1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 ©2ch.net 2016/08/12(金) 08:36:36.81 ID:CAP_USER
『在日朝鮮人ー歴史、その先の歴史』
水野直樹・文京洙著、ハン・スンドン訳/三千里

大阪の焼肉屋でのプロレスラーの力道山(右から3人目)。17歳で日本に渡り1950年に日本国籍を取得した力道山は、戦後、日本経済復興期に日本人の英雄として象徴的な存在となった=在日韓人歴史資料館提供//ハンギョレ新聞社
19世紀以降の在日朝鮮人史
近現代史の専門家が再照明
1945年まで強制徴用67万人
解放後は同化しなければ排除
被害者としてより主体として注目
「反動状況正すため執筆」
日本帝国主義に敗戦となった1945年8月時点、日本には200万~210万人ほどの朝鮮人が住んでいたものと推定される。ほとんどが朝鮮に帰る考えでいたが、うまく状況は進まなかった。
朝鮮半島はすでに米ソの覇権争いの舞台となり、左右分裂など混乱がピークに達していた。在日朝鮮人に対する米国占領軍(GHQ)の政策は「計画送還」、ただ単に「帰還を奨励し援助するのがすべて」だった。
それさえも帰還者が持参できるお金は1000円、動産は250ポンドに制限された。その結果、計画送還を通じた帰還者は8万3000人余りに止まった。植民地時代を経て、日本社会に根を下ろして生きてきた朝鮮人の多数は、そのまま日本に居残ることになった。
近現代史専門家の水野直樹・元京都大教授と文京洙(ムンギョンス)立命館大教授の共著となる『在日朝鮮人』は、在日朝鮮人の歴史を総体的かつ簡潔に記述した本だ。
在日朝鮮人を「明治時代以来、朝鮮半島から日本に渡り、一定期間居住することになった人たち」とみれば、その歴史は100年以上になる。
明治維新後に土木工事などが増え、朝鮮人労働者らが日本に渡り始め、1910年の韓日強制併合以降はその規模が大きく増えた。植民地経済の崩壊が主な背景だった。
彼らは日本で主にきつくて、汚くて、危険な労働を引き受け、集団居住して朝鮮人のアイデンティティを維持した。同じ「帝国臣民」だが、日帝当局は日本人の戸籍と朝鮮人の戸籍を分離して管理した。
「特高警察」の監視対象に「朝鮮人として排日思想を持つ者」が含まれるなど、朝鮮人は常に監視と警戒の対象だった。日帝当局は「協和会」を作り朝鮮人の日常生活を統制し、朝鮮語を使うことができないようにするなど日本化を強制した。
戦時中は強制徴用や強制労働で在日朝鮮人の規模は急増した。1945年まで動員を通じて日本に来た朝鮮人は67万人程度と推定される。
サハリン(1万6000人)、南洋群島(6000人)にも強制動員された。彼らは炭鉱、鉱山など危険な労働現場に閉じ込められ、職場を移すことも、家族に送金することもできなかった。
http://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2016/0812/147095777566_20160812.jpg
日帝の強制動員で炭坑に入る前に精神訓話を聞いている朝鮮人労働者たち=三千里提供//ハンギョレ新聞社
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/24883.html
(>>2以降に続く)
水野直樹・文京洙著、ハン・スンドン訳/三千里

大阪の焼肉屋でのプロレスラーの力道山(右から3人目)。17歳で日本に渡り1950年に日本国籍を取得した力道山は、戦後、日本経済復興期に日本人の英雄として象徴的な存在となった=在日韓人歴史資料館提供//ハンギョレ新聞社
19世紀以降の在日朝鮮人史
近現代史の専門家が再照明
1945年まで強制徴用67万人
解放後は同化しなければ排除
被害者としてより主体として注目
「反動状況正すため執筆」
日本帝国主義に敗戦となった1945年8月時点、日本には200万~210万人ほどの朝鮮人が住んでいたものと推定される。ほとんどが朝鮮に帰る考えでいたが、うまく状況は進まなかった。
朝鮮半島はすでに米ソの覇権争いの舞台となり、左右分裂など混乱がピークに達していた。在日朝鮮人に対する米国占領軍(GHQ)の政策は「計画送還」、ただ単に「帰還を奨励し援助するのがすべて」だった。
それさえも帰還者が持参できるお金は1000円、動産は250ポンドに制限された。その結果、計画送還を通じた帰還者は8万3000人余りに止まった。植民地時代を経て、日本社会に根を下ろして生きてきた朝鮮人の多数は、そのまま日本に居残ることになった。
近現代史専門家の水野直樹・元京都大教授と文京洙(ムンギョンス)立命館大教授の共著となる『在日朝鮮人』は、在日朝鮮人の歴史を総体的かつ簡潔に記述した本だ。
在日朝鮮人を「明治時代以来、朝鮮半島から日本に渡り、一定期間居住することになった人たち」とみれば、その歴史は100年以上になる。
明治維新後に土木工事などが増え、朝鮮人労働者らが日本に渡り始め、1910年の韓日強制併合以降はその規模が大きく増えた。植民地経済の崩壊が主な背景だった。
彼らは日本で主にきつくて、汚くて、危険な労働を引き受け、集団居住して朝鮮人のアイデンティティを維持した。同じ「帝国臣民」だが、日帝当局は日本人の戸籍と朝鮮人の戸籍を分離して管理した。
「特高警察」の監視対象に「朝鮮人として排日思想を持つ者」が含まれるなど、朝鮮人は常に監視と警戒の対象だった。日帝当局は「協和会」を作り朝鮮人の日常生活を統制し、朝鮮語を使うことができないようにするなど日本化を強制した。
戦時中は強制徴用や強制労働で在日朝鮮人の規模は急増した。1945年まで動員を通じて日本に来た朝鮮人は67万人程度と推定される。
サハリン(1万6000人)、南洋群島(6000人)にも強制動員された。彼らは炭鉱、鉱山など危険な労働現場に閉じ込められ、職場を移すことも、家族に送金することもできなかった。
http://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2016/0812/147095777566_20160812.jpg
日帝の強制動員で炭坑に入る前に精神訓話を聞いている朝鮮人労働者たち=三千里提供//ハンギョレ新聞社
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/24883.html
(>>2以降に続く)
引用元: ・【ハンギョレ】[書評]100年の歴史で“主体”となる在日朝鮮人[8/12]©2ch.net
【【コリアン・ナチズム】[書評]100年の歴史で“主体”となる在日朝鮮人[8/12]©2ch.net 】の続きを読む