まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:70年代

    1: ハニィみるく(17歳) ★ 2019/02/07(木) 09:44:24.22 ID:CAP_USER
    (写真)
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    ▲ 釜山玩月洞の集娼村の2014年の様子
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    1962年にできた仁川弥鄒忽区崇義洞(インチョン・チュホルグ・スンウィドン)の集娼村である俗称「イエローハウス」が再開発される。「1月末までに全業者退去のこと」という最後通告を受けたが、10軒余りの業者の売春女性およそ40人は行く先がないといって動かない。ソル(旧正月)連休が終われば強制撤去が始まるという話が出回り、思わぬ事故への懸念も高まっている。崖っぷちに追いやられた女性たちが胸の奥深くにしまいこんでいた彼女たちだけの話を教えてくれた。集娼村で30年余りを過ごした売春女性Bさん(53)の証言を紹介したい。

    イエローハウス店内に入ると、膝の高さのオンドル部屋がある。女性たちが「玄関おばさん」の手に引かれてやってくる男性たちを待つ控室だ。ここで女性たちと数回インタビューした後、ある日、Bさんがノート一冊を見せてくれた。ものを書くのが好きで、時々日記を書くと話していたことを思い出した。日記帳だと察することができた。記者が映像撮影記者と一緒にイエローハウスに立ち寄った後、Bさんが書いた日記の内容だ。

    「記者さんが私たちの話を聞きに来られた。過ぎたことが走馬灯のように思い浮かんだ。同じ人間なのに、私たちもやはり多くのことに背を向けて生きてきたようだ。私たちの話が新聞に載せられて話を吐き出し、想像もできなかったことが起こっている。関心を持ってくれた記者さんには有難いが、どこからどのように私たちのことをお話するべきか」

    Bさんはその日以降、心の奥に埋もれたままになっていた記憶を探り続けた。Bさんは大邱(テグ)チャガルマダンから仁川イエローハウスに来るまでの20年余りの間、全国のさまざまな集娼村を経験した。釜山玩月洞〔プサン・ワンウォルドン、現在の西区忠武洞(チュンムドン)〕の集娼村もその中の一つだ。

    釜山玩月洞の集娼村は韓国最初の性売買密集地だ。1900年代、日帝が港の近くであるここに集娼村を作って以来、80年代まで盛況を極めた。当時は業者が150軒余り、従事女性が2500人を超えていた。売春女性が2500人もいれば、どれほど多くの男性が毎日ここに来ていただろうか。

    2004年の売春特別法施行後、規模が大幅に減った。2015年釜山市と西区庁が都市再生事業に出たが、業者45軒・220人が依然と営業をしている。

    釜山発展研究院の報告書によると、ここも「ブティック店従業員求む」「家政婦求む」のような求人広告にだまされてきたり、家庭暴力や性暴力などを受けた後に家出をして業者生活をしながら借金が増えたりしてやってきた女性が多かった。

    Bさんは玩月洞で10年以上働いていた。80年代後半~90年代後半をここで過ごしたといえる。

    「玩月洞はとても規模が大きかったです。儲けているところはほぼ企業でした。○○場・○○館、このように呼んでいましたが、事業主はテレビに登場する芸能人とも知り合いで財産が何十億ウォン台でした。この世界で玩月洞出身といえば私たちの間で一目置かれていました」

    ここでは主に日本人団体観光客やヤクザ(日本の組織暴力団)を相手にした。客10人のうち9人は日本人だった。3泊4日間、一緒に釜山南浦洞(ナムポドン)や京畿道龍仁(キョンギド・ヨンイン)の民俗村、済州道(チェジュド)を訪れながら観光ガイド役もした。

    「ヤクザが来ると釜山の暴力組織が接待しました。私たちはキーセンパーティーをするかのように韓服を着て彼らを出迎えました。チャーミングスクールとともに外部の私設学院に通いながら日本語はもちろん、茶道や礼儀作法、歩き方まで学びました。一種の外貨稼ぎですね」。Bさんはまだ日本語をかなり話すことができる。

    ソース:中央日報
    https://japanese.joins.com/article/946/249946.html
    https://japanese.joins.com/article/947/249947.html

    >>2につづく

    引用元: ・【韓国】70年代日本人キーセン観光ブーム…韓国政府は「愛国行為」奨励も[02/07]

    【国家で金儲けの為に売春と斡旋させてた【韓国】70年代日本人キーセン観光ブーム…韓国政府は「愛国行為」奨励も[02/07] 】の続きを読む

    1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/01/30(金) 14:42:31.76 ID:???.net
    英国出身のオーストラリア大学東アジア研究者
    南北分断解決法を省察する金剛山旅行記
    「韓国と北朝鮮は帝国主義侵略の犠牲者
    その犠牲は今も現在進行形」

    『道で出会った北朝鮮近現代史』テッサ・モリス・スズキ著、ソ・ミソク訳(現実文化)

    「私の目標は中国東北部と朝鮮半島が世界近代史における要衝地だったことを強調するとともに、読者にその地域の人々、特に世界の
    メディアから非人間的でとても理解できない姿としてしばしば描かれる北朝鮮の人々の平凡な生き方を紹介することにある」

    『辺境から見た近代』、『日本のアイデンティティを問う』などの著書で知られる英国出身の日本及び東アジア研究者のオーストラリア国立
    大学テッサ・モリス・スズキ教授の『道で出会った北朝鮮近現代史』(2010年)の原題は「金剛山を行く旅程」(To the Diamond Mountains)だ。
    副題は「中国と朝鮮半島をめぐる100年の旅行」(A Hundred Year Journey through China and Korea)。それをあえて北朝鮮近現代史という
    タイトルをつけて出版したのは、中国東北3省から金剛山まで続く旅行記の形式をとった本の内容が、主に北朝鮮の過去及び現在に関連
    したことにあるためだろう。そう考えると、北朝鮮住民の日常を紹介した(非難したり反対しなかった)という理由だけで“従北主義者”の
    レッテルを貼られ、当局の捜査まで受けたあげく国外追放された在米同胞のシン・ウンミ氏のことが著書に関連づけて思い起こされる。

    著者は本でこんな話もする。「私が1970年代に韓国を初めて訪問した時、韓国は独裁者朴正煕(パク・チョンヒ)の統治下にあり、多くの政治
    的反対者を監獄に惨めに閉じ込めていた。1970年代に韓国の政治犯が収容されていた監獄は今日の北朝鮮の監獄と似ていて、広くない。
    ある意味で今日の北朝鮮に対する私の感情は、朴正煕時代の韓国を初めて訪問した時に感じたものと大差ない。 それは政権の本質から
    すぐに感じられる絶望感や、狭い空間に閉じ込められても人間性を失わずどうにか生き延びている平凡な人々に対する深い尊敬心だ」。

    自らがディアスポラである著者は脱近代主義者の視線を持ち、北朝鮮を奇怪な国にしている北朝鮮の抑圧体制に対しても当然冷笑して批判
    する。だが、だからといって北朝鮮を冷遇したりはしないと話す。「私たちが門を閉ざすのなら、疎通が不可能だと一部国家を相手にしなければ、
    開いた隙間からでも覗こうと試みなければ、最も抑圧的な社会を取り囲む複雑な問題と矛盾が分からなくなるだろう。そして私たちはあまりに
    簡単に心の中のイメージで“不良国家”を作り出し、その社会の非常に複雑な問題について安易で単純で、ほとんど例外なく誤った解決策を
    考え出すことになるだろう」。そんなことでは抑圧体制に亀裂を作り非人間化を改めさせることはできないと彼女は話す。

    ソース:ハンギョレ 2015.01.30 12:50
    http://japan.hani.co.kr/arti/culture/19509.html
    テッサ・モリス・スズキとともに旅行し現地の絵を描いた妹のサンディ・モリス(左)と一部区間を同行したエマ・キャンベルが断絶した鴨緑江の
    橋の前に立つ。遠く見える対岸は北朝鮮。現実文化提供。 //ハンギョレ新聞社
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    続きます

    引用元: ・【韓国】今の北朝鮮は70年代の韓国そのもの[01/30]

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