まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:侵奪

    1: 蚯蚓φ ★ 2018/02/14(水) 21:03:40.20 ID:CAP_USER
    韓国政府が「日帝残滓」と指摘を受けた「鉄道の日」記念日を変更する。

    行政安全部は12日、毎年9月18日の「鉄道の日」を6月28日に変更する内容を入れた「各種記念日などに関する規定一部改正令案」を立法予告した。

    no title

    ▲京仁(キョンイン)線電車

    行安部が記念日を変更するのは現行の「鉄道の日」であるの9月18日は実際、日帝が韓半島侵奪を目的に建設した京仁(キョンイン)線開通(1899年9月18日)を記念するために制定した「恥辱的」日付だからだ。

    政府は1964年11月に鉄道の日を指定して日帝の記念日をそのまま引き継いだ。歴史学界では「恥辱の日を大韓民国政府がそのまま引き継ぐのは問題が多い」という批判の声が提起された。

    国会で「鉄道の日再指定要求決議案」が発議され、国土交通部も事実確認および専門家の意見収斂を経て変更の立場を固めたことが分かった。

    このため行安部は高宗(コジョン)皇帝時期の1894年、我が国初の鉄道局が創設された6月28日に変更することにした。行安部は「日帝残滓清算と民族自主性回復次元で記念日を変更する」と理由を説明した。

    行安部は来月25日まで立法予告期間、各界の意見収斂を経て異見がなければ法制処審査、閣僚会議議決などの手順を踏んで公布する予定だ。

    一方、政府が代案に出した「6月28日」の場合、当時使われた陰暦にともなう日付なので適切性の論議も起きている。本来1894年陰暦6月28日は陽暦で7月30日に該当する。鉄道界の一部ではこの日を新しい「鉄道の日」に指定すべきだという意見が出ている。

    キム・ボンス記者

    ソース:アジア経済(韓国語) 「日帝残滓」論議鉄道の日記念日変える
    http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2018021309255786831

    引用元: ・【韓国】 侵奪目的で建設された鉄道の開通日である現行の「鉄道の日」は日帝残滓~記念日を変更[02/13]

    【【韓国】 侵奪目的で建設された鉄道の開通日である現行の「鉄道の日」は日帝残滓~記念日を変更[02/13] 】の続きを読む

    1: ダーさん@がんばらない ★@無断転載は禁止 2017/02/05(日) 10:01:48.46 ID:CAP_USER
    「竹島の日」は1905年2月22日、独島を「無主地先占論」を主張しながら、日本帝国、島根県に編入告示したことを記念するため、200年3月16日に島根県が指定した日から、毎年2月22日、政府官僚が出席し、独島が自国の領土であり、大韓民国が不法占拠していると行事を行う。

    最近になって日本の独島挑発が度を越えて領土侵奪野望の本性を現わしている。日本の文部科学相は、最近、「子どもたちが自国の領土を正しく理解できるよう、記載内容の充実に向けて検討している。」と語ったという。

    また、小中高の教科書に独島は日本の固有の領土であり、韓国が不法占拠していると教えている。

    また、慰安婦少女像の設置問題で在韓日本大使を本国に召還して、国内問題である独島少女像建設に対しても内政干渉をはばからずにいるではないか!さらに日本は独島を紛争地域にして独島領有権問題を国際司法裁判所に移そうとしている。

    居直り反駁も程があると言ったのか?太政官指令で、日本は自ら自国の領土ではないと宣言しなかったのか!

    太政官指令は1877年3月、当時の日本の最高国家機関である太政官が鬱陵島と独島が日本の領土ではないと確認した公式文書である。

    近代的な指摘の編纂作業を進めていた日本内務省が鬱陵島と独島を指摘に含めるかどうかについて、当時の最高国家機関である太政官に質問書を提出した。太政官は、過去の外交文書の検討をもとに鬱陵島と独島は日本と関係のない土地であるという結論を下し、これを内務省に通達した。太政官指令は、その指令文だ。

    日本では、明治維新以来、内務省の主導の下、近代的な指摘の編纂作業を進めていたし、その一環として、鬱陵島と独島の管轄問題が登場することになった。 1876年10月16日、島根県令、境二郎は、1618年から1695年までの約78年間、鳥取藩の商人、大谷九右衛門と村川市兵衛が旧江戸幕府の許可を受けて、毎年「竹島」に渡り、これを開拓した経緯と、「竹島外一島」の略図を添付して、この二つの島を島根県の管轄区域に含めるかどうかを確認する質問書を内務省の最高責任者である大久保利通に提出した。ここで「竹島」は鬱陵島、「外一島」は、江戸幕府の時代に図解した「松島」、すなわち、独島を指す。

    これに対して内務省は約5ヶ月に渡って、当時の朝鮮と日本両国間の外交交渉関連記録を綿密に調査し、同時に島根県が提出した文書を比較検討した後、「竹島外一島」二つの島は朝鮮の領土であり、日本とは関係がないとの結論を下した。しかし、領土問題の処理の重要性を認識した内務省は、これを独自に処理せず翌年1877年3月17日、当時の国家最高機関である太政官の最高責任者である岩倉具視に最終的な判断を依頼した。これにより、太政官調査局は、独自の審査を経て内務省の見解をそのまま認めて、3月20日、「竹島外一島は本邦[日本]との関係無と覚えておくこと」という指令案を作成して太政官に提出した。指令案は岩倉主宰の下に内務省、外務省、司法省、大蔵省など各省の最高責任者7人が参加する太政官会議で決裁が行われ、3月29日に正式に指令文として内務省に通達された。そして、4月9日には、内務省がこれを再び島根県に通達して二つの島を管轄地域に含まないように措置した。太政官指令は、事実関係の緻密な検討の結果、当時の日本政府自らが鬱陵島と独島が自国の領土ではないという事実を認めた公式文書である。[出処:韓国民族文化大百科事典]

    加えて、独島が韓国の領土であることを裏付ける資料は、鬱陵島と独島が日本の領土ではないと明示した日本の「太政官指令」(1877)と同様に、鬱陵島と独島を朝鮮の領土と表示している「三国接日向も」(1785)と独島を鬱陵島の管轄区域とすると内外に宣言した「大韓帝国勅令第41号」(1900年)と独島が韓国領と表示されている「連合国最高司令官の指令第677号の付属地図」(1946)など、多くの資料がある。

    日本はもう根拠のない独島を竹島と無理な主張をしないで、竹島の日の行事を直ちに中断して領土侵奪を謝罪しなければならない。

    また、歴史的、地理的、国際法で大韓民国の固有の領土である独島を歴史歪曲と領土侵奪野望の本性を明らかにした日本の主張に対して断固として対処しなければならないものであり、独島防波堤と上陸支援センターを早急に設置して、独島の実効的な支配を強化すべきである。

    独島を守る大韓民国対馬本部本部長チョクムジェ

    ソース:urinews 2017/02/03 [13:35](機械翻訳)
    http://www.urinews.co.kr/sub_read.html?uid=34698

    引用元: ・【日韓】日本は竹島の日の行事を廃止し、独島侵奪野望を謝罪せよ![02/05] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【理解できんわ】独島を守る大韓民国対馬本部本部長「日本は竹島の日の行事を廃止し、独島侵奪野望を謝罪せよ」】の続きを読む

    このページのトップヘ