no title


1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/04/19(日) 10:04:20.34 ID:???.net
【新刊】テ・ヒウォン著 『整形』
囚人376人、美容整形後に99%が社会復帰果たす
就職・結婚…より良い自分になるための精神治療の一種?

ひどく不細工なジャズミュージシャンの男がいた。セクシーな悪役タイプの不細工ではなく、失敗者タイプの不細工だ。
「ほかのミュージシャンたちよりも何倍も才能があるが、不細工なのでチャンスが巡ってこない」というマネージャーの
しつこい説得により、彼はその都市で一番有名な医者から整形手術を受ける。隣の部屋には「有名なことで有名な女」
リンディ・ガードナーがいる。「下品で嫌けが差すような世俗的な全てを要約し代弁する女」だ。彼は自嘲(じちょう)する。
有名になるために顔をいじった「音楽界のリンディ・ガードナー」になろうとした自分自身のことを。日系英国人カズオ・
イシグロの短編小説『夜想曲』だ。『整形』というタイトルの本を読みながら、この男女二人のことを思い出した。

この本の裏表紙には次のような文章がある。「果てなき自己改造のスパイラルから自由な者とは誰なのか?」。
そうだ。この本は「より美しく、より若く、より魅力的に見えることを拒否できる者がいるのだろうか」と問いかける
本なのだ。誰がこの「リンディ・ガードナー」を非難できるだろうか? 誰が整形しようとする人を非難できるだろうか? 
人並みでない者は人並みになるために、人並み以上の者はさらにそれ以上のものを得るために、顔や体にメスを
入れる。整形は不細工な男や不細工な女だけのものではない。金もうけや人生で成功したい者は非難されないのに、
なぜ整形する者は非難されなければならないか? 生まれたままの姿に満足して生きなければならないという
「身の程を知った生き方」の強要ではないのか? それは前時代的な認識の一種ではないのか?

醜いのは罪だった。一昔前のことを考えてもそうだ。米国の美容整形外科医たちは劣っているというコンプレックス
の概念を支持し、自らを「心を治す外科医」と定義する。韓国の美容整形外科第1世代に当たるユ・ジェドク氏は、
満足な手術ができたとき「医師は患者を精神的に救ったことになる」という論文を発表した。1963年のことだ。
だから整形は積極的で情熱的な精神科治療の一種だったのだ。では、現在はどうなのだろうか。

この本の著者にインタビューされた女性たちは語る。「就職や昇進のために」「より良い(?)結婚のために」
「整形した人が得をする世の中で、(整形していない自分は)損をしている感じがするから」手術した、と。
より良い自分になりたいということだ。つまり、やはり精神や心の問題になる。そうだ。肉体は心を支配するのだ。
確かにそうした面もあると思う。同書にはこうしたことに関連した興味深い事例が引用されている。米国人医師
ジョン・ピック氏が1948年、学術誌に整形で顔を変えた囚人376人を10年間追跡調査した結果を発表した。
囚人たちのうち再び収監されたのは1.07%だけで、残りの99%は社会復帰に成功、その理由を「容姿に自信を
持ったからだ」と分析したのだ。さらに、この囚人たちの容姿がもっと早く変わっていたら、犯罪者には
ならなかっただろうとも主張している。急進的な考え方だ。この論旨を犯罪予防学の観点で受け入れれば、
不細工な者たちを国が整形させれば犯罪を予防できるという話になるからだ。

何だか苦々しい。不細工に生まれたのも、金がないのも、出世できないのも、全て罪になる時代だ。私は
「罪人」ではないと誰が言えるだろうか。「私は人並みだ」とか「私は普通だ」と主張することもできるだろう。
だが、人並みとは、人並み以上の人たちと一緒になった瞬間、劣っていることになるのだ。これこそ集団の
論理であり、人間は集団に属するしかない。人間にとって生きていくこととは自分を証明することだ。
より良い自分を果てしなく証明し続けなければならない。何としてでも、やらなければならない。

死ぬまで問いかける。私たちは人並みの人生に満足しなければならないのか? もっと愛されることのできる
可能性を啓発(あるいは開発)してはいけないのか? 何と答えるべきなのか。88ページ、1万5000ウォン
(約1600円)

小説家ハン・ウンヒョン

ソース:朝鮮日報 2015/04/19 06:04
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/18/2015041800864.html

引用元: ・【韓国】醜いのは罪、今の私は人並みじゃない[04/19]

【嫌な社会だな【韓国】醜いのは罪、今の私は人並みじゃない。 損をしている[04/19]】の続きを読む