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1: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2015/06/01(月) 21:47:49.84 ID:???.net
 安倍首相の進む道は真っすぐだ。独島(日本名:竹島)領有権の主張、靖国神社の参拝など、韓国はそもそも眼中にない。
安倍首相のこうした政治哲学は、一部の日本人の考えを代弁するものだ。この人々は「世界各国の元首が、日本を訪れたら
靖国神社を参拝するのに、韓国と中国だけは神社参拝に反対している」(大原康男・国学院大学名誉教授)だとか
「厚顔無恥な内政干渉」(小堀桂一郞・東京大学名誉教授)と主張している。一方で小説家の村上春樹氏などは、
傷つけた周辺諸国に対する無限の謝罪を求めている。日本国内にも意見の違いがあることは明らかだ。一体、韓国を見る日本と
日本人の本質とは何なのか、混乱してしまう。

 しかし、風水的観点から見ると明快だ。山路愛山(1865-1917)という有名な人物がいる。歴史家であり評論家でもあった山路は、
風土と人間との相関関係を次のように説明した。「およそ、山で生まれ育った者は気質が剛健で、ややもすると性質がゆがむ。
(中略)田舎者根性丸出しで、身の程を知らず、威張っている者が多い。平地に暮らしてあちこち自由に行き来する人々は、
利口で、聡明(そうめい)だ。(中略)気質はおおらかで、調和の取れた者が多い」。こうした考えに基づき、山路は日本の南と北を論じた。
「日本の北部は陸地の国であって、主に馬が交通手段となり、保守的で、徳川家康がその代表勢力だ。一方南部は海の国であって、
主な交通手段は船であり、進歩的で、その代表勢力は豊臣秀吉だ」

 山路は「水が低い所へ流れるように、武力を持つ者がその武力を用いるのは当然のことであって、強い日本が文弱な朝鮮を
侵略するのは自然なこと」と主張し、豊臣秀吉の朝鮮侵略や、当時の日本による朝鮮強奪を正当化した。一方で山路は
「山国の田舎者」徳川家康のことは、それとなく無視した。

 山路が言及した日本の南と北とは、ほかならぬ関西と関東を指している。山路の言葉の通り、関西と関東の地域感情は極めて対照的で、
韓半島(朝鮮半島)の嶺南(慶尚道)・湖南(全羅道)の違いにとどまらず、韓国・北朝鮮ほどの違いがあるとまで言う人物もいる。
関西地方は、韓国と東海(日本海)・南海を共有し、いわば「同じ井戸」を使っているのに対し、関東地方は太平洋に面しており、
韓国との接触はない。

 「同じ井戸」を使っているとなれば、愛憎関係が生ずるのも当然だ。壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)を起こした勢力は、
まさしく豊臣秀吉を中心とする関西の勢力だった。当時、徳川家康を中心とする関東の勢力は朝鮮侵略に参加しなかった。
豊臣秀吉の死後、関ケ原の合戦(1600年)で関東の勢力が勝利し、徳川幕府が誕生した。それから260年、朝鮮とは
平和共存の時代が続いた。

 関ケ原の合戦で敗れた関西の勢力(秀吉の子孫)は、その後どうなったのだろうか。彼らは日本の西部や南部の辺境に追放され、
息を潜めて報復の刃を研いでいた。1860年代に起こった明治維新は、本質的に、徳川の勢力に対する関西勢の反撃だった。
その後、権力を奪い取った秀吉の子孫たちは、幕府ではなく首相内閣制によって現在まで権力を握り続けている。その核心の一つが、長州だ。

 初代首相・伊藤博文から、岸信介を経て、現在の安倍晋三首相を輩出した長州。この人々の永遠の師匠が吉田松陰で、
松陰も長州の出身だ。安倍首相は、首相になった後、吉田松陰の墓参りをした(2013年)。

 吉田松陰は当時、明治維新の主役たちに「朝鮮をとがめ、かつて盛んだったころのように朝貢させよ」と教え込んだ。後の征韓論の
萌芽(ほうが)となったが、この教えは、ほかならぬ260年前の豊臣秀吉の考えだった。いま一度、関東の勢力が新たな「幕府」を
立てないかぎり、朝鮮に対する関西勢力の野望がとどまることはないだろう。

キム・ドゥギュ又石大学教養学部教授

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2015/05/31 06:07
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/30/2015053000610.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/30/2015053000610_2.html

引用元: ・【朝鮮日報】キム・ドゥギュ又石大学教養学部教授 風水学で読み解く「朝鮮に対する関西勢力」の野望[5/31]

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