まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:朝鮮王朝

    1: まぜるな!キケン!! 2023/01/22(日) 07:12:37.11 ID:c5VJOb8z
    高宗即位40年の宴会を復元公演 視覚的・音楽的には華麗だが…
    その8年後の国権喪失を想起すると、韓国人に与える教訓は「反面教師」

    朝鮮王朝時代、国王の誕生日の宴はどのようなものだったのだろうか。昨年12月に国立国楽院で開かれた「壬寅(じんいん)進宴」は、その気になるところを解消してくれる舞台だった。「壬寅」とは「みずのえとら」年、「進宴」とは宮中で催される宴のことを指す。実際、この公演は1902年の高宗即位40周年と51歳の誕生日を記念するために開かれた宴を、100分前後に再構成したものだ。このため壬寅進宴は、朝鮮王朝500年の最後の宮中宴とも呼ばれる。

     視覚的に、また音楽的に、この日の舞台は感嘆を呼ぶ部分が少なくなかった。とりわけ、宴の主人公である高宗の視線から見ることができるよう、舞台の最前列の御座を空にして舞台側に向けて据えた点が印象的だった。演出・舞台美術を担当したパク・トンウ弘益大学教授の言葉の通り、「観客が皇帝の視線で公演を見ることができるようにした」のだ。

     また、国立国楽院正楽団・舞踊団などおよそ140人を総動員し、宮中舞踊と音楽の精髄を実感できる総合芸術の舞台となった。とりわけ、「漁父詞」を歌いながら船を取り囲んで舞う、最後の「船遊楽」の場面は、華麗な色彩と優雅な動きが調和し、それ自体で壮観だった。

     120年ぶりに再現された宮中宴会だが、肝心の公演が終わるころには、うれしさよりもむしろ深いやるせなさが残った。韓国近現代史の緊迫した年表が思い浮かんだせいだ。壬寅進宴が開かれた1902年は、第1次日英同盟が締結された年に当たる。国境を接したことのない英国と日本が意気投合した理由は明らかだ。ロシアの勢力拡大を阻止するための、両国の利害関係が一致したのだ。

     その後、日本は日露戦争で勝者となり、朝鮮併合の野望を本格化させた。ついに1905年、朝鮮王朝は乙巳?約(いっしろくやく。第2次日韓協約)で外交権を奪われ、1910年には国権すら失ってしまった。国王の安泰(万寿無窮)と太平の世(太平聖代)を祈ったが、数年もたたずして空念仏と化したわけだ。

     高宗と大韓帝国に対する歴史的評価ほど、学界で見解が全く食い違っている争点も珍しい。一方では、近代化と自主国家を心から願った名君と描写する。「大韓帝国は無能だから滅びたのではなく、高宗の近代化事業を撲滅しようとした日帝の計略の犠牲になった」(李泰鎮〈イ・テジン〉ソウル大学名誉教授)という主張が代表的だ。だが、亡国の責任がある暗君あるいは昏君だという批判も根強い。「高宗には王政を克服しようとする意識が足りなかった。大韓帝国では売官売職が横行し、腐敗で汚れていた」(キム・ジェホ全南大学教授)といった評価がこちらに属する。

     名君であるか暗君であるか、判じるだけの能力はないし、そういう立場にもない。だがここには、悲しき事実がもう一つある。なんと現在の政府機関内でも意見は食い違っている、という点だ。今回の公演を主催した国立国楽院では「自主国家を心から願っていた大韓帝国の最後の宮中宴会」という歴史的意味を付与した。逆に、当時の宮中宴会の手順や儀式を記録した「進宴儀軌」を所蔵している国立中央博物館のホームページは、こんな記述で終わる。「1902年の2度にわたる宴会で、大韓帝国の年間予算の9%に当たる費用が使われた。盛大な記念の宴による業務の空白と莫大(ばくだい)な費用はそのまま民に転嫁され、以後の近代化のための改革も実効を得られぬまま、国運は傾いていった」

     冷酷な国際秩序を度外視したまま王室の安寧を祈ることがどれほどむなしいかを示す、これこそ「壬寅進宴」の歴史的意味ではないだろうか。そういう意味では「反面教師」の教訓を想起させる舞台になった。今、韓半島を取り巻く状況はおよそ120年前とどれほど違うのだろうか。

    キム・ソンヒョン記者

    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2023/01/22 06:41
    https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/01/19/2023011980184.html

    引用元: ・【朝鮮日報コラム】朝鮮王朝500年、最後の宮中宴会のむなしさ[1/22] [仮面ウニダー★]

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    1: まぜるな!キケン!! 2022/01/24(月) 04:46:17.80 ID:CAP_USER
    no title

    ▲/写真=キム・ヨンジョン客員記者

    『晩悟謾筆』を発掘・翻訳した安大会教授

     安大会(アン・デフェ)成均館大学教授(60)=写真=は、まだ大学生だった1984年の夏、延世大学中央図書館で目録にもない本と出合った。最初のページをめくってみると、没落した両班(朝鮮王朝時代の貴族階級)の青年が流浪して物乞いになり、ソウルで科挙の試験を受けるが、彼のことを夢で見たソウルの両班一家の助けを受けて最後はカンニングをして及第した-という奇異な物語がつづられていた。著者は、物語の最後で嘆いている。「ああ! 吉凶禍福は全てあらかじめ定められているのだから、人の力でどうにかできるものではない」

     その本は、学界では知られていない1812年(純祖12年)の野談集(物語本、民間に伝承する各種の話を収録する)『晩悟謾筆』だった。著者は、南人の党派に属する無名のソンビ(文人・学者)、鄭顕東(チ ン・ヒョンドン)=1730-1815=と判明した。安教授は、韓国古典翻訳院のキム・ジョンハ翻訳委員など14人と共に、最近『晩悟謾筆』(成均館大学出版部)を完訳・出版した。「発見」から37年を経てようやく翻訳本を出したことについては「これまで他の仕事が多かったから」と語った。

     朝鮮王朝時代後期の野談や実話の物語を194件収録したこの本は、訳者が付した内容のリストを見るだけでも興味深い。「物乞いの出世記」「天然痘が結んでくれた縁」「夫を告発して殺した女」「キムじいさんの後を継いでやった儒生」「後妻の処女性」「ポッサム(寡婦を連れ去って再婚させること)に遭った男やもめ」……新聞の社会面に載っている事件記事をほうふつとさせる物語からは、18-19世紀の水面下の社会層がありありと現れてくる。

     安教授は「財産争いや女性の淫行の物語が多いが、妓生(キーセン=芸妓〈げいぎ〉)がお金をたくさん稼いで両班と結婚するエピソードのように、以前の時代では想像もできなかったことも起きている」と語った。馬に乗っていくソンビを農民たちが引きずり降ろして乱暴するなど、過激な事件も紹介された。朝鮮王朝を維持してきた身分制度と倫理が揺らぎ、女性の地位が変化し、貞節の概念が色あせるなど、社会が急速に変わっていく様子がありありと捉えられているのだ。「朝鮮の18世紀は、われわれが生きてきた20世紀に劣らぬ激動期だったという話になります」

     『晩悟謾筆』に載っている話の大部分は、ほかの本で見て書いたものではなく、京畿道広州で暮らしていた鄭顕東が知り合いや、過客(旅人)のような人物に聞いて記した内容なので、史料的価値は高い-と安教授は説明した。当時の過客は滞在する家の主人と対話を交わして世の中の出来事を伝える、現在の記者やブロガー、ユーチューバーのような役割を果たしていたというわけだ。

     鄭顕東がこの本を書いたのは83歳のときだった。『東史綱目』を著した実学者・安鼎福(アン・ジョンボク)の弟子として学問を好んでいたものの、生涯官位には就けなかったこの人物は、出世した人々に対する複雑な視線をあらわにしている。能力がないにもかかわらずうまい手を使って科挙に及第した人々を淡々と見ながら、運命論的態度を示しつつも、「逆境にひるまず耐えて才能を守った人々は、最後には富と名誉を得る」という能力主義の立場もまた堅持していたのだ。

    兪碩在(ユ・ソクチェ)記者

    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2022/01/23 00:11
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2022/01/21/2022012180046.html

    引用元: ・【朝鮮日報】「大金持ちの妓生、両班に乱暴を働く農夫…18世紀の朝鮮王朝は激動期」[1/23] [右大臣・大ちゃん之弼★]

    【今となにが違うのか 【朝鮮日報】「大金持ちの妓生、両班に乱暴を働く農夫…18世紀の朝鮮王朝は激動期」[1/23] [右大臣・大ちゃん之弼★]】の続きを読む

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    1: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  ) 2015/05/03(日) 06:47:29.26 ID:???.net
     「朝鮮は乳学の国」。これは出版業界でいわゆる「ライトノベル(軽小説)」というジャンルに分類される本の中で、朝鮮王朝について説明した項目だ。
    この本は朝鮮王朝の根幹の学問だった「儒学」を、韓国語の発音が同じ漢字に置き換え、朝鮮王朝時代を「女性の真の美しさを追求した国」と表現したものだ。
    この本の主人公は領議政(議政府〈中央官庁〉で最高の官職)になったばかりの西人(朝鮮王朝中期の官職の党派)のトップ「ソン・シヨン」で、女性の豊満な胸を意味する「巨乳」と表現した。
    これもまた、朝鮮王朝後期の党派の一つ「老論」のトップで「巨儒(名高い儒学者)」と呼ばれた宋時烈(ソン・シヨル)をモデルにしたと考えられる。

     韓国の歴史上で実在した人物や史実を、性的なイメージを抱かせるのに活用したり、歪曲(わいきょく)したりした小説やウェブ漫画が流行している。
    とりわけ、漫画のような挿絵がところどころに挿入されている、このような出版物やウェブ漫画が中高生の間で人気を呼び、論議を呼んでいる。

     実際、インターネットユーザーの間では一時期、上記の本に登場する「朝鮮は乳学の国」や「巨乳」という言葉が流行した。

     ライトノベルで高い人気を呼んだ本をめぐっては、檀君(伝説上の古朝鮮の王)の神話を歪曲したという論争も続いている。
    2010年12月に出版された当時、オンライン書店で販売ランキング1位を記録し、現在16巻まで出ている問題の本は「檀君神話ラブコメディー」を標ぼうし、同神話に登場する桓雄や熊女、トラを登場させている。
    神話の中で、人間の姿をした桓雄の妻となった熊女は、この本の中では妖怪として描かれている。
    また、熊女の子孫である「クマの一族」は、熊女の言いなりになる人形とされている。さらに子孫代々、胸が大きいという設定まである。

     朝鮮王朝中期に起こった「イ・ファルの乱」を背景としたポータルサイトの漫画は、イ・ファルを「カリスマ型のリーダーの典型」として賛美している。
    反乱を起こす前、?倭(壬辰倭乱〈じんしんわらん、文禄・慶長の役〉当時、朝鮮側に投降した日本兵)の村に一人で入り、
    彼らを自分の私兵として取り込んだというストーリーに、ネットユーザーたちは「イ・ファルは本当に男らしい」「朝鮮最高のクーデターだ」などといったコメントを寄せた。
    だが、イ・ファルが降倭たちを説得するという内容は、朝鮮王朝の正史(公式な歴史)はもとより、野史(民間人が編さんした歴史書)にも登場しない。

     一方、日本のゲーム会社が昨年1月から韓国でサービスを開始したスマートフォン(多機能携帯電話端末)向けカードゲームは、
    朝鮮王朝時代の医学書『東医宝鑑』の著者、許浚(ホ・ジュン)と同じ名前の主人公を登場させ、その主人公が使用する武器には毒を連想させる「毒医宝鑑」という名を付けた。
    このほか、朝鮮王朝末期の名医、李済馬(イ・ジェマ)と同じ名前のキャラクターは、許浚と一緒に人体実験を行うという設定だ。
    この人体実験によってつくられたキャラクターは「派独看護部長」だ。
    これは朴正煕(パク・チョンヒ)政権下、失業問題の解消や外貨獲得を目的として、西ドイツ(当時)に派遣された「派独看護士」を連想させる。
    この漫画は結局、ネットユーザーの間で「日本が韓国の歴史を歪曲し、こき下ろした」との反発を招き、ゲーム会社側は全てのキャラクターの名前を変えた。

     いくら小説や漫画だとはいえ、歴史を歪曲したり、こき下ろしたり、根拠となる史料を見つけるのも困難な内容をストーリーに仕立てたりすることで、
    青少年に誤った歴史認識を植え付けかねないと指摘する声が出ている。
    想像力によって創造された歴史上の人物のイメージを、多くの青少年が事実として受け入れかねないというわけだ。
    ポータルサイトで提供されている、あるウェブ漫画のアクセス者は、1カ月に460万人に達し、このうち70%程度が10-20代の青少年だという調査結果もある。
    「許浚」というキャラクターが登場するゲームも、サービス開始当初は100万人がダウンロードした。
    ソウル市内の小学校教諭(51)は「昨年、授業中に子どもたちが、許浚の著書の名を『毒医宝鑑』と答えたので、間違いを指摘したところ、逆にゲームの話を持ち出して『先生が間違っている』と言い出した」と話した。
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/02/2015050200593.html
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/02/2015050200593_2.html

    引用元: ・【韓国】朝鮮王朝は「乳学の国」?[05/03]

    【今度はラノベが歴史のソースになるんですね。【韓国】朝鮮王朝は「乳学の国」?[05/03]】の続きを読む

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