まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:大韓国人

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 ©2ch.net 2016/08/16(火) 08:51:08.27 ID:CAP_USER
     朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は15日、今年で71回目を迎える光復節(日本の植民地支配からの解放を記念する日)記念式典での演説で、最近韓国国内で広がる自国を卑下する考え方を克服するよう国民に呼びかけた。
    「地獄のような国」という意味の「ヘル朝鮮」という言葉や、米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」配備と関連して中国の圧力を恐れる勢力などを朴大統領は特に意識したようだ。

     朴大統領は演説で日本との関係について「未来志向的な関係へと新たに築かねばならない」と短く言及し、北朝鮮に対しても離散家族再会行事など特別な提案は行わなかった。
    ただその一方で国内問題や自国への誇り、あるいは国民団結の呼びかけなどには多くの時間を割いた。

     たとえば朴大統領は「いつしか韓国国内では大韓民国を否定的に捉える間違った風潮が広がりつつある」「この国の偉大な現代史を否定し、世界がうらやむわが国を住みにくい国などと卑下する新造語も広がっている」などと指摘。
    その上で「自己卑下や悲観、不信や憎悪は決して変化や発展の原動力にはなり得ない」「大韓民国発展の原動力だったチャレンジ精神、進取と肯定の精神を改めて生かさねばならない」
    「『やればできる』という勇気と自信を持ち、共に突き進む共同体意識を持って努力すれば、われわれは絶対にできる」などと訴えた。

     朴大統領は「われわれは誰もが偉大な『大韓国人』であることを胸に深く刻み、力を合わせて希望に満ちた未来へ向け進んでいこう」という言葉で演説を締めくくった。
    大統領府の関係者は「朴大統領が言及した内容は、THAAD配備をめぐる韓国国内での対立や、THAADに反発する中国からの経済報復について、われわれ自身が最初から決めつけて心配している状況を念頭に置いたものだ」
    「われわれが自分から早合点して萎縮するのではなく、自信を持って堂々と事に臨むよう呼びかけるメッセージが込められていた」などとコメントした。
    朴大統領は韓国国内でTHAADをめぐる中国からの報復がやたら取り上げられる現状について「国民は自信を失っているのではないか」と懸念しているとも伝えられている。

     朴大統領はTHAAD配備問題を含む東北アジアの安全保障問題について「強大国の力学によってわれわれの運命が決まるという被害者意識や悲観的な考え方を捨てなければならない」
    「われわれが韓半島(朝鮮半島)と東北アジアの平和と安定の主役であるという責任感を持ち、周辺国との関係は能動的かつ互恵的なものへと導いていかねばならない」などと述べた。
    これについて大統領府の関係者は「われわれ自らが誇りと自信を持たねばならないという演説の趣旨の延長線上で語られた言葉だ」
    「大統領自らも韓国の安全保障に向けた自衛的措置を進め、中国の反発に萎縮せず、堂々と対応する意志を国民に示した」などとコメントした。

    チョン・ノクヨン記者

    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/08/16/2016081600760.html

    >>2以降に続く)

    引用元: ・【韓国】光復節:朴大統領、韓国を卑下する社会風潮に警鐘[8/16]©2ch.net

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    1: 動物園φ ★@\(^o^)/ 2016/04/07(木) 11:15:15.29 ID:CAP_USER.net
    【寄稿】安重根没後106年、韓国人が自ら「大韓国人」と名乗ろう

     安重根(アン・ジュングン)が韓半島(朝鮮半島)併呑(へいどん)の中心人物だった伊藤博文を狙撃した当時の状況について、1911年10月24日付のロシア・サンクトペテルブルクの新聞はこう報じた。「ハルビン駅で伊藤と随行員3人を拳銃で狙撃し『コリア、ウラー(ロシア語で万歳の意)』と叫んだ後、ロシアの憲兵に逮捕された。狙撃直後、ロシアと日本の随行員たちは気が抜けて逃亡した」

     安重根は人生最後の40日間、約200点もの遺墨を残した。その末尾には「大韓民國人 安重根 書」と記し、手形を押したが、薬指と小指の長さがほとんど同じだった。これは11人の同志と共に「断指同盟」を結成した痕跡だ。安重根は1910年3月26日午前10時、旅順監獄で死刑を執行され、31年の生涯に幕を下ろした。青春を犠牲にした大義名分は何だったのか、また(伊藤博文暗殺を)決行しようとした意志はどこから生じたのか。彼は遺墨で「欲保東洋先改政略時過失機追悔何及」と記した。「東洋を守るためには日本が政略から改めるべきだ。時が過ぎ、機会を逃せば公開しても無駄だ」という意味だ。

     日本の検察官が「伊藤博文の射殺は人倫に反することではないか」と聞くと、安重根は「よその国を奪取し、人の命を奪おうとしている者がいるにもかかわらず、それを傍観するのは、もっと大きな罪なので、除去した」と主張した。彼は独立のために人生を犠牲にし、家族も苦難の道を歩んだ。伊藤博文を暗殺してから111日後、安重根に対する死刑が言い渡され、それから40日後に執行された。遺族は1910年10月、ロシア沿海州(現・沿海地方)に移住した。翌年4月には安昌浩(アン・チャンホ)や李甲(イ・カプ)の支援を受け再び引っ越したが、そこもやはりロシア領だった。日本の追撃はその地まで及び、水遊びしていた7歳の長男は、日本の密偵が差し入れた毒入りの菓子を食べて死亡した。家族はまた引っ越しを余儀なくされ、農業を営んだ後、1920年に中国・上海に移住した。

     「正しいことをして受けた刑なのだから、卑怯に生き永らえようとせず、大義に従って死ぬことが親孝行だ」と語った母チョ・マリアと、国債報償運動(日本の植民地化が進んでいた1907年から08年にかけ、国民の募金で国の借金を返済し、国権を回復しようとした運動)に参加した妻キム・アリョの死は、その日付すらも分かっていないという。安重根が面会に来た弟に対し「私のなきがらは、ニレの木が生い茂るハルビン公園に臨時に埋葬した後、国権が回復したら故郷に移して葬儀を執り行ってほしい」との遺言を残したが、それから106年がたった今、遺骨すら捜せずにいる。たとえ短い人生だったといえ、永遠に人々の記憶の中に生き続ける方法はないのだろうか。そのためには私たちが自ら「大韓国人」と名乗ってはどうだろうか。

    アン・ミョンヨン(晋州明新高等学校長)
    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/04/07/2016040701350.html

    引用元: ・【朝鮮日報】韓国人は自ら「大韓国人」と名乗ろう

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