まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:朝鮮

    1: まぜるな!キケン!! 2021/07/12(月) 11:32:32.50 ID:CAP_USER
    [강북구 인문학 강의] 김두규 우석대 교양학부 교수의 서울의 진산, 북한산(삼각산)
    https://www.youtube.com/watch?v=I8YBZjcgLNc



    2021-07-12 02:50
    https://go.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=2021071201200

    ソウル江北区はYouTubeを通じて北漢山に絡んだ歴史の話を解き明かす人文学講義を進行している。

    区はキム・ドゥギュ又石大学教養学部教授が江北区のYouTubeチャンネルで運営中の人文学講義29人目の講師に出演して、北漢山を主題に講演すると11日明らかにした。キム教授は文化財庁の文化財委員としても活動している。

    北漢山はソウルの鎮山だ。鎮山は町の後方で乱離を鎮圧して保護する大きな山という意味だ。講義は朝鮮の守護神を象徴する北漢山の地位を日本帝国主義がどのように格下げさせたのかを扱った。キム教授によれば、鎮山は都邑全体をまとめる中枢の役割をする所だ。朝鮮の首都・漢陽の鎮山には白雲台、仁寿峰、万景台で成り立った北漢山は適格というのが彼の説明だ。

    しかし、朝鮮を強制併合した日帝は北漢山が持っていた地位を貶めようとした。キム教授は「1914年に日帝は北漢山の行政区域を国家の都邑地である漢城から京畿道の管轄に変更した」として「漢陽の行政区域である漢城府の地位を事実上剥奪した訳で、風水侵略が行われたものと見ることができる」と話した。

    区は日帝強占期を巡る生々しい北漢山の話はYouTube『歴史文化観光の都市・江北区』チャンネルで視聴が可能だと明らかにした。講義は常時掲載されて、何時でも見ることができる。パク・ギョンス江北区長は「今回の講演は北漢山に絡んで隠された日帝残滓に新たに気付くキッカケになるだろうと見ている」として「北漢山が持っていた本来の意義を正しく立て直して、ソウルの鎮山として歴史・文化的な地位を回復する日が早く来てほしい」と話した。


    【朝鮮日報】風水を利用して日本を制圧せよ★2[09/21]
    https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1379746274/
    【朝鮮日報】キム・ドゥギュ又石大学教養学部教授 風水学で読み解く「朝鮮に対する関西勢力」の野望[5/31]
    https://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1433162869/

    引用元: ・【呪術朝鮮】日帝による朝鮮の守護神『北漢山』の風水侵略[07/12] [Ttongsulian★]

    【韓国人の愚鈍さに驚愕だわ 【呪術朝鮮】日帝による朝鮮の守護神『北漢山』の風水侵略[07/12] [Ttongsulian★]】の続きを読む

    1: まぜるな!キケン!! 2021/01/29(金) 16:22:25.93 ID:CAP_USER
    753年(新羅景徳王12年)1月1日、唐の蓬莱宮では新年を祝う儀式が挙行された。ところが式場に出席した新羅の使臣と日本の使臣の間で争いが生じた。どちらが序列が高い位置に立つかをめぐってだ。当初、唐の朝廷は西班の序列1位に吐蕃の使臣、2位に日本の使臣、東班の序列1位に新羅の使臣、2位に大食国の使臣を配置した。ところが日本の使臣の大伴古麻呂は「新羅は昔から日本に朝貢する国だが、日本の使臣より上の位置に立つのは受け入れられない」と唐の官吏らに抗議した。唐の朝廷の責任者、呉懐実はあたふたと日本の使臣と新羅の使臣の位置を入れ替えた。唐の朝廷から誰がより高く待遇されるかをめぐり新羅と日本の使臣が争ったことを「争長事件」と呼ぶ。

    争長事件で注目されるのは日本の使臣が新羅を自分たちの朝貢国と規定した事実だ。いわば、日本は「皇帝国」であり、新羅は皇帝に頭を下げる「蕃国」ということだ。このように自国を高めて新羅を見下げる意識は『日本書紀』を通じて公式化された。『日本書紀』仲哀天皇9年条には「仲哀天皇が死去しての神功皇后が新羅征伐に動くと、新羅の王が日本を神国、日本の王を天皇、日本の兵士を神兵と呼んで降伏した後、永遠に朝貢することを誓った」という説話がある。新羅の王の口を借りて日本を持ち上げるこの内容は、今日では日本の史学者も明白に伝説だと評価するが、以後の韓日関連史に及ぼした影響は非常に大きく深刻だった。日本人が韓半島(朝鮮半島)を蔑視する認識の出発点になったからだ。

    (略)

    古代から日本が神国、天皇の国を自負したのは、中国とは対等であり、韓半島より一等級上の国であることを示すためだった。さらに壬辰倭乱以降、日本は自国を「武威の国」と、朝鮮を「武備がない虚弱な国」と規定した。半面、朝鮮は自分たちが中国と最も親しく、中国に次ぐ文明国という事実を日本に対する優越意識の根拠として前に出した。日本は朝鮮を「中国の虚弱な属国」と見なした一方、朝鮮は日本を「中華文明を知らない野蛮国」と罵倒した。

    このようにお互いを眺める根源的な内心は違ったが、壬辰倭乱後の200年余り、朝鮮と日本は平和な関係を維持した。しかし19世紀以降、西欧列強の軍事的脅威に危機感を強めた日本の知識人はまた天皇を呼ぶことになった。代表的な人物が吉田松陰(1830-59)だ。吉田松陰はロシアとの貿易で失ったものを朝鮮と中国を征服して埋めなければいけないと主張した。吉田松陰は「天皇が治めた古代は韓半島が日本に朝貢したが、その後は傲慢だった」とし、神功皇后と豊臣秀吉の偉業を継承して朝鮮を占領すべきだと強調した。朝鮮を征服して天皇にひざまずかせることこそが本来の国体を回復する道だと力説した。いわゆる征韓論を露骨に表したのだ。

    吉田松陰は夭折したが、征韓論は弟子の伊藤博文(1841-1909)らによって行動に移された。韓半島侵略の象徴的な人物である伊藤博文は自らを豊臣秀吉の生まれ変わりと考えた。伊藤らが韓国を侵略して保護国にし、最終的には植民地として奪取する過程は、過去に神功皇后や豊臣秀吉が掲げた「神国の偉業」を実現したということだ。

    実際、1910年8月29日、明治天皇は「東洋の平和と帝国日本の安全を保障するために韓国を日本帝国の保護の下に置く」という内容で、いわゆる併合詔書を出した。そして同日、朝鮮の純宗を昌徳宮(チャンドックン)李王、高宗を徳寿宮(トクスグン)李太王とする詔書も出した。8世紀以降、自らを神国・皇国と称して韓半島に皇帝として振る舞うことを望んだ「千年の願い」が実現する瞬間だった。

    同年11月、韓国を強制的に併呑したことを記念するために発行された雑誌『歴史地理朝鮮号』の編集者は、感激のあまり発刊の辞を書いた。「韓国併合は古代以来の日本の歴史的懸案が解決されたもの」ということだ。

    こうした歴史を振り返ると、解放以降、韓国人が日本の国王を天皇と呼ぶのは簡単でなかった。韓国政府が1998年から外交的には「天皇」を公式用語といて使っているが、内部では「日王」と呼ぶべきだという主張が少なくない。先日、新任駐日大使が日本に赴任した直後「天皇陛下」という呼称を使ったことをめぐり、また論争が生じている。天皇をめぐる葛藤が1000年以上累積してきた韓日間の特別な歴史と、日本との友好を維持すべき最近の現実の間で、果たしてどこに重心を置くべきなのだろうか。

    ハン・ミョンギ/明知大史学科教授
    https://japanese.joins.com/JArticle/274987

    前スレ
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1611894747/

    引用元: ・【中央日報コラム】日本の韓蔑視、1300年続く傲慢と偏見…「朝鮮は我々の臣下」 ★2 [1/29] [昆虫図鑑★]

    【おまエラなんて心からお断りだ。【中央日報コラム】日本の韓蔑視、1300年続く傲慢と偏見…「朝鮮は我々の臣下」 ★2 [1/29] [昆虫図鑑★]】の続きを読む

    1: まぜるな!キケン!! 2020/06/13(土) 19:36:52.73 ID:CAP_USER
    (写真1)
    no title

    ▲ イ・グァンサ(李匡師)肖像(宝物第1486号)。イ・グァンサ(1705~1777)は代々判書以上の官職を務めた少論(ソロン)の名門家の出身だが、英祖(ヨンジョ)の即位後は老論(ノロン)が政権を握り、家が没落して学問に専念した。燃藜室記述を書いたイ・グンイク(李肯翊)の父親である。 朝鮮時代の修養書は、貧しくても相応の健康法で健康的な生活をしようと務めた。国立中央博物館所蔵。
    _______________________________________________________

    健康を失えば全てを失うという言葉がある。朝鮮時代は医療が遅れていて貧しかったが、ソンビ(士人)たちは彼らだけのやり方で健康的な生活をしようと努力した。古典には彼らの様々な健康法も掲載されている。最近と変わらない内容もある一方、現代の常識では容易に納得し難いような驚くべき方法も紹介されている。

    実学者のホン・マンソン(洪萬選=1643~1715)が書いた『山林経済』には、修養するソンビの健康法が掲載されている。『山林経済』では、食べ物を少なめにゆっくりと食べ、熱いものや冷たいものなどの刺激的なもの控えるよう勧告している。食べ物は一生「常に物足りない」という気持ちになるよう、半分だけ食べなければならない。急いで食べて快楽だけを求めれば、内臓にはカスだけが詰められるだけだ。食事の後ですぐ横になったり、一日中じっと座っていてもいけない。気血を妨げて寿命を縮める。日頃から手で腹を数百回擦り付け、頭を後ろに反らして精気を数百回吐き出し、のろのろと数百歩をぶらついて食べ物を消化させなければならない。水も喉が渇いていても急いで飲めば神経痛が生じる。

    熱いのを食べれば骨が病み、冷たいのを食べれば肺が病む。食べ物は四季を問わず、常に暖かくなければならない。夏には消化が遅いものと決まっている。したがって夏は食べ物を少なく食べ、生ものと冷たいものを避けるべきだ。五味(辛味・塩味・甘味・酸味・苦味)が強い食べ物や焼いた食べ物は脾臓と肝、肺を病む。 <山林経済>は互いに合わない食べ物も比べている。 「メミル(蕎麦)と豚肉を一緒に食べると髪の毛が抜ける。牛肉と豚肉をマッコリと同時に取ると寸蟲(サナダムシ)がわく。柿や梨と蟹を一緒に食べてはいけない。ケコギ(狗肉)はニンニクと一緒に食べたら有害だ」

    酒は少めに飲めば薬になりえる。『山林経済』も酒を断てとは言わない。酒が肌を潤し血気の疎通を高める。ただし酒を飲んだ後、冷水や冷茶を飲むなと言っている。腎臓に冷毒が入って良くないというのである。

    ソース:毎日経済(韓国語)
    https://www.mk.co.kr/opinion/columnists/view/2020/06/604834/

    >>2につづく

    引用元: ・【うんこ】朝鮮の実学者が提示する健康法[06/13] [ハニィみるく(17歳)★]

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    1: まぜるな!キケン!! 2020/10/25(日) 16:45:57.24 ID:CAP_USER
    東北アジア歴史財団が学術大会開催

       中国は最近、「朝鮮族を含む中国の55の少数民族は全て漢族と同じ祖先の子孫」と主張している。この主張を巡り、政治的目的のための中国上古史の歪曲(わいきょく)が過度に行われているとの分析が登場した。

     東北アジア歴史財団が22日に開催した学術大会「中国愛国主義と古代史作り」に発表者として出席した同財団のキム・インヒ研究委員は、中国が神話の中の人物を歴史上の人物であるかのように作り上げ、「中華民族(56民族)の共同祖先」にしていると指摘した。

     その代表的な人物が、三皇五帝神話に登場する黄帝だ。河南省新鄭市の「黄帝故里」に造成された広さ1万5000平方メートルの「中華姓氏広場」は、56の「中華民族」が黄帝の子孫であることを建築物で表現している。中国のほぼ全ての姓氏が、黄帝の直系の子孫だというのだ。

     陝西省延安市の黄帝陵では、樹齢5000年の木を「黄帝が直接植えた木」と紹介し、石板に残る2つの足跡を「黄帝の足跡」と宣伝している。金研究委員は「中国は黄帝を歴史上の実在の人物にするため新石器時代の遺跡を動員し、その結果、黄帝の生存時期は紀元前6000年-2000年まで4000年を包括することになった」とした。しかし実際の黄帝は、紀元前1000年前後の西周初期の王をモデルとして、後世に作り上げられた存在だ。

     金研究委員は、黄帝が(1)世界で最も古く、発達した文明を創造した歴史的人物(2)「中華民族」の共同祖先-という「集団記憶」を創出し、共産党を中心に全人民の統合を実現する役割を果たしていると語った。延安の黄帝陵に掲示された「最初の祖先を回顧しつつ新時代の夢を構築する(緬懐初祖、築夢新時代)」という標語は、習近平国家主席の中心的政策である「中国夢(『中華民族の復興』)」と直結しているという。

    兪碩在(ユ・ソクチェ)記者

    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2020/10/25 05:44
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/10/23/2020102380151.html

    引用元: ・【朝鮮日報】朝鮮族など中国56民族は同じ祖先?[10/25] [右大臣・大ちゃん之弼★]

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    1: まぜるな!キケン!! 2019/03/25(月) 11:41:21.62 ID:CAP_USER
    『日本の酒』と言えば一般的にどのような酒が思い浮かぶだろうか?おそらく大部分は日本式清酒、『サケ(さけ・sake)』を思い浮かべるはずである。ところが以外と日本では、このサケよりも他の酒の方を飲む。それは『日本式焼酎(しょうちゅう・shochu)である。ただし、日本の焼酎は韓国の焼酎とは少々異なる。韓国は緑色の瓶に入った希釈式焼酎が焼酎市場全体の99%近いシェアを持っている。一方、日本はサツマイモや麦などを利用した蒸溜式焼酎が市場をリードしている。韓国は酔うために焼酎を飲むが、日本は原料の風味を楽しむために焼酎を選択する。

    (写真)
    no title

    ▲ 日本の壱岐島で生産されている代表的な麦焼酎、『ちんぐ』

    このような日本の焼酎文化に朝鮮が関与したという事実がある。朝鮮王朝実録を見れば、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)以前に対馬の島主に持続的に焼酎を下賜する様子が伺える。15世紀の朝鮮は倭寇の頻繁な侵入から対馬島を征伐しつつ、釜山浦・乃而浦(昌原)・塩浦(蔚山)などの三浦を対象に倭人の往来と居住を許可するなど、懐柔策と強硬策を同時に展開した。この時代、対馬島主は朝鮮政府から『対馬島節制使(従三品)』および『僉知中枢府事』’などの官職を受け、旧韓末まで朝日間の交易および外交関連の仕事をした。我々に馴染み深い対馬島の人物では、旧韓末の徳恵翁主の夫である宗武志で、まさにこの対馬島主の家柄である。

    興味深い事は、対馬島主に焼酎を授けたが、対馬島では焼酎を普及させる事ができなかった。理由は簡単である。農業ができるほどの土地がないからである。対馬島は極めて痩せた土地に山脈が連なっている。米や麦などはほとんど栽培していない。対馬島の酒醸造場は、サケ用の米を日本本土から受けている。山脈が連なっているので隠れ易く、食べ物がなければ略奪に打って出るしかなかった。これは倭寇勢力が潜むには良い自然環境だった。

    対馬島に定着をする事ができなかった焼酎は、50km離れた壱岐島で開花する。ここには平地がある豊かな場所である。隠岐島では麦焼酎が発達する。結局、朝鮮から送り込んだ焼酎は対馬島ではなく、隠岐島という場所で開花する事になったのである。

    ちなみに日本の麦焼酎の起源が朝鮮という話は、我々だけの主張ではない。日本の国税庁でも、隠岐島の麦焼酎が朝鮮半島から由来したという主張を最も有力なものとして記載している。日本の公式サケソムリエのホームページでもこの部分に言及している。

    日本は隠岐島の麦焼酎を保存するために多くの努力を傾けた。フランスのシャンパーニュ地方で作られたシャンパン、コニャック地方で作られたコニャックと共に、世界貿易機関(WTO)が指定した『地理的表示』を隠岐島の麦焼酎が受けたのである。つまり、隠岐島の麦を使って作った焼酎に限り、『隠岐焼酎』という称号が使えるのである。一方で我々の酒のうち、WTOが認めた『地理的表示制』を受けた酒が一つもない。極めて残念な部分である。

    ソース:NAVER/世界日報(韓国語)
    https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=022&aid=0003348905

    引用元: ・【韓国】日本の麦焼酎の起源は朝鮮?[03/25]

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