まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

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    1: まぜるな!キケン!! 2019/04/23(火) 11:46:15.78 ID:CAP_USER
    「英語の原文まで要求、安企部時代思い出した」

    先週金曜日(19日)午前、英国人ジャーナリストのマイケル・ブリーン元ソウル外信記者クラブ会長(66)は、KBS記者からの電話に出た。

    ブリーン元会長が6日付の本紙に「光化門広場に(2014年4月に沈没して300人以上の死者・行方不明者を出した)旅客船『セウォル号』の追悼施設を作ることに反対する」という内容のコラムを書いた経緯を尋ねる取材だった。KBS記者はブリーン元会長に「朝鮮日報が書いてほしいと言ったのか」と質問した。

    ブリーン元会長は1982年から37年間にわたり韓国社会を見守ってきたジャーナリストだ。英紙ガーディアンやザ・タイムズ、米紙ワシントン・タイムズのソウル特派員を務めた。韓国社会を最も深く知り、理解している海外の知識人の1人だと言える。今年から本紙のレギュラー・コラム執筆陣に加わった。

    先月「民心も法に従うべき、韓国の指導者は勇気をもって示せ」という最初のコラムを書き、今月初めに2本目のコラム「セウォル号追悼碑設置、果たして光化門は適切なのか」でセウォル号を取り上げた。

    ブリーン元会長はコラムに「2014年のセウォル号事故は壮絶さを極めた。犠牲者のほとんどが同じ学校に通う子どもたちだったということも、悲しみを一層深める要因となった」と書いた。

    だが、その一方で、「セウォル号追悼施設は韓国の歴史上最も尊敬されている偉人の世宗(セジョン)大王と李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像が建てられている光化門広場のテーマと一致しない」として、「ソウル市がここにセウォル号の追悼空間を設置しようとするのは『韓国人は犠牲者』という韓国特有の考え方に由来していて、セウォル号の犠牲者は政治的意図に利用されている」と指摘した。

    ブリーン元会長はKBS記者に「朝鮮日報に毎月1回コラムを書いている。朝鮮日報にはコラムの内容を事前に教えていないし、朝鮮日報は『このようなことを書いてほしい』と要請もしていない」と答えた。KBS記者は「原文を見せてほしい」と要請、ブリーン元会長は原文も送ったという。

    外国人が民間メディアに論争を起こすような内容を寄稿したからと言って、その国の公営放送局が「原文を見せろ」と言ってくるなどというのは極めてまれなことだ。ブリーン元会長は本紙に「私が書いた文だが、原稿をほかの報道機関に送ってもいいか」と了承を求めてきた。本紙は「もちろん大丈夫だ」とブリーン元会長に言った。

    その後、本紙はKBSのその記者に「このようなことは非常に異例だが、どうしたことか」と尋ねた。この記者は「そこまでお話しするのは難しい」と答えた。

    原文を要求した理由については「ブリーン元会長が『英語で書いたが、朝鮮日報が直した』と言ったので…」と説明しかけて、「いや、『朝鮮日報で翻訳をした』と言ったので…」と言い直した。「韓国語で書いたと思っていたのに、英語で書いたと言うから…」とも言った。

    2019/04/23 11:15
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/04/23/2019042380085.html
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/04/23/2019042380085_2.html
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/04/23/2019042380085_3.html

    >>多分続きます。

    引用元: ・【朝鮮日報】この国は自分こそ邪悪な「他人」の犠牲者だとアピールしたがる←KBSが本紙に寄稿した英国人ジャーナリストに圧力[04/23]

    【特性をよく理解してるな【朝鮮日報】この国は自分こそ邪悪な「他人」の犠牲者だとアピールしたがる←KBSが本紙に寄稿した英国人ジャーナリストに圧力[04/23] 】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/10/09(金) 20:37:08.73 ID:???.net
    no title


    「So cute!(とてもかわいい)」ハングルの日を一日前にした8日午前、大邱(テグ)中区(チュング)さ
    らにスタイルゲストハウスカフェで外国人らは自身の名前をハングルで書いて笑った。筆を握って
    画仙紙と向き合った彼らは非常に真剣な目つきと表情に変わった。自分の名前をハングルで表現
    した筆文字作品を作るためだ。

    去る3月、交換学生で韓国に来たタクマ・ナナ(女・21・日本)氏は「ハングルはとても簡単で美しい。
    ‘ソイェ’という単語が日本の‘ショドウ(書道)’と似ていて覚えるのも簡単」と言った。中国から来た
    ミシャオピン(女・21)氏は「筆でハングルを書くのは初めてだ。とても楽しみ」とわくわくする気持ち
    を伝えた。

    この日、進行された‘ハングルの名前筆書き体験’はハングルの日をむかえてグローバル都市観
    光マーケティングと北城路(プクソンノ)文化の村協同組合が用意した。

    授業にはゲストハウスに泊まっている外国人フランス・オランダ旅行客と米国・中国・日本留学生
    など6人が集まった。筆文字文化になじみがうすいフランス、オランダ出身の外国人は自分たちの
    前に置かれたすずり、文鎮、墨汁などを興味深く眺めた。彼らはこの体験を書くこと(Writing)より、
    描くこと(Painting)と理解した。

    幼い頃、養子縁組されて韓国に家族を探しに来たチェ・オンナン(女・50・オランダ)氏は「字を書く
    というより筆で絵を描く様な感じがする。墨の香りとこういう韓国文化が非常に良い」と話した。(中
    略)最近、韓国の名前を持ったペ・ヒド(29・米国)氏は「初めて筆でハングルを書いたにしては上手
    にできたようだ。満足だ」と言った。

    イ理事は「外国人にハングルの優秀性と美しさ、書道で韓国文化を体験する機会を用意した。予
    想より反応が良くてうれしい」と話した。

    キム・ジホン記者

    ソース:大邱新聞(韓国語) ハングルで名前書いた外国人ら「美しいです」
    http://www.idaegu.co.kr/news.php?mode=view&num=177482

    関連スレ:【韓国】 「ハングルの日」を祝う各国学生ら、世宗大王の銅像前で記念撮影[10/08]
    http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1444308889/

    引用元: ・【韓国】 ハングルで自分の名前を書いた外国人「美しいです」(写真)[10/08]

    【何故だかおでんが食いたくなった【韓国】 ハングルで自分の名前を書いた外国人「美しいです」(写真)[10/08]】の続きを読む

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    1: なまはげ87度 ★@\(^o^)/ 2015/07/05(日) 07:00:16.20 ID:???.net
    クォン・ネヒョン著『奴婢から両班へ、そのはるかな旅程』

     筆者は『壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)と東アジア』というテーマでしばしば講演を行っている。
    そのたびに、ほとんど必ず出て来る質問や意見がある。その一つが、質問者の家門で活動した人物が、学界で「正しく」評価されておらず、残念だというもの。
    実際のところ、これは質問というより、その人物を「顕彰」してほしいという要請、もしくは研究者がなぜその人物の価値を分かってくれないのかという抗議に近い。
    こういった質問をする人物は、大抵が高齢者だ。また宗家や宗親会事務局の高齢者が、壬辰倭乱のときに義兵将や軍人として活動した、自分の家門の人物に関する本を送ってきて「うちのおじいさんをよろしく」ということもある。
    そのたびに筆者は、既に「おじいさん」といえる人物が「うちのおじいさん」を顕彰してほしいと、自分よりずっと若い筆者に丁重に連絡してくる、韓国社会の「家門」というメカニズムを感じる。

     筆者の知人が、興味深い話を聞かせてくれたことがある。
    彼の妻の母親が、韓国戦争(朝鮮戦争)の際に北朝鮮を脱出して韓国にやって来たとき最も当惑したのが、族譜のことを尋ね、家門を尋ねる韓国人の姿だったという。
    そもそも勢力ある両班(ヤンバン=朝鮮王朝の貴族階級)がほとんどおらず、平民もしくは奴婢(ぬひ)出身者が近代以降商工業に従事し、
    中産層に成長した韓半島(朝鮮半島)北部の人々にとって、農耕文化に基づいた韓半島南側の「家門文化」は時代錯誤的に見えたことだろう。
    筆者の祖父もまた、平安北道から南にやって来た。一族は「両班の子孫」だと主張するが、そうでないこともあり得るという思いを抱いている。
    古文書研究者のアン・スンジュン先生によると、15-17世紀には朝鮮の人口の半分以上が奴婢だったということなので、筆者の血のほとんどは「奴婢」に由来するのかもしれない。

     朝鮮王朝時代後期から徐々に身分制が崩れ始め、奴婢は主人の家から逃亡したり、あるいは懸命の努力で奴婢の身分から抜け出したりする道を選んだ。
    そうしてこんにち、韓国の人々は皆、自らを「両班の子孫」と信じるようになった。
    クォン・ネヒョン先生は、著書『奴婢から両班へ、そのはるかな旅程-ある奴婢家系200年の記録』において、スボンという奴婢の一族が社会の最下層身分から抜け出して平民になり、
    両班階級にアプローチする至難のプロセスを追跡した。
    筆者の血管には、両班よりも奴婢の血の方が多く流れているはずで、筆者は市中にあふれる両班家門や朝鮮王朝の支配者に関する本よりも、こうした本の方に引き付けられる。
    筆者は、いつか「朝鮮奴婢文化史」という分厚い本が韓国語で出てくるとき、ようやく韓国学は完全な学問になれると信じている。クォン氏の著書は、その未来に備える預言者のような存在だ。

    金時徳(キム・シドク)ソウル大学奎章閣韓国学研究院教授
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/04/2015070400469.html

    引用元: ・【韓国人】皆「自分は両班の子孫」と言うけれど…[07/05]

    【奴婢だろうが、両班だろうが、所詮【韓国人】皆「自分は両班の子孫」と言うけれど…[07/05]】の続きを読む

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