まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:交流

    1: 荒波φ ★ 2018/03/01(木) 11:06:35.33 ID:CAP_USER
    「若者の街」として人気の弘益大学前の通りに「慰安婦少女像」を設置するかどうかをめぐり、設置主側と大学・商店主側が対立している。ある団体が弘益大学正門前に少女像を設置すると宣言、これに同大学や近くの商店主らが反対したものだ。

    「繁華街のど真ん中に少女像はそぐわない」「日本との交流に支障が出る」という理由からだ。

    28日午後7時、ソウル市麻浦区内の弘益大学正門前。少女像を載せた小型トラックが正門前に近付くと、大学関係者が前を遮った。双方は夜遅くまで正門前で対峙(たいじ)した。

    弘益大学は26日に麻浦区庁に公文書を送って少女像設置反対の意思を表明、「大学の正門に特定国の国民が拒否感を抱いている造形物を設置するのは大学の国際化努力に反する」と説明した。事前の話し合いがなく、場所が狭いことも反対の理由に挙げた。

    今回の少女像設置は麻浦区議会の共に民主党所属議員が昨年から勧めてきたものだ。同地域で「麻浦平和の少女像設置推進委員会」を作り、3000万ウォン(約300万円)を集めた。除幕式は三一節(独立運動記念日、3月1日)に行われる予定だ。

    当初の設置場所はソウル市麻浦区上岩洞の旧日本軍駐屯地だった。京義線水色駅から列車に乗り、中国などに連れて行かれた慰安婦の集合場所だった。少女像を設置するのに象徴的な場所だと判断されたが、交通の便が良くなく、人通りも少ないという理由で取り消された。

    そうした時、募金に賛同した学生たちが「弘益大学 歩きたい街」広場への設置を提案した。設置を主導したイ・ボンス区議会議員は「若者層や外国人が多く訪れ、歴史意識を高める効果がある。『歴史観光』スポットとしても活用できる」と話す。

    ところが、弘益大学商工会が反発した。ある商店主(23)は「私自身も慰安婦問題の解決に関心があるし、(ソウルにある日本大使館前の)水曜集会に参加したこともある。しかし、慰安婦と何の関係もない弘益大学前の繁華街に少女像を立てることに何の意味があるのか分からない」と言った。

    別の商店主(37)は「弘益大学前の通りは夜になると酔っぱらいでいっぱいになる。汚物の投げ込みなどのトラブルが起きたら、混乱がさらに大きくなるばかりだ」と語った。

    推進委員会は弘益大学正門前を最終設置場所に決めた。すると、今度は弘益大学側が反対した。商工会も「場所を移しても弘益大学前の繁華街の中であることは変わりない」という考えだ。また、「この少女像が近隣住民の意見聴取後に開かれる公共造形物審議委員会からの許可申請が出ていない点も問題だ」と指摘している。


    2018/03/01 11:00
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/03/01/2018030100720.html

    引用元: ・【朝鮮日報】 少女像設置めぐり弘益大・周辺商店主ら反発「日本との交流に支障」 [03/01]

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    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2016/12/05(月) 19:27:46.31 ID:CAP_USER
    【ソウル聯合ニュース】大韓貿易投資振興公社(KOTRA)による「次世代韓日協力ビジネスフォーラム」が2日に東京で開かれ、投資や人材交流の活性化を模索した。KOTRAがこのほど、伝えた。

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    ビジネスフォーラムの会場(KOTRA提供)=(聯合ニュース)

     投資説明会では韓国への投資に関心を持つ日本企業約170社に対し、韓国の先端素材、バイオ製薬、情報通信技術(ICT)分野についての紹介が行われた。

     韓国臨床試験産業本部のチ・ドンヒョン理事長は「日本の製薬会社と韓国内の臨床試験センターのパートナーシップ構築を支援できるようになり、大変うれしい」と述べ、両国の新薬開発に臨床試験で寄与したいとの意向を示した。

     韓国三井物産の社長を務め、現在も韓日両国経済の橋渡しを行っている中島透氏は、韓国人の強みである活力により独創性を発揮すれば新しい事業や投資のチャンスを創出できるだろうと話した。

     KOTRAは在日韓国大使館と共同で人材交流セミナーも開催した。日本企業の人事担当者約100人が参加し、アマゾンジャパンなど26社が韓国の若者200人余りと採用面接を行った。

     KOTRAの金宰弘(キム・ジェホン)社長は「これまでの50年が部品供給のネットワークを通じて韓国と日本の経済がつながっていたとすれば、これからの50年は新産業分野で両国の資本と人材が活発に交流する時代になるだろう」と話した。

    http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2016/12/05/0200000000AJP20161205002200882.HTML

    引用元: ・【日韓】韓日ビジネスフォーラム 投資や人材交流の活性化を模索[12/05] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【後援にみずほ銀行】KOTRAの金宰弘(キム・ジェホン)社長「新産業分野で両国の資本と人材が活発に交流する時代になる」韓日ビジネスフォーラム 投資や人材交流の活性化を模索】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2016/11/22(火) 23:28:03.55 ID:CAP_USER
    古代朝鮮半島文化と縁が深い
    弥生,古墳時代の遺物が釜山に来た 
    釜山の福泉博物館
    「日本古代文化への招待」展12月4日まで

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    埴輪土器をイメージした「日本古代文化への招待」展ポスター=福泉(ポッチョン)博物館提供//ハンギョレ新聞社

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    「日本古代文化…」展に出てきた近畿式大型青銅鈴。鳴らすためでなく祭礼に使われた用具と見られている=福泉(ポッチョン)博物館提供//ハンギョレ新聞社

     朝鮮半島から日本列島に大陸文明が伝えられた時期はいつからだろうか?

     多くの韓国人は百済の時にすべて伝えたと断定しているようだ。考古学的に確かめてみれば、その時期はしばらくさかのぼる。

     少なくとも紀元前6~5世紀頃からは朝鮮半島の農耕民が日本列島に渡って行き、縄文土器を作っていた新石器時代の土着民と共生して、紀元後3世紀頃まで今日の日本文化の原形を作り出した。

     狩猟、採集文化が稲を栽培する農耕文化に代替され、朝鮮半島のものとうり二つの土器、青銅・鉄器を特徴とするこの時代を弥生時代と呼ぶ。(弥生は、この時期の土器が初めて発見された東京都内の地名に由来する)

     日本との縁が初めて生まれた弥生時代とその直後の古代国家の基礎を作った古墳時代の代表的な遺物を披露する展示が、釜山東莱(トンネ)の福泉(ポッチョン)博物館で開かれている。

     博物館開館20周年と釜山-福岡文化財交流20周年を記念して開かれた国際交流展「日本古代文化への招待」だ。福岡市博物館など日本各地の13の機関から遺物2500点余りを借りてきた。

     展示場の遺物は、扶余(プヨ)松菊里(ソングンニ)など韓国国内の青銅器・鉄器・三国時代の主要遺跡遺物と類似したものが多い。

     弥生時代に該当する福岡の宇木汲田(うきくんでん)遺跡と佐賀県の桜馬場(さくらのばば)遺跡の多鈕細紋鏡、細形銅剣は、朝鮮半島のものと区別するのが難しいほどだ。

     世界的な古代村落遺跡である吉野ヶ里から出土した鐵鏃、鉄手刀(刀子)、土器も朝鮮半島からの影響を受けていることがすぐにわかる。

     もちろん弥生時代末期と古墳時代になれば、槍の一種である銅戈や、兜、甲冑、青銅鈴など朝鮮半島とは異なる特有の様式が生じて、次第に日本だけの特徴を持つ文化に変遷していったことも感じられる。

     1メートル以上の巨大な青銅鈴(銅鐸)は朝鮮半島では見られないものだ。

     古墳時代の墓を飾った円筒瓦“埴輪”は日本特有のミニマルな造形性が宿った遺物だが、全羅道の海岸部などでも出てくる出土品なので、韓日古代史の深淵に対する想像力を刺激しもする。12月4日まで。

    ノ・ヒョンソク記者

    http://japan.hani.co.kr/arti/culture/25729.html

    引用元: ・【韓国】朝鮮半島文明が日本と初めて交流した時代は?[11/22] [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2016/03/24(木) 00:22:12.44 ID:CAP_USER.net
    【ソウル聯合ニュース】韓国とフランスが友好を深める「韓国内フランスの年」が23日、始まった。

     両国の国交正常化130年(6月4日)を記念する「2015~2016 韓仏相互交流の年」の関連事
    業の一環で、年末まで文化や教育、経済などの分野で計350に達する多彩なイベントが開催され
    る。フランスでは昨年9月、「フランス内韓国の年」が始まり、今年8月まで関連イベントが開かれる。

     ペノーネ駐韓フランス大使はソウル市内で行われた記者会見で、「『フランス内韓国の年』はすで
    に大きな成功を収めている」として、「『韓国内フランスの年』のイベントを通じ、世界に開かれている
    開放的なフランスがしっかり紹介されることを望む」と述べるとともに、韓国の若者の参加を呼びか
    けた。

    聯合ニュース

    ソース:朝鮮日報日本語版<「フランスの年」幕開け 交流拡大目指す=韓国>
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/03/23/2016032302885.html

    引用元: ・【仏韓】 韓国とフランスが友好を深める「韓国内フランスの年」幕開け、交流拡大目指す[03/23]

    【ガリアとはコリアが訛ったもの【仏韓】 韓国とフランスが友好を深める「韓国内フランスの年」幕開け、交流拡大目指す[03/23]】の続きを読む

    1: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2016/01/31(日) 22:27:46.30 ID:CAP_USER.net
        チョン・ミン『18世紀韓中知識人の文芸共和国』

     しばしば「日本を無視する国は世界で韓国だけ」といわれる。だが、こうした気概(?)は悠久の伝統らしい。18世紀朝鮮の支配層は、
    当時世界最強だった清帝国を「オランカイ(満州女真族)の国」とさげすんでいた。現代韓国の国是が「南北統一」だとするなら、当時の
    朝鮮の国是は「北伐」だった。

     北伐という理念が社会を抑え込んでいた18世紀後半、「中国に熱狂する」異端児たちが現れた。後に「北学派」と呼ばれるようになる
    朴斉家(パク・チェガ)、柳得恭(ユ・ドゥクコン)、李徳懋(イ・ドクム)といった人々だ。彼らは清を「オランカイの国」と見なしていた朝鮮の方が
    むしろ頑迷と考え、同時代の清の学者らと知的なパイプをつくった。

     世界帝国だったモンゴルと高麗が直接つながっていたころから数百年ぶりに、韓半島(朝鮮半島)の人々が同時代の世界と足並みを
    そろえたという大事件だった。

     さらにこの人々は、日本を野蛮と見なす伝統的な観念からも抜け出した。当時の日本の学界は、清が作った百科事典『古今図書集成』を
    朝鮮より先に手に入れ、自国人の本を『四庫全書』に含めることにも成功していた。北学派はそんな日本の学界を、対等な討論の
    相手として認めた。かくして18世紀後半、東アジアに「文芸共和国(レスプブリカ・リテラリア)」が誕生した。

     韓中日と台湾・北朝鮮が「どんぐりの背比べ」のように争い合っている現在では想像し難い、緊密な知的ネットワークの存在を初めて
    明らかにしたのは、藤塚鄰=1879-1948=という日本の研究者だった。20世紀初めに清の学術を研究していた藤塚氏は『清朝文化
    東伝の研究』という記念碑的な著作を残した。

     しかし当時、世界の学界で藤塚氏の研究は注目されず、藤塚氏が収集した貴重な文献は戦争により散逸した。その一部が1950年代に
    ハーバード大学燕京研究所に入ったが、そこでも藤塚コレクションは長年忘れられたままだった。そして2012年、燕京研究所を訪問した
    チョン・ミン氏に、藤塚コレクションが語り掛けた。「自分たちを忘却の中から救い出してくれ」と。

     本は自分の価値を分かってくれる研究者に声を掛け、研究者は暗闇の中にいた貴重な資料を芋掘りのように次々と掘り出した。
    チョン・ミン氏の『18世紀韓中知識人の文芸共和国』(文学トンネ社)は、そんな不思議な現象を立証するリアルな記録だ。

    金時徳(キム・シドク)ソウル大学奎章閣韓国学研究院教授

    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2016/01/31 05:01
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/01/30/2016013000495.html

    引用元: ・【朝鮮日報】戦いの代わりに交流を選んだ18世紀の日中韓[1/31]

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