1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/05/08(月) 22:54:15.37 ID:CAP_USER
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▲松代大本営は日本が太平洋戦争末の1944年11月、日王一家および政府組織を急に移すために作った地下基地であった。6日、長野県にある松代大本営の入口から人々が入っている。
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▲松代大本営入口のそばには朝鮮人の死を慰める石碑がたっている。ある市民団体が作ったもので「朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑」と書かれている。

6日、韓日歴史に会える日本の長野にある松代大本営を訪れた。松代大本営は日本が太平洋戦争末期、日王をはじめ政府主要機関の居所を安全に移すために建設した巨大な秘密地下基地だ。長野駅からバスで40分程度で到着する場所、神社と古宅があって年配の観光客が訪れる程度の閑静な村だ。戦争末期、日本国内作られた地下基地の中で最も大きな規模だが日本人にさえあまり知られていない。

地下壕の入口で会った年配の日本人何人かが入口のそばにたっている「朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑」の慰霊塔を眺めていた。ゴールデンウイークを楽しむには暗くて恥ずかしい歴史の前で表情が真剣だった。

地下壕の内部はこまかくて巨大な迷路だった。全体は約6キロの長さで東西方向に20個のトンネルが繋がっている。洞窟の幅が約4メートル、高さ3メートルで敗戦の頃、80パーセント完成したという。現在、安全上の理由で500メートルだけ公開されている。歩けばダイナマイトで爆破した穴や荷車の跡などがあちこち残っている。

最も苛酷な作業は朝鮮人労働者の役割

1944年11月に始まった大本営建設作業の第一線は大部分、朝鮮人が引き受けた。岩盤を突き抜ける発破作業など「採掘」労働だった。正確ではないが7000人以上だと伝えられる。現在まで大本営工事の犠牲者数は明らかになっていない。「多い日には5~6人死んだ」という証言もあるが、死体を埋めた場所も知られていない。

地下でつながった道を歩けば「大邱部(朝鮮末期大邱(テグ)地域名称)」等の漢字が彫られていて故郷を懐かしがる朝鮮人の恨が伝わる。朝鮮人の数字についても幹部級だった4人の名前だけが残っている。案内板には朝鮮人・日本人などが強制動員されたが全部が強制ではないとの内容が書かれている。

2年前の2014年11月、長野市が案内板に朝鮮人強制動員と関連した文章を「全部が強制ではないなど多様な見解がある」という文章を入れて歴史を水で薄めるたと批判を受けたことがある。

周辺民家を借りて慰安婦慰安所設置…「強制的に連れてきた」証言残る

日本は作業場周辺にある民家を借りて朝鮮人女性を連れてきて慰安所で使った。政府に建物を貸すほかなかったK氏の証言によれば、1944年秋まで朝鮮人女性4人が慰安婦に連れてこられ、みな二十才ぐらいの若い女性だったと言う。客は日本人や比較的高い地位にあった朝鮮人だった。
(中略)

慰安所に使われた民家は91年に撤去されたが、現在、市民団体「もうひとつの歴史館-松代建設実行委員会(仮称)」が、解体された資材の一部を歴史館の中に保管している。同団体は慰安婦強制動員に対する日本政府の責任を批判し、慰安所資料を歴史的に保存しなければなければならないと要求している。

日王のための国、秘密地下壕建設の秘密
(後略)

アジアトゥデイ=オム・スヤ東京特派員

ソース:アジアトゥデイ(韓国語) [オム記者の日本の中に]日王ための朝鮮人強制動員の現場…慰安所まで設置
http://www.asiatoday.co.kr/view.php?key=20170508010002196

引用元: ・【韓国】 日王のために朝鮮人を強制動員した現場、松代大本営…慰安所まで設置して朝鮮人女性働かせる[05/07] [無断転載禁止]©2ch.net

【【取材せず妄想と願望で記事】韓国人東京特派員「証言が証拠。日王のために朝鮮人を強制動員した現場、松代大本営…慰安所まで設置して朝鮮人女性働かせる 」】の続きを読む