まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:キーセン観光

    1: 荒波φ ★ 2017/12/04(月) 09:29:58.75 ID:CAP_USER
    韓服を着た女性がオッコルムをつかんでいるソウル市の広告試案。扇情的だという指摘が提起された。
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    韓服を着た女性がオッコルム(上着についている紐)をつかんでいる。韓服には光化門(クァンファムン)広場・景福宮(キョンボックン)・東大門(トンデムン)デザインプラザ(DDP)など、ソウルの主要観光地の光景が「オーバーラップ」される。その下にはこのような文面が記されている。「Unforgettable Experience in Seoul(ソウルでの忘れられない経験)」。

    ソウル市が広報のために米ニューヨークの全域に掲示しようとしていた広告試案だ。今月18日から来月14日までタイムズスクエア、ソーホーなどのデジタルスクリーン約1000個、バス停約150カ所に掲示する計画だった。

    ソウル市関係者は1日、これを公開し「ソウルの魅力を表現したこの広告がニューヨーク全域に掲示されて6000万ニューヨーク市民と観光客をひきつけるだろう」と話した。「最近、外国観光客に韓服体験が大人気を得ており、東洋の神秘を伝えるためにこのようなデザインを選んだ」と説明した。

    だが、広告試案の公開後「女性を性商品化した」という批判が提起された。オンラインを中心に「妓生(キーセン)観光のイメージを連想させる」などの指摘が出た。女性の性に注目したイメージに「ソウルでの忘れられない経験」との文面が合わさって不思議な想像を呼び起こすという主張だ。

    それを受け、ソウル市は3日、この広告を使わないことにした。ソウル市関係者は「誤解の余地がある広告試案は廃棄し、光化門広場とDDPなどをモチーフにした他の広告をかける計画だ」と明らかにした。

    この「ソウル広報物」はソウル市内部の審議を経なかったことが分かった。ソウル市関係者は「時間に追われて製作したところ、代理店にまともなガイドラインを提示することができず、審議をすることができなかった」と話した。ソウル市は市の広報物は外部専門家などで構成された「広報物の性別影響分析評価諮問委員会」の審議に付している。性差別的要素などを取り除くための装置だ。

    匿名を求めた女性政策専門家は「女性のイメージを伝統的な女性像に限定して目立たせたシルエットと文面が一つになって誤解を招きかねない」とし「海外に披露するソウルのイメージをこのような形で表現したのは問題がある」と指摘した。

    女性会社員キム・ミンジさんは「女性がすぐにでもオッコルムを解きそうな感じだ。東洋女性に対する歪曲された性意識を与えかねない広告のようだ。見る瞬間、不愉快だった」と話した。男性会社員キムさんは「イメージそのものよりは広告の文面が問題だと思う」と話した。

    これに対し、扇情的という指摘は行き過ぎたという反論も出ている。ある広告企画者は「伝統と現代の調和を追求した広告だと見られる。広告を敏感な基準で見るとクリエイティブで多様な広告をつくることが難しくなる」と指摘した。会社員キム・ヒョウンさんは「韓服の美しさを表現したと思う。性的な想像がつかない」と話した。

    今回のニューヨーク内「ソウル広告」はニューヨーク市と「都市共同マーケティング」の一環として行われたとのことがソウル市の説明だ。ソウル市がニューヨーク市に広告料を支払わない代わりに、ニューヨーク市もソウルに「ニューヨーク広告」を掲示することにした。


    2017年12月04日09時15分 [中央日報]
    http://japanese.joins.com/article/096/236096.html?servcode=400&sectcode=410

    引用元: ・【韓国】NYに掲示しようとした「韓服女性」広報物…ソウル市、性商品化の批判浴びて断念 「キーセン観光を連想させる」[12/04]

    【【慰安婦像の実写版】「キーセン観光を連想させる」韓服を着た女性の広告に性商品化だと批判】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/07/25(火) 00:00:37.61 ID:CAP_USER
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    ▲日帝強制占領期間の仏国寺(プルグクサ)の姿. [国家記録院提供=聯合ニュース資料写真]
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    ▲「日帝強制占領期、メディアの新羅像歪曲」288ページ.1万6千ウォン.

    (ソウル=聯合ニュース)「慶北慶州は三南の有数な花柳郷として晋州に劣らない数のキーセン(妓生)がおり、油頭粉面(油をつけた頭とおしろいをつけた顔)の群れが至る所に散らばっている。」

    日帝強制占領期間の1929年10月12日、ある日刊紙に載った記事を見れば慶州は「花柳郷」と描写されている。歴史遺跡が多い新羅の千年首都を料理屋とキーセンが多い土地と規定したのだ。10年後も「北方の平壌(ピョンヤン)と南方の慶州は歴史文化の発祥地として、色郷としても名高いところ」と表現の程度を高めた。

    慶州は日帝の国権侵奪後、いつのまにかキーセン観光の中心地になった。韓国学中央研究員が出した「日帝強制占領期間、メディアの新羅像歪曲」はメディアで明らかになったこのような新羅のイメージ操作事例を集めた本だ。

    1880年代末から解放前まで朝鮮総督府の官報や新聞、雑誌に掲載された記事を学者6人が分析した。カン・ヒジョン西江(ソガン)大教授は「新羅、慶州の神話歪曲像」という文で日帝が慶州を表現した矛盾した容貌を暴く。彼は日本人たちが慶州を寄生都市にする一方、意欲的に古蹟を強調して慶州を「朝鮮遺産の宝庫」と広報したと指摘する。

    当時、新聞と雑誌が観光地を紹介するとき、慶州はを必ず行ってみるべき場所にもれなく挙げた。これに合わせて日帝は道路と鉄道をしいて宿泊施設を整備し、慶州を観光名所に育成した。カン教授は「日帝は新羅の首都、千年の古都・慶州という明白な事実を隠さなかったし、かえって誇張した」として「これは自分たちの政治功績を誇るための意図的操作だった」と批判する。

    それと共に「慶州の市街を整備して遺跡を復元することにより、あたかも先進文明国の日本が野蛮の植民地朝鮮に恩恵を与えたように広報した」と強調する。カン教授は日帝の「慶州強調」の裏には、きらびやかな過去とみすぼらしい現実を対応させようとする下心が隠れていると指摘する。

    彼は日帝が慶州の遺跡を強調したことについて「現実への自嘲と悔恨を呼び起こすためのもので、過去との格差を認識し、強制的に占領された現実を認め、安住させるための意図であった」と主張する。

    日帝は新羅の場所だけでなく、新羅の人物や歴史の歪曲も試みた。キム・トグォン明智(ミョンジ)大学講師は日帝強制占領期間にメディアで「新羅の人物」を分析すると花郎道(ファランド)の戒律中でも「臨戦無退」を強調する傾向が唯一強く現れるが、これは天皇に対する「忠」を実現しようとする意味だったと批判する。

    今回の研究の責任者であるキム・チャンギョム韓国学中央研究院首席研究員は「日帝は慶州から多くの文化財を収奪し、慶州駅周辺に日本風の建物を大々的に建設した」として「日帝強制占領期間に新羅の歴史文化が歪曲された過程を具体的に確認するためにはメディアを几帳面に見て回わらなければならない」と話す。

    ソース:聯合ニュース(韓国語) 慶州がキーセン観光の都市?…日帝が歪曲した新羅イメージ
    http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2017/07/24/0200000000AKR20170724098600005.HTML

    引用元: ・【書籍】 新羅千年の首都、慶州がキーセン観光の都市?日帝が歪曲した新羅のイメージ[07/23] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【根拠が想像以外にまるでない】聯合ニュース(韓国語) 「慶州をキーセン観光の都市と歪曲し、日帝が観光名所に育成した」】の続きを読む

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