1: シコリアン ★@無断転載は禁止 2016/05/16(月) 11:20:20.16 ID:CAP_USER
 広島にいらっしゃると聞きました。私は昨年7月に行ってきました。緑豊かな公園の横に太田川が流れ、原爆でドームが吹き飛んだ産業奨励館跡ではスズメが鳴いていました。そよ風に潮のにおいが混じるこの都市で、1945年8月6日に14万人が死亡し、3日後には長崎でも7万人が死亡した。このうち4万人が朝鮮人だったことは、韓国以外の国々にはあまり知られていません。

 私たちは日本外信記者協会の協力により、米国・ロシア・ドイツ・フランス・スイス・中国など10カ国の記者15人で一緒に動きました。記事を書くのが嫌でした。それは微妙な時期だったからという言い訳もあります。安倍晋三首相が終戦70周年記念談話を発表する1カ月前ということで、韓国の世論が激しさを増していました。

 振り返ってみると、狭量だったように思います。日本のせいで苦しめられたから、日本が受けた苦痛はそれが何であれ、「どんな目に遭っても当然だ」と考えたいと思っていました。それを恥ずかしいと感じさせる言葉を、生存者の小倉桂子さん(77)から聞きました。

 「米軍の爆撃機から黒い点のような爆弾がゆっくりと落ちました。次の瞬間、キノコ雲がわき上がりました。腸が飛び出した人々が『お母さん、お母さん!』と叫びました。生き残った人々は半分溶けたり、骨だけ残っていたりする遺体の山を踏んで必死に走りました。大勢の人々が川に飛び込んだと聞きました。熱くて、のどが渇いたからです」

 小倉さんは太田川を指して、「あの川いっぱいになった遺体が、干潮時は海に押し流され、満潮時は再び河口に押し戻されてくるのを三日間以上繰り返しました」と言いました。「数十年間、罪悪感がありました。私はなぜ生き残ったのだろうか。生き残った意味は何なのか。ここに来るたびに、その時死んだ方々に『申し訳ありません。まだこの世には核兵器があります』と謝罪しています」とも言いました。

 しかし、私はそうした言葉に完全には集中できませんでした。「『日本は世界で唯一の被爆国だ』という話を私は今日、何回聞いたのだろうか」と数え、「あの言葉はなんでこんなにも耳に引っかかるのか」と思うと、落ち着きませんでした。

 私の中には、広島の惨状に同情する気持ち、核のない世界を応援したい気持ち、「日本の謝罪と同じくらい、韓国の寛容さも重要だ」と信じる気持ちがあります。それと同時に、「広島ではなかったら、もっと長い時間、苦しめられていただろう」という現実の判断もあります。

 弱い国を侵略した国は日本以外にもたくさんありますが、日本より残忍で執拗(しつよう)な国はナチスドイツしかありません。この国が自らの罪業の結果に70年以上苦しむ姿は、時にふと疎ましくなります。一緒に記念館を見学した米国人記者は「ここには『1945年8月6日』だけがあり、それ以前の世界はなかったような空間だ」とぽつりと言いました。

 私の顔にそうした思いが出ていたのでしょうか。案内していた方が時々、私を別に呼んで「一行の中に韓国人記者がいることを知り、生存者たちが『朝鮮人もたくさん死んだ』という話を是非したいと言っていたが、テーマや日程上、そうできなかった」と申し訳なさそうにしていました。善意だと判断して「あ、はい」と笑いましたが、オバマ大統領が行く時も同じ状況が繰り返されるなら、その時は笑ってやりすごすことはできないでしょう。朝鮮の人々は植民地支配と原爆2回に苦しめられました。その痛みに対して何とおっしゃるのか、広島に行って見守りたいと思います。

東京=金秀恵(キム・スへ)特派員
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朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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引用元: ・【朝鮮日報コラム】広島に行くオバマ大統領へ[05/16] [無断転載禁止]©2ch.net

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