1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/07/20(木) 01:02:11.52 ID:CAP_USER
◇『植民地トラウマ』/ユ・ソニョン著/青い歴史/2万ウォン
1905年、乙巳保護条約で朝鮮は事実上日本帝国主義の植民地になった。40年後の1945年8月15日、米国を中心とした聨合軍によって日帝から解放された韓半島は深刻な理念的混乱を経て大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国ができた。分断は自由主義陣営と共産主義陣営のどちらか一方の独占を許さない地政学的弱点のため、避けられない半島の宿命だった。
「憎しみと呪いの竹槍」が乱舞した理念的対立は済州(チェジュ)4.3抗争、麗水(ヨス)順天(スンチョン)事件、国民保導連盟事件、パルチザン、6.25動乱(朝鮮戦争)につながって日帝時代の独立運動期間よりはるかに多くの民衆の命を奪い去った。そのような憎しみと呪いの文化は戦後も持続し、現在の私たちまで流れて今日も各種「嫌悪サイト」が竹槍の憎しみと呪いを貼りつけている。私はこの憎しみと呪いの根元が「(日帝)植民地トラウマ」だろうと漠然と考えてきた。
通常の歴史はある事件、時期、意味を中心に記録される。従ってこのトラウマは定性的に分析され、推測されるだけで定量的な歴史として記録されるのは難しい。歴史学者ユ・ソニョンは日帝の植民地市民として体験した身体的、精神的、感情的暴力と侮辱の外傷が亡国の国民に「集団不安」心理と劣勢集団に向けたテロ-ジェノサイド(集団虐殺)として噴出する攻撃性を植え付けたという。
私は普段、日帝によって形成された階級的、暴力的文化の残滓が憎しみと呪いの姿で今まで私たちの社会をくるんでいると主張してきたが、その残滓がつまり「内在した不安と攻撃性」であったことをユ・ソニョンの「植民地トラウマ」で確認した。
「未開な二等国民」と「軽蔑」された植民地市民は劣等感と近代化された外観の征服者に対するあこがれで、彼らと同一と認められたい欲望(優越感)の制限的噴出のため、内側に攻撃性が積もった。皮膚の下に隠れた攻撃性はヒステリーや過敏症として表出される。
「植民化はすべての社会構成員に自身のアイデンティティが何なのかを問いかけ、様々な可能性の一つを選択するよう強制する体制」なので、特に社会が不安定な時、個人は「アイデンティティ」に最も敏感に反応するよう訓練される。
植民地朝鮮での侮辱は民族感情という民族的結束と連帯、抵抗戦線を形成したが、反面、体制に順応する親日転向者を量産もした。「満州の都市で新女性らは自身が朝鮮人であることを見つけられず、日本語を流ちょうに駆使して洋装で近代性を誇示しながら無表情、無関心、冷笑的表情で他の人々と距離を維持しようとした」ことは自ら知っている二等国民の劣等感と不安感のためだった。「朝鮮人は他の朝鮮人が成し遂げた成功をばかにし、低評価する傾向がある」という第3者の評価のように、植民地市民は「自分自身が享受する成功まで信じない」という「病気」を病むことになった。
従って政治的、性的(ジェンダー)、階層的優越感や劣等感で行使する侮辱と無視、竹槍の呪いと憎しみの時代を越え、みなが切実に望む相互認定、妥協、協力政治、統合の時代に行くためにはあの病気と外傷が残したトラウマを治癒できる処方から研究することが先決であるようだ。恐らくその処方は植民史を軽やかに跳び越える「歴史の軽快な進歩」ではないか。
チェ・ポギ、コラムニスト
ソース:ニュース1(韓国語) [チェ・ポギの冊褓期]国一度奪われればこのように大変で
http://news1.kr/articles/?3052057
引用元: ・【書籍】 私たちの憎しみと呪いの根元は日帝の階級的、暴力的文化による外傷~ユ・ソニョン著「植民地トラウマ」[07/19] [無断転載禁止]©2ch.net
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