手を脅したりまたは恐怖に陥れる非合法的な行為と定義している。

    一方、戦争は国家と国家の間の武力による闘争と定義され、特攻作戦は敵地を奇襲攻撃する行為または作戦で、特攻隊は敵地を奇襲攻撃するために作られた部隊と記述されている。簡単に言えば、行為の主体が国家間の武力闘争ならば戦争で個人が敵対者や敵対機関に加えたその様な行為はテロとなる。

    上海義挙は大韓民国臨時政府が創設した「韓人愛国団」という特攻隊の作戦であり、国家の作戦計画により特攻隊ユン・ボンギル隊員が堅固な警備網を突き抜けて日本軍首脳部を奇襲攻撃したものだ。このように我が国の軍人が敵軍を攻撃した戦闘行為だ。

    日帝もユン義士の義挙はテロではなく交戦中の任務を遂行した戦闘行為と判断した。日本陸軍省人事局が1932年9月外務省に提出した「上海ニ於ケル天長節式中ノ爆弾兇変事件」というタイトルの報告書を見れば、ユン義士義挙で死亡した「上海派遣日本軍司令官、白川隊長について公務遂行中の死亡ではなく戦死で処理して欲しいという内容と、本凶変事件は上海戦闘過程で我が軍の首脳殺害を目的とした敵国特攻隊員の攻撃で発生した事件」という内容が含まれている。

    また、報告書には「天長節および戦勝記念式場」を「上海戦場」と表記した。この報告書を根拠にて日帝は「白川隊長が戦場の記念式場に移って日本軍移動司令部で戦闘を指揮している間、死亡したと判断して彼を戦死処理し、ユン義士も個人的次元のテロリストではなく非正規戦を遂行した相手交戦国の戦闘員」と判定した。

    これに伴い、日帝はユン義士を戦地で捕らえた敵軍の戦争捕虜と見なして非公開軍事裁判に回付し、単審で刑を確定した後、軍刑務所に拘禁し軍部隊領内で銃殺刑を執行した。銃殺刑を執行した法的義挙は「軍人は銃殺刑、民間人は絞首刑」に処するという日帝の死刑執行方法に従ったものだ。

    繰り返し強調するが日本陸軍省の報告書が記述しているように日帝自らユン義士の義挙を交戦行為と明確に判定した。このため、ユン義士の義挙はテロではなく国家の承認の下に遂行された特攻作戦であったという事実を裏付けることが可能になった。

    日帝も戦闘行為と評価した尹奉吉義士の義挙は蒋介石総統の言葉のように中国30万大軍がやり遂げられなかった大戦果をおさめた特攻作戦であり、韓民族独立運動史に記録されるべきであって、輝く特攻作戦義挙をテロとさげすむ詭弁を退けなければならない。

    光復70周年が過ぎた今も私たち自らユン義士の義挙をテロとするならば臨時政府の法の正統を受け継いだ私たちはテロ集団の後えいになることを肝に銘じなければならない。加えて民族が分かれて暮らす姿を尹奉吉義士が見れば嘆くだろう。統一の路、未完の光復を完成した方が夢見た完全自主独立国家を作らなければならない。

    ユン・ジュ尹奉吉研究所理事長

    ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) [なぜならば]ユン・ボンギル義挙はテロでない戦闘行為だ/ユンジュ
    http://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/741176.html

    引用元: ・【韓国】 尹奉吉(ユン・ボンギル)義士の上海義挙はテロではなく戦闘行為~なぜなら国家が承認した特攻隊員だったから[04/25]

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    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/09/28(月) 20:58:45.53 ID:???.net
    日本が韓国戦争(朝鮮戦争)当時、韓半島(朝鮮半島)で米軍が主導した国連軍を支援し、実
    質的な軍事作戦に該当する活動を広範囲に展開していたことが、国内外の各種資料で確認された。

    1945年8月の太平洋戦争敗北後、日本軍は韓半島から撤退した。しかしわずか5年後の50
    年に旧日本軍人をはじめとする多数の日本人が韓半島に再び入って軍事作戦に参加したのだ。
    (中略:◆日本、敗戦から5年後に再武装へ最初の一歩 )
    (中略:◆米軍兵站業務も日本人が引き受ける )
    (中略:◆「韓国戦争派兵」規模、日本は4番目 )

    ◆マッカーサー、日本の参戦を否定…吉田首相「記憶にない」
    日本人の事実上の参戦は韓国戦争当時も論議を呼んだ。北朝鮮の朴憲永(パク・ホンヨン)外
    相は50年10月15日、ソ連軍に捕まった日本人捕虜を根拠に「朝鮮戦争に日本軍部隊が参戦し
    たのは国際連合法と日本憲法を違反するものだ」と非難した。
    これに関し、李承晩大統領は「もし日本軍が米軍を支援するという理由で韓国の戦線に参戦す
    れば、我々は共産党でなく日本軍と先に戦う」と宣言した。韓国戦争当時に従軍記者(ロイター通
    信)として活動したチ・カプジョン国連韓国参戦軍協会長(88)は「李承晩大統領は元山上陸作戦
    後、中国共産軍の介入(10月25日)前の時点にこういう発言をした」と回顧した。
    これに関しマッカサー元帥は参戦説を強く否定した。米陸軍が発刊した戦争史記録によると、マ
    ッカーサーは「戦闘目的でなく人道的目的で日本掃海艇を使った」と米国防総省に報告した。
    51年当時に30代の議員だった中曽根康弘氏は対政府質問で「韓国派兵は日本の(平和憲法)
    基調を揺るがすものではないのか」と吉田首相に追及した。吉田首相は「記憶にない」として回答
    を避けた。
    しかし日本の参戦という歴史的真実は隠すことができなかった。ロバート・マーフィー元駐日米
    国大使(52-53年在任)は後日、「(35年間の植民統治経験で)韓国をよく知る数千人の日本人
    専門家が韓国に行き(韓国戦争を)支援していなければ、連合軍は難しい状況になっていたはず」
    と述べた。日本の韓国戦争介入を証言したのだ。
    南基正教授は「日本の掃海部隊員は民間人でなく公務員の身分で参戦した」とし「日本政府の
    国家意志があったと見なければならない」と分析した。

    ◆集団的自衛権は韓国に諸刃の剣
    日本は韓国戦争を契機に莫大な戦利品を得た。戦争特需だけで62億ドル規模にのぼった。何
    より日本は韓国戦争中の51年に開かれたサンフランシスコ講和条約で独立国となり、この過程で
    植民地賠償責任と独島(ドクト、日本名・竹島)問題で有利な立場に立った。52年3月にGHQは
    日本政府の武器生産も許可した。
    韓国戦争当時に日本人が韓国政府や李承晩大統領の同意なく一方的に韓半島に入ったという
    歴史的な記録は、韓半島に多くの点を示唆している。
    イ・ワンボム韓国学中央研究院教授は「日本は敗戦直後にも韓半島を植民地として維持するた
    めに米国・ソ連と交渉した」とし「植民地への郷愁がある日本の右翼は、韓半島に急変事態が発
    生すれば黙っていないだろう」と懸念を表した。
    ヤン・ヨンジョ国防部軍事編纂研究所軍事部長は「集団的自衛権関連の安保法案通過で日本
    がまた韓半島に入ってくる可能性が韓国戦争当時よりはるかに高まった」と分析した。さらに海上
    自衛隊は世界2、3位、航空自衛隊は世界4位と評価されるほど強大な軍事力を保有している(パ
    ク・ヨンジュン国防大教授)。
    鄭玉任(チョン・オクイム)高麗大招待教授(元米ブルッキングス研究所研究員)は「集団的自衛
    権は韓国の安保に諸刃の剣のようなものだ」とし「韓米同盟を保険とし、米国の枠の中で日本を眺
    めながら、北の挑発に確実な対応策を持っていなければいけない」と述べた。 
    (中央SUNDAY第446号)

    南基正(ナム・ギジョン)ソウル大日本研究所教授
    http://japanese.joins.com/upload/images/2015/09/20150928133921-1.jpg

    ソース:中央日報日本語版<吉田首相「韓半島海域の機雷除去は戦闘行為…秘密に」>
    http://japanese.joins.com/article/275/206275.html

    引用元: ・【日韓】 吉田首相「韓半島海域の機雷除去は戦闘行為…秘密に」~日本にはまだ植民地への郷愁がある[09/28]

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