まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:東亜日報

    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/04/24(月) 22:20:12.43 ID:CAP_USER
    韓半島危機を口実にして日本では直ちに明日にでも戦争の砲火がさく烈するような不安感を助長する声があふれている。日本政府は北朝鮮の弾道ミサイル攻撃があった場合、避難方法を内閣官房ホームページにのせて韓半島有事の際に自国民を救出する方法を毎日議論中だ。

    読売新聞は22日、米国が北朝鮮を攻撃する場合、どんな状況が展開するのかシナリオを詳細に紹介した。先に米国が全世界の打撃力を韓半島周辺に集めることで攻撃は夜明け直前になる可能性が大きく、戦闘は数日で勝負がつく短期戦がよいというふうだ。韓国に対する北朝鮮の反撃リスクが大きく、実現しにくいが「ドナルド・トランプ米国大統領なら何をするがわからない」という前提がつく。

    産経新聞は23日、米国の先制攻撃前段階として北朝鮮に対する海上封鎖が予想されるが、日本自衛隊の活動を遮る各種制約が多くて「穴」が生じる可能性があると憂慮した。産経新聞には何日か前、明治維新の元老・山県有朋が1888年に主張した日本の防衛概念を紹介し韓半島有事の際の日本の対応を促すコラムが載った。

    日本の自衛のために第一に「主権線(国土)」、第二に「利益線」の安全が必要だという主張だ。利益線というのは国土の防衛に密接に関係する場所、すなわち韓半島をいう。韓半島防衛なしでは日本の自衛はなされないという考えは後日、朝鮮侵略を正当化する名分に活用された。1894年、東学農民運動を鎮圧するという名分で日本軍を朝鮮に出兵させた当時の外相・陸奥宗光は回顧録で「朝鮮の混乱は隣国のこととはいえ、自衛のためにも手をこまねいてはいけなかった」とした。

    産経新聞コラムはトランプ大統領が「中国が解決できなければ「私たち」がやる」と話した時「私たち」には米日同盟が含まれるとし、北朝鮮が日本を直接攻撃するのと関係なく、自衛の次元で韓半島有事に日本の対応を急がなければなければならないと主張した。

    「隣人」と言うと思い出す人物がいる。日本の1万円紙幣の主人公でもある「日本近代化の創始者」福沢諭吉は一時、「いくら悪い隣人でも彼の家に火事が起これば我が家も焼けることになる」として朝鮮の近代化を支援しなければなければならないと主張した。そうするうちに1884年、自身が支援した甲申政変が「3日天下」で終わるのを見た後、「脱亜入欧」を主張して日本を帝国主義に導いた。

    21世紀日本が自国国民の安全を重視し、自国の国益と防衛を最優先視することはどうということもない。問題はその程度にある。この頃、安倍晋三政権の動きを見れば自分たちが騒ぐことによって一層不安な気流に包まれ隣国は眼中にないと見られる。これに加えて韓半島安保が自国の利益と直結するという論理もどうも怪しいことこの上ない。

    現代社会で植民支配が再現されるはずはない。ただし陸奥(?)や福沢の言うように、すぐ隣りだから片方の不幸がもう片方の幸運に作動することはある。1950年6・25韓国動乱(朝鮮戦争)がさく烈した時、当時の吉田茂総理は「天佑!」と喜んだ。天佑神助という言葉だ。戦後不況に苦しんだ日本は朝鮮戦争の基地の役割をしながらあっという間に成長した。

    戦争を契機に米国の対日占領政策は日本を武装解除し、東洋の農業国家にしようとしたことから180度変わった。米日安保条約が締結されて再軍備が進められた。連日出てくる政権内部のスキャンダルで苦しい安倍政権がもしや当時の幸運がまたくることを夢見ているのではないように祈る。

    ソ・ヨンア東京特派員
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    ソース:東亜日報(韓国語) [特派員コラム/ソ・ヨンア]良い隣、悪い隣
    http://news.donga.com/Main/3/all/20170424/84031503/1

    前スレ:http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1493022955/
    ★1の立った時間:2017/04/24(月) 17:35:55.78

    引用元: ・【日韓】 良い隣人、悪い隣人~安倍政権は朝鮮戦争特需を夢見ていないか/東亜日報特派員コラム★2[04/24] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【また認知バイアスなのか】 東亜日報 東京特派員(韓国語)「安倍政権は朝鮮戦争特需を夢見ていないか」】の続きを読む

    1: ダース・シコリアン卿 ★@無断転載は禁止 2016/07/06(水) 12:57:44.59 ID:CAP_USER
    薄い金の縁についた瓔珞(玉の装飾物)、木の枝の形の装飾まで…。

    アフガニスタンのティリヤテペ遺跡から出土した金冠は、新羅の金冠と似ている。むろん、細部の形や製作技法は異なるが、金冠の全体的なイメージで通じるところがある。

    400年も離れた時と距離にもかかわらず新羅との文化的親縁性を目にすることができ不思議な思いだ。

    国立中央博物館は、アフガニスタン国立博物館が収蔵する遺物231件を国内で初めて紹介する特別展を5日に開催した。

    東に中国、西に欧州、南にインドと隣接するアフガンは昔から東西文明の交流の要衝地だった。アフガンの多様な文化交流の跡が今回の展示で目にできる。

    例えば、紀元前2千年ごろの青銅器時代の遺跡であるテペ・フロールで発見された幾何学的模様の黄金杯は、メソポタミア文明とインダス文明の影響をうかがわせる。

    紀元前4世紀マケドニアのアレクサンドロス遠征で建設されたアイ・ハヌムの遺跡から出た遺物には、ギリシャ文字が記されている。

    また、ここではペルシャ様式の建物が発掘され、ギリシャ文化とオリエント文化が混合したヘレニズム文化の特徴がうかがえる。

    クシャン王朝の夏の首都であったペグラムの遺跡も紹介している。ペグラムは7世紀、中国の僧侶玄奘が記録した迦畢試国の首都だ。

    西暦1世紀と推定される宮殿跡で発見されたガラスや青銅器、石膏、漆器も展示される。

    アフガニスタン特別展は、06年にパリのギメ東洋美術館を皮切りにこれまで11ヵ国で展示された。アフガニスタンの戦乱のため遺物が故国に戻ることができず、海外での展示を続けている。

    韓国は12番目の開催国で、巡回展は今年で10年を迎えた。

    展示は9月4日まで。9月27日から11月27日まで国立慶州博物館でも開催される。

    東亜日報 2016.7.6
    http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/537620/1
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    参考
    特別展「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」
    九州国立博物館 2016年1月1日(金・祝)?2月14日(日)
    http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s42.html
    東京国立博物館 2016年4月12日(火) ~ 2016年6月19日(日)
    http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1765

    引用元: ・【韓国】これがアフガンの金冠? 新羅の金冠と瓜二つ 国立中央博物館アフガニスタン特別展[7/6] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【韓国】東亜日報「紀元前のアフガンの金冠は、4世紀の新羅の金冠のパクリ」】の続きを読む

    1: ロンメル銭湯兵 ★@無断転載は禁止 2016/05/10(火) 23:21:11.77 ID:CAP_USER
     1999年7月16日の朝、東亜(トンア)日報の東京特派員だった私は、築地の朝日新聞社別館の事務所で新聞を調べていた。
    すると「よかったね美穂ちゃん」というコラムが目についた。美穂という新婦の結婚式に行った記者が彼女を応援するコラムだった。
    手紙形式なので、初めは文才を自慢するコラムだと思った。しかしそうでなかった。

     コラムを書いた記者は、26年前に長野支局に勤めた時、美穂さんの両親の結婚式を取材したことがあった。悲しい結婚式だったという。
    美穂さんの父親が被差別部落出身なので、結婚を猛反対した母方の家族が結婚式に姿を見せなかったのだ。被差別部落は身分的・
    社会的に差別された人々が暮らした地域(以前の韓国の白丁村に相当)で、そこの出身者は結婚や就職、育児などでひどい差別に
    耐えなければならなかった。記者は当時、このような風土をなくそうとキャンペーン記事を長期連載中だった。

     コラムは、辛い過去を持つ夫妻が3人の子供は堂々と育て上げ、その結果、祝福の中、長女の結婚式を挙げることになった感動的な
    ストーリーを丁寧な取材と温かい目で伝えた。書いた人は政治部長だった。私は本館にいる彼にすぐに電話をかけて訪ねた。そして
    「本当に感動的なコラムだ」と言った。「ほめてもらえて気恥ずかしい」と笑った彼との関係はそうして始まり、長く良い先輩・後輩としてつきあった。
    「彼」は先月28日、日中韓シンポジウムに出席するために向かった中国・北京で急死した若宮啓文(68)元朝日新聞主筆だ。

     彼の死の知らせは、様々な新聞で報道された。それにより、彼が韓日関係の改善に多くの努力を傾けた「親韓派ジャーナリスト」だったことも
    伝えられた。早くから02年のW杯韓日共同開催を提案する社説や独島(ドクト、日本名・竹島)の韓国領有権を認めて友情の島にしよう
    というコラムを書いたことなども。今日、再び彼について言及する理由は、読者の了解を得て、容易でない道を歩んできた一人のジャーナリストに
    感謝と敬意を示すためだ。

     彼は韓国で「親韓派」と言われたが、日本の右翼からは「売国奴」と非難を受けた。しかし、日本側を非難したことも韓国側に
    恩着せがましくしたこともない。ジャーナリズムの正道を歩もうと努力したことが、結果的に韓国に友好的に映っただけだと考えた。
    彼が、日本と韓国いずれにも堂々としていられた理由だ。彼は鋭いが「愛情」もあきらめなかった。韓日関係を批判したことはあるが、
    皮肉ったことはない。それだけ長く韓日問題に関わってきたジャーナリストも珍しい。彼は1979年の訪韓後、韓日関係を生涯追求する
    「ライフワーク」と見なし、数冊の著作を通じて初心を立証した。

     私は、彼を常にユーモアを失わず、新しい形式で文を書くことに悩んだ先輩だと記憶したい。彼は、韓国で開かれたあるシンポジウムで、
    「独島には竹がないのになぜ日本は竹島と呼ぶのか」という質問を受けると、「独島は2つの島なのになぜ独島と言うのか」と問い返し、
    爆笑が誘った。2010年から東亜日報に連載された彼のコラム「若宮の東京小考」66編には、小説体や対話体、寓話体など形式破壊で
    関心を引いた文も多い。彼は、文の形式も非常に重視したロマンチストだった。

     彼が北京に発つ2日前、ソウル北村(プクチョン)のある知人夫妻の韓国式家屋で夕食を共にしたのが最後の出会いだった。その席で、
    知人夫妻は、母屋の隣の離れを彼がソウルに来れば泊まれるように無料で提供すると言った。彼は申し訳なさそうにしながらも感謝した。
    その時、離れに名前を付けようという話になった。「韓日関係をより良くする夢を始める家」という意味で「夢」と「斎」はすぐに決まった。
    しかし、「始める」という意味で「啓」を入れて「啓夢斎」にするか「開」を使って「開夢斎」にするかで「論争」になった。若宮氏は自分の名前が
    入っている「啓夢斎」もまんざらでない様子だった。しかし、韓国人は断固として「啓」は上が下を教えるという権威主義的なにおいがすると言って、
    「開夢斎」に決めてしまった。

     若宮先輩、知人夫妻はあなたにした提案を取りやめず、日本人学者やジャーナリストにその離れを提供すると言っています。それで、
    離れの名前を変えようと思います。「啓夢斎」に。なぜかって?ただそうしたいからです。もう重い荷物は後輩に任せて、ゆっくりお休みください…。

    沈揆先 シム・ギュソン 大記者

    東亜日報 May. 10, 2016 15:16
    http://japanese.donga.com/List/3/all/27/533798/1

    引用元: ・【東亜日報/シム・ギュソン 大記者】 若宮啓文の夢 [5/10]  [無断転載禁止]©2ch.net

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