1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2016/04/05(火) 19:26:58.66 ID:CAP_USER.net
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▲6・25当時のリュ・ヒョンソク氏、前列左側.
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▲リュ・ヒョンソク氏

(前略:これまで戦後を扱った大著、「6・25参戦少年志願兵」「洛東江」「三八線」を書いてきたリュ・
ヒョンソク(柳亨錫, 82)氏の紹介と「三八線」を書いた経緯)

-38度線決定過程で日本の責任が大きいといいましたが。
「朝鮮総督府の官吏だった森田芳夫は《朝鮮終戦の記録》で“日本がポツダム宣言受諾を最終的
に決めた御前会議は8月9日夜だったが、もしそれが広島に原爆が投下された8月6日だったら、
ソ連は参戦の機会を失い、朝鮮の38度線分割の悲劇はなかっただろう”と書いた。彼はまた“9日
夜の御前会議で軍部強硬論が勝ったならば、ソ連は南部サハリン・北海道・奥羽まで進出すること
によって日本は米・ソで分断されるところだった。実に8月9日夜の天皇の聖断は日本をこの運命
から脱し、朝鮮が日本の代わりに二つに分かれる結果になった”と記録した。この場合、韓半島は
全部ソ連軍の占領下に入る。これは森田の意見ではなく事実だ。私たちが様々な面で運がなかっ
たというほかはない。」
(中略:日本が降伏する機会は何度もあった)

-軍国主義に染まった軍部と天皇がまったく理性的で常識的な判断をできない状態だったと見える。
「言ったように日本が降参する機会は何回もあった。最後に8月6日、広島に原子爆弾が落ちた時
でもあれこれ考える必要はなく、無条件にポツダム宣言を受諾するべきであった。この時が韓半島
の分断を逃れる唯一の機会であった。しかし日本は降参しなかった。8月9日夜に開いた御前会議
で軍部強硬実力者は一段もっと上げた。」(中略)

-ソ連軍が韓半島ではなく日本本土に進撃する方法はなかったのか。
「ソ連が対日宣戦布告をして日本を攻撃するならば、当然、日本本土を攻撃するべきだった。とこ
ろがソ連軍は韓半島の北端、咸鏡北道(ハムギョンブクド)に侵攻した。もちろん国境が接していて
地上軍が進撃するのに便利だったし、最もたやすい方法だったからと判断される。しかし、戦争相
手は日本だ。当然日本本土に進撃するべきであった。近距離にあるサハリンを経て日本の北海道
に進撃するのはそれほど困難ではなかった。韓半島に進撃するより負担は多少大きいが、日本本
土を攻撃することとその植民地、韓半島を攻撃することとは実利面で雲泥の差がある。日本を共産
化できたし、それはアジアを握ったことと同等の実利が伴う。米国をアジアから押し出すことより大き
い利益があるだろうか?結局、韓国の意地悪な運命だ。」

-その結果、日本は天皇制維持はもちろん、戦犯の天皇の安全は確かに担保受けたようだ。
「結局、日本軍部の強硬な態度で原子爆弾一つさらに殴られ中立条約を結んでいたソ連の攻撃ま
で受けたので手をあげたまぬけな日本は自分も滅びて韓国も滅びるようにしたのだ。日本が最小
限、広島に原爆が落ちた時に降参をしていたらソ連軍は対日参戦の機会はなかったし38度線は
生じなかった。韓民族の運命だ。」(中略:米軍が日本を過大評価しソ連の参戦を求めた)

-無条件降伏で崩壊した日本は本来6・25戦争(朝鮮戦争)を通して経済が復興したことは良く知ら
れた事実だ。
「韓半島で戦争が起きた隙に日本は経済復興の機会をつかんだ。韓国戦に参戦した国連軍の軍
需調達を日本が引き受けることによって日本が今日、世界経済第三の大国に発展する契機を準備
した。韓国を植民地にしてあらゆる人的・物的収奪で韓国を絞り取って自分たちのお腹を満たした
日本が、のろま降参で韓半島を南北に分け、その‘おかげ’で敗戦の灰から経済を復興させたので
結果的に降参を遅らせたことが災い転じて福となす結果になった。韓半島分断のおかげを正確に
見たものだ。結局私たちには‘死ね’で、日本には‘生きろ’といった怪奇な歴史の運命に違いない。」
(後略)

文|イ・サンフン朝鮮pub記者

ソース:朝鮮日報(韓国語) "日本が二日だけはやく降参しても韓半島は分断されなかった"(部分訳)
http://pub.chosun.com/client/news/viw.asp?cate=C02&nCateM=M1001&nNewsNumb=20160419884&nidx=19885

引用元: ・【韓国】 「韓半島分断は日本の責任が大きい。降伏を遅らせソ連軍の参戦を招いた」~「三八線」著者、柳亨錫氏[04/04]

【馬鹿ップリを遺憾なく発揮【韓国】 「韓半島分断は日本の責任が大きい。降伏を遅らせソ連軍の参戦を招いた」~「三八線」著者、柳亨錫氏[04/04]】の続きを読む