まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:福沢諭吉

    1: ニライカナイφ ★ 2018/04/16(月) 10:51:21.76 ID:CAP_USER
    ◆「約束は無効と覚悟せよ」 福沢諭吉が見抜いた韓国の本質

    韓国の不実はいまに始まったことではない。
    明治の傑出した知識人、福澤諭吉は当時すでにそのことを看破していた。

    「脱亜論」で彼はなぜ朝鮮を見限ったのか。
    いまこそその背景にある思想に学ぶべきだ。文芸評論家の富岡幸一郎氏が解説する。

    * * *

    《左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして毫も意に介することなし。
    既に従来の国交際上にも屡ば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ》
    (『時事新報』明治三十年十月七日)

    これは福澤諭吉の言葉であるが、まさに現在の日韓関係の本質を言い当てているではないか。
    ただし福澤は決して「嫌韓」論者なのではなかった。

    後で引く有名な「脱亜論」もそうである。
    彼は西洋列強のアジアへの帝国主義的な侵略にたいして、明治維新によって近代化の道を拓いた日本こそが、中国や朝鮮にたいして力を貸して共に連帯して抗すべきであると考えていた。

    また亜細亜という言葉から中国(清朝)と朝鮮を同じく捉えていたのではなく、むしろ朝鮮をアジア同胞として清韓の宗属関係から脱却させ日本のように文明化させることの必要性を説き尽力したのである。
    李氏朝鮮の旧体制(血族や門閥による支配)のままでは早晩、清国やロシアの植民地となり、それはそのまま日本の国難になるからだ。

    李朝末期のこの腐敗した絶望的な国を変革しようとした開化派を福澤は積極的に支援し、そのリーダーであった金玉均らの青年を個人的にも受け入れ指導教育を惜しまなかった。
    また朝鮮に慶應義塾の門下生を派遣する行動を起こし、清朝の体制に取りこまれるのをよしとする朝鮮王朝の「事大主義」の変革をうながした。

    清仏戦争が勃発し、清国軍が京城から退却したのを機に開化派がクーデターを企てるが(甲申事件・明治十七年)、それが失敗に帰したことから、朝鮮における清国の影響力は決定的となった。
    福澤のなかにあった日本による朝鮮の文明化の期待も潰えた。

    日本に十年余り亡命した金玉均も明治二十七年上海で朝鮮の刺客に暗殺され、その遺体は無残に切断され国中に晒された。
    福澤に「脱亜論」を書かしめたのも、朝鮮の開明派、独立派の人々への必死の支援がことごとくその固陋な中国従属の封建体制によって無に帰したことによるものだ。

    《我日本の国土はアジアの東辺に在りと雖ども、その国民の精神は既にアジアの固陋を脱して西洋の文明に移りたり。
    然るに爰に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。》(「脱亜論」明治十八年三月十六日)。

    この近隣にある「二国」は、《その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず……教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として……道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し》

    ◆挑戦への絶望と苛立ち
     
    福澤の文章の烈しさは、そのまま朝鮮の開化を祈念していた彼の思いの裏返しの憤怒であった。
    しかし福澤は「文明化」自体に絶対的な価値を置いていたのではない。
    「脱亜論」の冒頭でも「文明は猶麻疹の流行の如し」といい、「有害一偏の流行病にても尚且その勢いには激すべからず」として文明化は利害相伴うものであることも語っている。

    むろん福澤はアジアのなかで唯一文明化に成功した日本を正しい選択であったとしている。
    大切なのは西洋文明の波がかくも急速に高く押し寄せているときに、旧態依然の「外見の虚飾」を捨てない朝鮮の政体と人民への絶望と苛立ちをはっきりと表明してみせた言論人としての姿勢である。

    《左れば今日の謀を為すに我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。
    悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。》

    当時も今も国際社会のなかで外交を「謝絶」することはできない。
    問題は「心に於て」、すなわち日本はユーラシア・中華帝国の膨張の現実を前にして、この世界史に参与すべく如何なる「思想」を自ら打ち建てるかである。

    NEWSポストセブン 2018.04.16 07:00
    http://www.news-postseven.com/archives/20180416_657811.html

    ※続きます

    引用元: ・【SAPIO】「約束は無効と覚悟せよ」「亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」…福沢諭吉が見抜いた韓国の本質[04/16]

    【【SAPIO】「約束は無効と覚悟せよ」「亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」…福沢諭吉が見抜いた韓国の本質[04/16] 】の続きを読む

    1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/07/24(金) 13:20:00.97 ID:???.net
    天皇崇拝侵略主義者の福沢を
    市民自由主義のアイコンに仕立て上げた
    「丸山諭吉」神話を解体する

    no title

    福沢諭吉(左)と丸山真男。今も日本近代の国民的英雄として讃えられ、1万円紙幣を飾っている福沢。
    日本の戦後民主主義をリードした“進歩的”政治思想家として学界に君臨した丸山は、侵略的天皇
    主義者である福沢を市民的自由主義者として再創出した=歴史批評社提供//ハンギョレ新聞社

    no title

    丸山真男が創り出した“福沢諭吉”という神話 //ハンギョレ新聞社

    丸山真男が創り出した“福沢諭吉”という神話
    安川寿之輔 著、イ・ヒャンチョル 訳
    歴史批評社・3万ウォン

    「朝鮮…人民は牛馬豚犬に異ならず」。彼は壬午軍乱(1882)・甲申政変(1884)時、開化派の挙事段階
    から深く介入し武器まで提供し、失敗後には中国に踏み込んで北京を陥落させろと主張した。

    慶応大学の創設者で、今も日本の最高額紙幣である1万円紙幣を飾っている福沢諭吉(1835~1901)。
    彼は当時「支那兵…豚狩りのつもりにて」として、日本兵士たちにこのように注文までした。「目につく
    のは捕獲物しかないので、なにとぞ今回は北京中を検索し金銀財宝をかき集め、(…)チャンチャン
    (中国人)の衣服でもはがして持ってくることこそ望むところだ。 その中には有名な古書画、骨董、
    珠玉、珍器なども多い(…)一稼ぎ…」

    このような福沢を「典型的な近代市民的自由主義政治観」を持つ近代日本の「総体的師匠」として確立
    させる上で決定的寄与をした人が丸山真男(1914~1996 丸山真男)だ。 1940年に東京帝国大学法学部
    助教授になった丸山は、天皇制を擁護し戦争動員にも加担したが、敗戦後に『世界』寄稿文「超国家
    主義の論理と心理」(1946)で脚光を浴び、日本戦後民主主義をリードした“進歩的知識人”であり“啓蒙
    の旗手”になった。

    安川寿之輔・名古屋大学名誉教授(80)の『丸山真男が作り出した“福沢諭吉”という神話』(原題『福沢
    諭吉と丸山眞男—「丸山諭吉」神話を解体する』2003年)は題名どおり福沢神話とその神話の土台に
    なった“丸山神話”自身の解体まで正面から狙う。

    ソース:ハンギョレ 2015.07.24 06:56
    http://japan.hani.co.kr/arti/culture/21426.html

    続きます

    引用元: ・【韓国】福沢諭吉1万円札が今も日本で流通している理由[07/24]

    【次は秀吉、伊藤、福沢のセットで頼む(笑)【韓国】“丸山諭吉”神話は おぞましい限り。福沢諭吉1万円札が今も日本で流通している理由[07/24]】の続きを読む

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