まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:山

    1: まぜるな!キケン!! 2019/10/19(土) 00:13:56.90 ID:CAP_USER
    https://i.imgur.com/IRihNUR.jpg

    かつて、小中学校周辺の書店に広く置かれていた参考書の表紙には、白馬に乗ったナポレオンの絵が描かれていた。前足を振り上げた白馬の上でマントを翻し、皆が「不可能だ」として引き留めたアルプスを越えていくナポレオンの姿は英雄そのものだ。宮廷画家が手掛けたこの絵画は、進取的な指導者のイメージを浮き彫りにし、ナポレオンの人気を高める上で役立った。だが実際には、ナポレオンがアルプスを越える際に乗ったのは大きくて躍動的な白馬ではなく、小さなラバだったという。

     白馬の大部分は、灰色の馬が年を取って白い毛が多くなったもので、自然の白馬は非常にまれだ。このため純白のたてがみをひらめかせる白馬は、古今東西を問わず神聖な存在として扱われてきた。新羅の始祖、朴赫居世は、白馬が空に昇っていく際、その場に残した卵から生まれた。西洋の神話で力と純潔を象徴するユニコーンは、空を飛ぶ白馬の姿をしている。王子や騎士も、いつも白馬に乗って登場する。

     近代に入ってからは、絶対君主や戦争指導者が主に白馬に乗った。太平洋戦争を起こした昭和天皇は「吹雪」「白雪」「初雪」という名の白馬に乗った。イタリアの独裁者ムッソリーニ、「砂漠のキツネ」と呼ばれたドイツのロンメル将軍が白馬に乗った写真も残っている。1945年6月にモスクワの「赤の広場」で開かれたソ連軍の戦勝記念式では、スターリンに代わって大戦の英雄ジューコフ将軍が白馬に乗って軍の査閲を行った。白馬が前足を振って起き上がるのでスターリンが乗れなかった、という説もあるという。

     16日、北朝鮮メディアは金正恩(キム・ジョンウン)委員長が白馬に乗って白頭山に登る写真を複数公開した。白い毛が交じっている他の幹部の馬と違い、金正恩委員長の馬は雪のように白く、華麗な星の装飾まで付いている。北朝鮮は3代にわたり、白馬をいわゆる「白頭の血統」の象徴にしてきた。金日成(キム・イルソン)主席、金正日(キム・ジョンイル)総書記が白馬に乗った絵は北朝鮮の各所で見ることができる。金日成は白馬に乗って戦場を回り、抗日運動を行ったと宣伝するかと思えば、金正日のためには「将軍様、白馬に乗って駆ける」という賞賛の歌を作った。

     21世紀にもなって馬に乗り山に登るという時代錯誤なショーは、北朝鮮でなければ世界のどの国で可能だろうか。北の各メディアは、馬上の金正恩に向けて「偉大な思索の瞬間」だとか「世間が驚く雄大な作戦が繰り広げられるだろう」とか記して偶像化に乗り出した。シンガポール米朝首脳会談などで北朝鮮を正常な国にできるかもしれないという見方があったが、白馬ショーは、全てが詐欺だったという事実を示している。北朝鮮と共にコリアンと呼ばれるのが本当に恥ずかしい。

    イム・ミンヒョク論説委員

    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/18/2019101880131.html
    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2019/10/18 20:01

    関連
    【白馬の王子様】金正恩氏、白馬に乗って白頭山を駆ける
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1571193506/

    【食いしん坊将軍】金正恩委員長が白馬に乗って白頭山登頂「世の中が驚く雄大な作戦を展開」「引き続き自力更生の旗印より高く」[10/17]
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1571299371/

    引用元: ・【朝鮮日報/萬物相】21世紀にもなって馬で山に登るという時代錯誤な「白馬ショー」 北と共にコリアンと呼ばれるのが恥ずかしい[10/18]

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    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/02/22(水) 15:39:58.04 ID:CAP_USER
    no title

    ▲映画'高麗葬'スチールカット

    「高麗葬」(姥捨て)は年老いた両親を山の穴に放置して死んだ後、葬儀を行う風習で、現在も老いて衰弱した両親を見慣れないところに遺棄する行為を指す用語に使われることがある。

    高麗という名称のために我が国の高麗時代にあった葬儀風習のように認識されているが、このような風習があったという歴史的資料や考古学的証拠は発見されていない。そして、このような風習と関連した説話はただ我が国だけでなく世界の様々な国でも見られる。

    説話を伝える過程で、あたかもこのような風習が実在したかのように見なされ、日帝強制支配期を経て高麗葬という名称が固まったと推定する意見が支配的だ。また、高麗葬という名称は20世紀始めまで老父母を遺棄する葬儀風習より縁故を確認できない「古墳」を言う言葉として一般的に使われ、高麗塚・高麗山・高麗谷・高麗墳とも言った。

    大韓毎日新報1908年11月11日付には「最近は日人が高麗葬を掘って陶器を掘り出していくので完全な古塚がない」という文が載ったこともある。1916~17年に朝鮮総督府殖産局が調査した'古蹟台帳'にも高麗葬は古墳を指す用語に使われている。

    高麗葬という用語が老父母を山に捨てる葬儀風習を示す言葉として初めて使われたことが確認される記録は米国のグリフィス(William Elliot Griffis)が日本に留まって1882年に発行した「隠者の国:韓国(Corea:The Hermit Nation)」という本だ。
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    この本でグリフィスは韓国の古代社会で老人を生きたまま埋めてしまう高麗葬と山神や海神に人を供える人祭が盛んに行われたと記述した。しかし、グリフィスは歴史学ではなく自然科学を専攻した学者で日本政府の招へいで東京帝国大学の前身である東京開成学校で講義し、日本が主体になって朝鮮における迷信と専制王権を追放して西欧文明とキリスト教を導入しなければなければならないと主張した人物だ。

    彼は韓国を一度も訪問しない状態で日本の資料だけに依存して韓国の歴史と風習について記述したが、韓国に対する偏見に基づいて一部説話の内容をあたかも歴史的事実のように歪曲して記述した。

    そして日帝強制支配期に棄老説話が各種説話集と童話本などで紹介されながら高麗葬という風習があたかも歴史的事実のように扱われ始めた。1919年、三輪環が出した「伝説の朝鮮」と1924年と1926年朝鮮総督府と中村亮平が出した「朝鮮童話集」などでこの説話が収録された。(二冊の本に載った話は中国'孝行息子伝'にある話に由来したと伝えられる。すなわち、中国の伝説を我が国のことのように変身させた日本によって刻印されたのが高麗葬という話だ。)その後、1948に発行されたイ・ビョンドの「朝鮮史大観」、1963年に発表されたキム・ギヨンの「高麗葬」という映画等を通してその様な認識がより一層広がった。

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    ▲「伝説の朝鮮」(左側)と「朝鮮童話集」/放送キャプチャー

    日本が私たち民族の自負心を落として劣等感を与えるために高麗葬という悪習があったとまき散らしたという意見が多い。それなら日本はなぜ高麗葬を利用したのだろうか?我が国の文化財を強奪するためならどんな行為もはばからなかった日本は私たちの殉葬風習を知っており、墓の中の物を強奪するために高麗葬を利用したのだという。儒教文化が強かった我が国で墓を暴くのは有り得ないことだった。これに対し、日本は'朝鮮は高麗葬という低級な文化があったし、この墓は高麗葬を通じて作られた墓だから暴いてもかまわない'という見せ掛けの形で盗掘を行ったという。
    (後略:学者「高麗は孝の国だから親を捨てるなどありえない。日帝の歴史歪曲だ))

    ソース:朝鮮日報ニュースQ(韓国語) 私たちが老いたご両親を山に捨てたと?
    http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/02/16/2017021603110.html

    引用元: ・【韓国】 私たちが年老いた両親を山に捨てた?~『高麗葬(姥捨て)』は日帝が説話を事実とし、墓荒らしに利用した[02/22] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【日本のせいにするなよ】朝鮮日報「老父母を山に遺棄する高麗葬は、日帝の歴史歪曲」】の続きを読む

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    1: 白井黒子◆KuRokoMU3c 2014/11/03(月)18:19:35 ID:???
    故郷の山で土窟生活して窃盗行為50代検挙


    昼間には故郷の山で土窟生活して夜には村に降りてきて窃盗行為を行った50代が捕まった。

    光州(クァンジュ)西部警察署は3日、故郷の村で食物を盗んで、光州(クァンジュ)都心の食堂で現金を盗んで逃げた疑惑(窃盗)でキム某(57)さんを拘束した。

    キム氏は去る5月17日午前7時、光州(クァンジュ)西区(ソグ)華亭洞(ファジョンドン)の某食堂で食堂主人のカバンから現金100万ウォンを盗んで逃げた疑惑を受けている。

    キム氏は犯行後、全北(チョンブク)淳昌(スンチャン)地域の故郷へ逃走して昼間にはアミ山の裾山で土窟を掘って生活して、夜には村に降りてきて唐辛子、キムチ、米など食物を盗んで生活してきた。

    去る3月頃、窃盗犯罪で刑期を終えて出所したキム氏は何の職業に付くことができなくて窃盗を行って故郷の村近隣に留まった。

    村の人々はふとん、携帯用ガスレンジ、食物などが度々消える犯罪が発生しても申告さえすればキム氏が降りてきて電灯を割ってしまうなど乱暴を働いて申告を敬遠した。

    警察は携帯電話の位置追跡を通じてキム氏が故郷の村に留まっているのを確認、山で検挙した。

    デイリー韓国(韓国語)
    http://daily.hankooki.com/lpage/society/201411/dh20141103090420137890.htm

    引用元: ・【韓国】故郷の山で土窟生活していた窃盗犯を検挙(光州)[11/03]

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