1: ダーさん@がんばらない ★@無断転載は禁止 2017/01/29(日) 19:42:15.83 ID:CAP_USER
「韓国の木簡についての研究が活発になるのに伴い、日本の古代史は完全に変わりました。20年前は韓国の木簡の存在すら知らなかった日本の研究者が、今では韓国の木簡を知らなければ日本の古代史は理解できないと考えるほどです」
今月初めに韓国木簡学会の第2代会長に就任した在日韓国人の李成市(イ・ソンシ)早稲田大学教授(朝鮮史・東北アジア史)=65=は、日本の学界において韓国古代の木簡研究を主導する古代史研究の権威だ。韓国木簡学会には2007年の創立時から加わっている中心メンバー。とはいえ、日本の学者が韓国国内の学会のトップに就任するのは極めて異例だ。ソウル・明洞で会った李教授は「韓国木簡学会が視野を東アジアに広げるため、国際化の『橋』の役を果たしてほしいという趣旨に共感した」と語った。
木簡は、資料が不十分な古代の生活相を垣間見ることができるタイムカプセルとして脚光を浴びている。韓国よりも早くに木簡研究が始まった日本では、実に37万点余りが出土した。しかし韓国では、2000年以前は木簡の出土量が非常に少なかった。これまでに出土した韓国の木簡は1239点。1990年代から慶尚南道咸安の城山山城で6世紀の木簡が大量に出土し始め、これで研究に弾みがついた。
李教授は、韓国で木簡学が生まれる前の90年から韓国の木簡を研究し始めた。同年、京畿道河南市の二聖山城から新羅の木簡10点が出土したというニュースを聞き、直接見に来た。「『誰々が誰々に申し上げる』という文書形式を備えた『前白木簡』が、韓国で初めて出てきたんです。日本では、こういう木簡は7世紀に多く出てきますが、中国で4世紀半ばに終わった木簡文化が、なぜ突然日本列島に出現したのか、答えを探しました」
李教授は96年、日本木簡学会で「韓国の木簡が日本の木簡の源流だった可能性がある」と発表した。しかし大多数の日本の学者は「前白木簡は日本独自の文化」と反論した。関心を見せたのはたった2人だった。中でも日本の木簡の権威者、平川南・元国立歴史民俗博物館長は、翌97年に韓国を訪れて木簡の実物を観察し、その後「中国と日本の古代木簡の間隙を埋める決定的な情報を提供するもの」と認めた。さらに、文部省の支援で早稲田大学と韓国の昌原文化財研究所(現在の国立伽耶文化財研究所)が共同研究を行い、2002年には国立歴史民俗博物館が、韓国の木簡およそ30点を借りて特別展で展示したことにより、日本の研究者の認識も変わり始めた。
世界的な巨匠の一人に挙げられる画家の李禹換(イ・ウファン)=80=は、李教授のいとこだ。また昨年、韓国の国宝第78号に指定されている半跏思惟(はんかしゆい)像と、日本の国宝に指定されている中宮寺・菩薩(ぼさつ)半跏像の初の共同展示が実現した際にも、李教授が大きな役割を果たした。李教授は「韓国木簡学会は今年4月にベトナムで、最近出土した石碑などをテーマに国際学術大会を開く。アジア諸国はもっと積極的に学術交流をしながら、東アジア史的・世界史的な視点で資料を解釈すべき」と語った。
ソース:朝鮮日報 2017/01/29 06:04
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/27/2017012700577.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/27/2017012700577_2.html
今月初めに韓国木簡学会の第2代会長に就任した在日韓国人の李成市(イ・ソンシ)早稲田大学教授(朝鮮史・東北アジア史)=65=は、日本の学界において韓国古代の木簡研究を主導する古代史研究の権威だ。韓国木簡学会には2007年の創立時から加わっている中心メンバー。とはいえ、日本の学者が韓国国内の学会のトップに就任するのは極めて異例だ。ソウル・明洞で会った李教授は「韓国木簡学会が視野を東アジアに広げるため、国際化の『橋』の役を果たしてほしいという趣旨に共感した」と語った。
木簡は、資料が不十分な古代の生活相を垣間見ることができるタイムカプセルとして脚光を浴びている。韓国よりも早くに木簡研究が始まった日本では、実に37万点余りが出土した。しかし韓国では、2000年以前は木簡の出土量が非常に少なかった。これまでに出土した韓国の木簡は1239点。1990年代から慶尚南道咸安の城山山城で6世紀の木簡が大量に出土し始め、これで研究に弾みがついた。
李教授は、韓国で木簡学が生まれる前の90年から韓国の木簡を研究し始めた。同年、京畿道河南市の二聖山城から新羅の木簡10点が出土したというニュースを聞き、直接見に来た。「『誰々が誰々に申し上げる』という文書形式を備えた『前白木簡』が、韓国で初めて出てきたんです。日本では、こういう木簡は7世紀に多く出てきますが、中国で4世紀半ばに終わった木簡文化が、なぜ突然日本列島に出現したのか、答えを探しました」
李教授は96年、日本木簡学会で「韓国の木簡が日本の木簡の源流だった可能性がある」と発表した。しかし大多数の日本の学者は「前白木簡は日本独自の文化」と反論した。関心を見せたのはたった2人だった。中でも日本の木簡の権威者、平川南・元国立歴史民俗博物館長は、翌97年に韓国を訪れて木簡の実物を観察し、その後「中国と日本の古代木簡の間隙を埋める決定的な情報を提供するもの」と認めた。さらに、文部省の支援で早稲田大学と韓国の昌原文化財研究所(現在の国立伽耶文化財研究所)が共同研究を行い、2002年には国立歴史民俗博物館が、韓国の木簡およそ30点を借りて特別展で展示したことにより、日本の研究者の認識も変わり始めた。
世界的な巨匠の一人に挙げられる画家の李禹換(イ・ウファン)=80=は、李教授のいとこだ。また昨年、韓国の国宝第78号に指定されている半跏思惟(はんかしゆい)像と、日本の国宝に指定されている中宮寺・菩薩(ぼさつ)半跏像の初の共同展示が実現した際にも、李教授が大きな役割を果たした。李教授は「韓国木簡学会は今年4月にベトナムで、最近出土した石碑などをテーマに国際学術大会を開く。アジア諸国はもっと積極的に学術交流をしながら、東アジア史的・世界史的な視点で資料を解釈すべき」と語った。
ソース:朝鮮日報 2017/01/29 06:04
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/27/2017012700577.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/27/2017012700577_2.html
引用元: ・【日韓】在日韓国人のイ・ソンシ早稲田大学教授「日本の古代史は完全に変わった。韓国の木簡が日本の木簡の源流だった可能性」[01/29] [無断転載禁止]©2ch.net
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