1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2016/09/05(月) 19:50:14.71 ID:CAP_USER
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生き地獄と記憶される36年間の日帝侵略時代に彼らの首長である日本総督を猛烈に叱ったとすればどれほどさっぱりしただろうか?

ここに韓国仏教を代表して日本のミナミ総督を激しく叱責してぶるぶる震わせたマンゴン禅師<写真>の話がある。1937年3月11日だった。悪質で有名だった日本のミナミ総督は全国13の道知事と仏教31本山の住持を呼び集めて朝鮮仏教振興策を主題に会議を開いた。

ミナミはこの席で「朝鮮仏教は日本仏教と合併してより大きな振興を成し遂げなければならない」と言って野卑な横目でにらんだ。会議場には銃と刃物をわき腹に帯びた日本軍憲兵隊などが道知事と住持らを圧迫して沈黙だけが流れた。

この時であった。当時、麻谷寺(マゴクサ)住持だったマンゴンは机が壊れるほど両手で打ち下ろして席をけって立ち上がった。そしてミナミを指差して獅子吼した。マンゴンは「朝鮮仏教は1500年の歴史を維持し、その修行、正法と教化の方便は法理にかなうので日本仏教と合わせてよくする必要はなく、日帝が宗教に干渉しないことだけが唯一の振興策だ」として「テラウチ前総督は朝鮮僧侶らを破戒させた罪人で、死んで無間地獄に落ちて苦しむだろう」と大声を張り上げた。

会場に大きく響きわたったマンゴンの声にミナミ総督と憲兵隊は何の返事もできなかった。この日のことは日本軍に大きな衝撃として残り、結局、朝鮮仏教抹殺政策は失敗した。

1940年10月1日発行された朝鮮総督府市政30年史で日本は「朝鮮仏教の振興に関しては執政以来、始終一貫保護先導に努めたが、期待した程効果を上げることができなかった」と書かれた。

マンゴンは萬海(マンヘ)・韓龍雲(ハン・ヨンウン)に独立資金も支援した。当時、マンゴンを迎えたスヨン僧侶(91)は「総督府会議と禅学院高僧大会などでマンゴンがマンヘに独立資金が入った封筒を渡した」と明らかにした。そのため、地域社会ではマンゴンを独立活動家として再照明しなければならないという主張が出ている。

このような韓国仏教の精神的支柱、マンゴン大禅師について研究する学術大会が来る8日午後1時、礼山郡(イェサングン)修徳寺(スドクサ)で開かれる。
(中略:発表者紹介)

マンゴンは1871年泰安(テアン)で生まれ1883年公州東鶴寺(トンハクサ)で出家した。1941年には日本の植民仏教政策に抵抗するために禅学院高僧大会を主導するなど日帝に対抗し、光復直後の1946年、命を終えた。

ソース:中都日報(韓国語) '日帝総督に激しい叱責'マンゴン大禅師をご存知ですか
http://www.joongdo.co.kr/jsp/article/article_view.jsp?pq=201609051908

引用元: ・【韓国】 生き地獄の日帝侵略時代、日帝総督を激しく叱責し朝鮮仏教抹殺政策を失敗させたマンゴン禅師をご存知ですか?[09/05] [無断転載禁止]©2ch.net

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