1: まぜるな!キケン!! 2019/05/11(土) 13:29:49.00 ID:CAP_USER
トランプ米国大統領が8日(現地時間)、韓国について「米国が好きでない国」と言ったという。防衛費分担金引き上げを圧迫する発言の中で出てきた言葉だ。トランプ大統領は支持者対象演説で「国名は言わないが『とても危険な領土』を守るために米国が多くの金を使う国がある。彼らが(米軍駐留費の)残りも出すように要求せよ」と言ったという。それを韓国を指定したものと政治評論家らは分析した。
韓国が米国を好きでない?これは間違った言葉だ。米国のズボンの裾を掴んでいるのが韓国だ。たとえ他の心を持っているとしても、米国の話を聞かなければ始まらない構造になっている。たとえ米国が好きでないとして、米国の社会や文化に対する拒否を意味するわけではない。相対的で両面的な感情の複合体と見なければならない。すなわち両国関係でそれしか方法がない構造的な問題を切り出して「反米」と断定すれば間違いということだ。
事実、反米主義は世界的に普遍化した現象だ。ヨーロッパはもちろん中東、アフリカは強度がさらに高い。東ヨーロッパ崩壊直前、東欧諸国が反ソ連主義を叫んだ脈絡と同じだ。それはどんな体系的なイデオロギーだとか整えられた社会的批判体系から出たことというよりは、一般的感情の性格が強い。米国が非合理的政策や強圧的態度を見せて、出てきた民衆の感情的対応である。
そのような面で私たちは外勢から途方もない苦しみを受けた。それで米国よりさらに隣国の日本を嫌い、中国も嫌いだ。歴史的にやられているので力ではできず、言葉で言うのだ。俗な言葉で日本人・中国人・米国人を呼ぶ時、私たちはチョッパリ、チャンケ、ヤンキーという。日本人・中国人・米国人と正しい名前を呼んだ記憶はあまりない。特に悪意があったり底意があるからではない。考えなしで呼ぶが、その言葉の中には民衆の外勢に対する拒否感情が含まれている。そこにはだいぶ複雑な性格が潜んでいる。
私たちの外勢に対する蔑称は長い間の歴史性を持っている。日本人は倭寇(背の低い海賊)、中国人は野蛮人(略奪する北方民族)であった。苦しめられるたことに対する自己防御的ヤジだ。この時、米国がそばにあれば彼らもきっと侮辱的な名前を得ただろう。
ところが、これらの国の呼称は最近になってさらに多様に刺激的に「進化」した。日本人はウェノム(倭奴)-チョッパリ-ベント(弁当?)-イルボンノム(日本奴)で、中国人はテノム(垢奴)-チャンケ-チャンコロ-チュングンノム(中国奴)と呼ぶ。米国人はヤンノム(洋奴)-ヤンキー-コジェンイ(鼻が高い人)-ミグクノム(米国奴)だ。ソ連人も当然、ソ連奴と非難を受けている。外国人は概して「ノム(奴)」と侮辱されている。
このような蔑称が人種差別的な姿勢から出たものとは見ない。外勢に対する国民感情的拒否感と恐れ、そして日頃、知らずに積もった敵対感から出た蔑称だ。被害意識にともなう民族的感情と、私たちと違えば恐ろしいと見る不安感のためにできたものだ。門を閉ざしていれば孤立し、外部は恐ろしくて不安な対象だ。昔から被害ばかり受け入たという自己防御的論理だ。
(中略:中国・日本・米国について関係を説明)
とにかく中国、日本、米国が韓国を植民地または従属国程度と見たので民衆の外因に対する視線も良いはずがない。それで各国への非難性嘲弄が出てきたのだろう。数百年の歴史でずっと被害にあった私たちが自分たちの恥辱の歴史に対する怒りをこのような形で自衛した側面があると見る。私たちにも守るべき自尊心があるということだ。
外勢に関する限り今も私たちには弱い輪がある。通りにあふれる事大主義的姿勢だ。南北が平和の時代を開くというと米国に亡ぼしてくれと星条旗を振り、どこで手に入ったのかとんでもないイスラエル旗まで持って振りまくる。旭日旗だけ聞かなかったでだけで日本にもずっと色目を投げる。外勢にすり寄って相変らず利益を取ろうとする日和見主義者などが見られる。
(中略:もう私たちは虚弱な国ではない)
私たちを押さえ付ける外勢に対する元気な悪口は必要だ。あえてあざ笑ってののしる必要はないが、「つつく」必要もない。自信を持つ必要がある。
ソース:プレシアン(韓国語) 光化門(クァンファムン)で星条旗とイスラエル旗を揺さぶるこれらに
http://www.pressian.com/news/article?no=240372
韓国が米国を好きでない?これは間違った言葉だ。米国のズボンの裾を掴んでいるのが韓国だ。たとえ他の心を持っているとしても、米国の話を聞かなければ始まらない構造になっている。たとえ米国が好きでないとして、米国の社会や文化に対する拒否を意味するわけではない。相対的で両面的な感情の複合体と見なければならない。すなわち両国関係でそれしか方法がない構造的な問題を切り出して「反米」と断定すれば間違いということだ。
事実、反米主義は世界的に普遍化した現象だ。ヨーロッパはもちろん中東、アフリカは強度がさらに高い。東ヨーロッパ崩壊直前、東欧諸国が反ソ連主義を叫んだ脈絡と同じだ。それはどんな体系的なイデオロギーだとか整えられた社会的批判体系から出たことというよりは、一般的感情の性格が強い。米国が非合理的政策や強圧的態度を見せて、出てきた民衆の感情的対応である。
そのような面で私たちは外勢から途方もない苦しみを受けた。それで米国よりさらに隣国の日本を嫌い、中国も嫌いだ。歴史的にやられているので力ではできず、言葉で言うのだ。俗な言葉で日本人・中国人・米国人を呼ぶ時、私たちはチョッパリ、チャンケ、ヤンキーという。日本人・中国人・米国人と正しい名前を呼んだ記憶はあまりない。特に悪意があったり底意があるからではない。考えなしで呼ぶが、その言葉の中には民衆の外勢に対する拒否感情が含まれている。そこにはだいぶ複雑な性格が潜んでいる。
私たちの外勢に対する蔑称は長い間の歴史性を持っている。日本人は倭寇(背の低い海賊)、中国人は野蛮人(略奪する北方民族)であった。苦しめられるたことに対する自己防御的ヤジだ。この時、米国がそばにあれば彼らもきっと侮辱的な名前を得ただろう。
ところが、これらの国の呼称は最近になってさらに多様に刺激的に「進化」した。日本人はウェノム(倭奴)-チョッパリ-ベント(弁当?)-イルボンノム(日本奴)で、中国人はテノム(垢奴)-チャンケ-チャンコロ-チュングンノム(中国奴)と呼ぶ。米国人はヤンノム(洋奴)-ヤンキー-コジェンイ(鼻が高い人)-ミグクノム(米国奴)だ。ソ連人も当然、ソ連奴と非難を受けている。外国人は概して「ノム(奴)」と侮辱されている。
このような蔑称が人種差別的な姿勢から出たものとは見ない。外勢に対する国民感情的拒否感と恐れ、そして日頃、知らずに積もった敵対感から出た蔑称だ。被害意識にともなう民族的感情と、私たちと違えば恐ろしいと見る不安感のためにできたものだ。門を閉ざしていれば孤立し、外部は恐ろしくて不安な対象だ。昔から被害ばかり受け入たという自己防御的論理だ。
(中略:中国・日本・米国について関係を説明)
とにかく中国、日本、米国が韓国を植民地または従属国程度と見たので民衆の外因に対する視線も良いはずがない。それで各国への非難性嘲弄が出てきたのだろう。数百年の歴史でずっと被害にあった私たちが自分たちの恥辱の歴史に対する怒りをこのような形で自衛した側面があると見る。私たちにも守るべき自尊心があるということだ。
外勢に関する限り今も私たちには弱い輪がある。通りにあふれる事大主義的姿勢だ。南北が平和の時代を開くというと米国に亡ぼしてくれと星条旗を振り、どこで手に入ったのかとんでもないイスラエル旗まで持って振りまくる。旭日旗だけ聞かなかったでだけで日本にもずっと色目を投げる。外勢にすり寄って相変らず利益を取ろうとする日和見主義者などが見られる。
(中略:もう私たちは虚弱な国ではない)
私たちを押さえ付ける外勢に対する元気な悪口は必要だ。あえてあざ笑ってののしる必要はないが、「つつく」必要もない。自信を持つ必要がある。
ソース:プレシアン(韓国語) 光化門(クァンファムン)で星条旗とイスラエル旗を揺さぶるこれらに
http://www.pressian.com/news/article?no=240372
引用元: ・【韓国】 外国人に対する蔑称は差別ではなく恐れからでた民衆の感情的対応~外勢に対する元気な悪口は必要だ[05/10]
【つまり朝鮮はレイシスト【韓国】 外国人に対する蔑称は差別ではなく恐れからでた民衆の感情的対応~外勢に対する元気な悪口は必要だ[05/10] 】の続きを読む