まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:朝鮮

    1: まぜるな!キケン!! 2023/02/20(月) 16:12:22.31 ID:7uLYdt9j
    (略)

     ウクライナ戦争がどのように終わるかは、国際秩序の未来にも重要な意味合いを持つものとなる。結局のところ米・中・ロという大国間の取引と妥協が最終決定権を持つため、ウクライナもある時点では「苦しい選択」を迫られることになるだろう。そこにおいて少なくとも韓国の「進歩派」の立場からは、ウクライナ人の抵抗を過小評価し、「ロシアと早く妥協せよ」という主張ばかりを前面に押し出してはならない。大国の一方主義が貫徹されないよう、ウクライナ人の主権と自決権が最大限尊重されるよう連帯しなければならない。大国が膨張の論理を振りかざすたびに「衝突の断層」において苦しんできた朝鮮半島も、結局は似たような境遇だからだ。先月末に成均中国研究所が主催したウクライナと朝鮮半島についての討論会で、成均館大学のチャ・テソ教授は「現実主義論理に従うと、米国は衝突が起きた時、どこまで守り、どこはあきらめるのかを選択することになる。『21世紀のアチソン・ライン(米国の国務長官アチソンが1950年1月に宣言した防衛ライン。アリューシャン、日本、沖縄、フィリピンを結ぶ線とし、朝鮮半島や台湾は防衛ライン外に置かれた)』はどこに引かれるのか、朝鮮半島、台湾、ウクライナなど大国勢力の境界地帯にいる人々にとっては非常に恐ろしく、重要な問題となる」と述べた。

     世界は諸帝国の衝突と弱肉強食の時代へと向かうのかの岐路に立たされている。経済的にも、中国・ロシアと米国が両者とも陣営化と保護主義へと動くことで、輸出主導型である韓国経済の危機は深まっている。北朝鮮は韓米合同演習を前に大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射して威嚇している。すべての変数が韓国にとって不利な方向へと動いている。中央大学のペク・スンウク教授は、季刊誌「動向と展望」最新号で、韓国社会は「三重の危機」に直面していると指摘する。1つ目は、韓国の経済と政治はうまく維持され続け、戦争は発生しない、という固定観念を揺るがす秩序の変化。2つ目は、この危機に対処する能力を示せない韓国政治の危機。3つ目は、変化をきちんと分析する思想の不在だ。休戦70年にして迫る複合危機の嵐を前にして、レッテル貼りと憎悪に陥った政治、相手陣営を敵視し分裂した社会ばかりが目に付く。

    パク・ミンヒ|論説委員

    http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/45969.html

    引用元: ・【ハンギョレコラム】ウクライナ戦争1年、朝鮮戦争70年…「21世紀のアチソン・ライン」は [2/20] [昆虫図鑑★]

    【いつまで経っても民族統一できない無能 【ハンギョレコラム】ウクライナ戦争1年、朝鮮戦争70年…「21世紀のアチソン・ライン」は [2/20] [昆虫図鑑★]】の続きを読む

    1: まぜるな!キケン!! 2023/02/16(木) 14:19:28.79 ID:try8W3Eu
    儀軌から社会経済まで…朝鮮時代の研究 鄭道伝など韓国の学者・儒学者にも目を向け

     朝鮮時代を中心に多方面の研究活動を展開し、韓国国史学界を代表する学者に挙げられてきたソウル大学名誉教授のハン・ヨンウ氏が、15日死去した。享年85。

     1938年に忠清南道瑞山(ソサン)で生まれた故人は、ソウル大学校史学科大学院で修士・博士学位を取得、1967年から2003年までソウル大学校国史学科教授として在任した。定年退任後は名誉教授になった。韓国史研究会長、国史編纂委員会委員、文化財庁文化財委員、京畿文化財団理事、ソウル大学人文学部長なども歴任した。

    ー中略ー

     故人は引退後、著述活動がさらに活発になり、韓孝純(ハン・ヒョスン)、成渾(ソン・ホン)など儒学者たちの評伝を継続して書き続け、昨年もホ・ギュン(1569~1618)を「天才革命思想家」として探求した『ホ・ギュン評伝』を出版した。故人は本紙とのインタビューで、「朝鮮は事大と党派による抗争、身分差別で滅びた国」という植民史観を克服することを自分の学問の主要な軸に挙げたことがある。

     故人は1974年の維新体制で初めて発行された国定教科書(高等学校国史)の執筆に参加し、一部から「御用学者」という批判を受けた。これに対して故人は、2015年の本紙とのインタビューで「当時、文教部(現在の教育部)が執筆者の反対を押し切って維新体制を美化する内容を含ませるようにした」と明らかにしている。「植民史観を克服した正しい歴史を教えたいという熱望から国定教科書の執筆に参加したが、(政権が無断で内容を変えたため)教科書は維新教科書というレッテルを貼られ、執筆陣は御用学者になってしまった」ということだ。インタビュー当時、朴槿恵政権が「歴史教科書国定転換」を強引に推進しており、これに対する懸念と反対の意思を明らかにしながら述べた話だ。

     故人は5等級勤政勲章(2003年)、大韓民国文化遺産賞大統領表彰(2005年)、民世安在鴻学術賞(2012年)など様々な賞を受賞した。葬儀場はソウル鍾路区(チ ンノグ)のソウル大学病院葬儀場2号室に設けられた。遺族は夫人のキム・チェジュンさんと2人の息子のジョンフンさん(成均館大学教授)、スンヒョンさん(建国大学教授)。出棺は18日午前、埋葬地はソウル追悼公園。
    チェ・ウォンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

    登録:2023-02-16 10:32 修正:2023-02-16 11:11
    https://japan.hani.co.kr/arti/politics/45938.html

    引用元: ・【ハンギョレ】「朝鮮が党派争いで滅びたという植民史観を克服したい」 歴史学者ハン・ヨンウ氏死去[2/16] [仮面ウニダー★]

    【ほんと歴史を改編するの好きだな 【ハンギョレ】「朝鮮が党派争いで滅びたという植民史観を克服したい」 歴史学者ハン・ヨンウ氏死去[2/16] [仮面ウニダー★]】の続きを読む

    1: まぜるな!キケン!! 2023/01/22(日) 07:12:37.11 ID:c5VJOb8z
    高宗即位40年の宴会を復元公演 視覚的・音楽的には華麗だが…
    その8年後の国権喪失を想起すると、韓国人に与える教訓は「反面教師」

    朝鮮王朝時代、国王の誕生日の宴はどのようなものだったのだろうか。昨年12月に国立国楽院で開かれた「壬寅(じんいん)進宴」は、その気になるところを解消してくれる舞台だった。「壬寅」とは「みずのえとら」年、「進宴」とは宮中で催される宴のことを指す。実際、この公演は1902年の高宗即位40周年と51歳の誕生日を記念するために開かれた宴を、100分前後に再構成したものだ。このため壬寅進宴は、朝鮮王朝500年の最後の宮中宴とも呼ばれる。

     視覚的に、また音楽的に、この日の舞台は感嘆を呼ぶ部分が少なくなかった。とりわけ、宴の主人公である高宗の視線から見ることができるよう、舞台の最前列の御座を空にして舞台側に向けて据えた点が印象的だった。演出・舞台美術を担当したパク・トンウ弘益大学教授の言葉の通り、「観客が皇帝の視線で公演を見ることができるようにした」のだ。

     また、国立国楽院正楽団・舞踊団などおよそ140人を総動員し、宮中舞踊と音楽の精髄を実感できる総合芸術の舞台となった。とりわけ、「漁父詞」を歌いながら船を取り囲んで舞う、最後の「船遊楽」の場面は、華麗な色彩と優雅な動きが調和し、それ自体で壮観だった。

     120年ぶりに再現された宮中宴会だが、肝心の公演が終わるころには、うれしさよりもむしろ深いやるせなさが残った。韓国近現代史の緊迫した年表が思い浮かんだせいだ。壬寅進宴が開かれた1902年は、第1次日英同盟が締結された年に当たる。国境を接したことのない英国と日本が意気投合した理由は明らかだ。ロシアの勢力拡大を阻止するための、両国の利害関係が一致したのだ。

     その後、日本は日露戦争で勝者となり、朝鮮併合の野望を本格化させた。ついに1905年、朝鮮王朝は乙巳?約(いっしろくやく。第2次日韓協約)で外交権を奪われ、1910年には国権すら失ってしまった。国王の安泰(万寿無窮)と太平の世(太平聖代)を祈ったが、数年もたたずして空念仏と化したわけだ。

     高宗と大韓帝国に対する歴史的評価ほど、学界で見解が全く食い違っている争点も珍しい。一方では、近代化と自主国家を心から願った名君と描写する。「大韓帝国は無能だから滅びたのではなく、高宗の近代化事業を撲滅しようとした日帝の計略の犠牲になった」(李泰鎮〈イ・テジン〉ソウル大学名誉教授)という主張が代表的だ。だが、亡国の責任がある暗君あるいは昏君だという批判も根強い。「高宗には王政を克服しようとする意識が足りなかった。大韓帝国では売官売職が横行し、腐敗で汚れていた」(キム・ジェホ全南大学教授)といった評価がこちらに属する。

     名君であるか暗君であるか、判じるだけの能力はないし、そういう立場にもない。だがここには、悲しき事実がもう一つある。なんと現在の政府機関内でも意見は食い違っている、という点だ。今回の公演を主催した国立国楽院では「自主国家を心から願っていた大韓帝国の最後の宮中宴会」という歴史的意味を付与した。逆に、当時の宮中宴会の手順や儀式を記録した「進宴儀軌」を所蔵している国立中央博物館のホームページは、こんな記述で終わる。「1902年の2度にわたる宴会で、大韓帝国の年間予算の9%に当たる費用が使われた。盛大な記念の宴による業務の空白と莫大(ばくだい)な費用はそのまま民に転嫁され、以後の近代化のための改革も実効を得られぬまま、国運は傾いていった」

     冷酷な国際秩序を度外視したまま王室の安寧を祈ることがどれほどむなしいかを示す、これこそ「壬寅進宴」の歴史的意味ではないだろうか。そういう意味では「反面教師」の教訓を想起させる舞台になった。今、韓半島を取り巻く状況はおよそ120年前とどれほど違うのだろうか。

    キム・ソンヒョン記者

    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2023/01/22 06:41
    https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/01/19/2023011980184.html

    引用元: ・【朝鮮日報コラム】朝鮮王朝500年、最後の宮中宴会のむなしさ[1/22] [仮面ウニダー★]

    【無能以前なアホだった。 【朝鮮日報コラム】朝鮮王朝500年、最後の宮中宴会のむなしさ[1/22] [仮面ウニダー★]】の続きを読む

    1: まぜるな!キケン!! 2021/07/12(月) 11:32:32.50 ID:CAP_USER
    [강북구 인문학 강의] 김두규 우석대 교양학부 교수의 서울의 진산, 북한산(삼각산)
    https://www.youtube.com/watch?v=I8YBZjcgLNc



    2021-07-12 02:50
    https://go.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=2021071201200

    ソウル江北区はYouTubeを通じて北漢山に絡んだ歴史の話を解き明かす人文学講義を進行している。

    区はキム・ドゥギュ又石大学教養学部教授が江北区のYouTubeチャンネルで運営中の人文学講義29人目の講師に出演して、北漢山を主題に講演すると11日明らかにした。キム教授は文化財庁の文化財委員としても活動している。

    北漢山はソウルの鎮山だ。鎮山は町の後方で乱離を鎮圧して保護する大きな山という意味だ。講義は朝鮮の守護神を象徴する北漢山の地位を日本帝国主義がどのように格下げさせたのかを扱った。キム教授によれば、鎮山は都邑全体をまとめる中枢の役割をする所だ。朝鮮の首都・漢陽の鎮山には白雲台、仁寿峰、万景台で成り立った北漢山は適格というのが彼の説明だ。

    しかし、朝鮮を強制併合した日帝は北漢山が持っていた地位を貶めようとした。キム教授は「1914年に日帝は北漢山の行政区域を国家の都邑地である漢城から京畿道の管轄に変更した」として「漢陽の行政区域である漢城府の地位を事実上剥奪した訳で、風水侵略が行われたものと見ることができる」と話した。

    区は日帝強占期を巡る生々しい北漢山の話はYouTube『歴史文化観光の都市・江北区』チャンネルで視聴が可能だと明らかにした。講義は常時掲載されて、何時でも見ることができる。パク・ギョンス江北区長は「今回の講演は北漢山に絡んで隠された日帝残滓に新たに気付くキッカケになるだろうと見ている」として「北漢山が持っていた本来の意義を正しく立て直して、ソウルの鎮山として歴史・文化的な地位を回復する日が早く来てほしい」と話した。


    【朝鮮日報】風水を利用して日本を制圧せよ★2[09/21]
    https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1379746274/
    【朝鮮日報】キム・ドゥギュ又石大学教養学部教授 風水学で読み解く「朝鮮に対する関西勢力」の野望[5/31]
    https://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1433162869/

    引用元: ・【呪術朝鮮】日帝による朝鮮の守護神『北漢山』の風水侵略[07/12] [Ttongsulian★]

    【韓国人の愚鈍さに驚愕だわ 【呪術朝鮮】日帝による朝鮮の守護神『北漢山』の風水侵略[07/12] [Ttongsulian★]】の続きを読む

    1: まぜるな!キケン!! 2021/01/29(金) 16:22:25.93 ID:CAP_USER
    753年(新羅景徳王12年)1月1日、唐の蓬莱宮では新年を祝う儀式が挙行された。ところが式場に出席した新羅の使臣と日本の使臣の間で争いが生じた。どちらが序列が高い位置に立つかをめぐってだ。当初、唐の朝廷は西班の序列1位に吐蕃の使臣、2位に日本の使臣、東班の序列1位に新羅の使臣、2位に大食国の使臣を配置した。ところが日本の使臣の大伴古麻呂は「新羅は昔から日本に朝貢する国だが、日本の使臣より上の位置に立つのは受け入れられない」と唐の官吏らに抗議した。唐の朝廷の責任者、呉懐実はあたふたと日本の使臣と新羅の使臣の位置を入れ替えた。唐の朝廷から誰がより高く待遇されるかをめぐり新羅と日本の使臣が争ったことを「争長事件」と呼ぶ。

    争長事件で注目されるのは日本の使臣が新羅を自分たちの朝貢国と規定した事実だ。いわば、日本は「皇帝国」であり、新羅は皇帝に頭を下げる「蕃国」ということだ。このように自国を高めて新羅を見下げる意識は『日本書紀』を通じて公式化された。『日本書紀』仲哀天皇9年条には「仲哀天皇が死去しての神功皇后が新羅征伐に動くと、新羅の王が日本を神国、日本の王を天皇、日本の兵士を神兵と呼んで降伏した後、永遠に朝貢することを誓った」という説話がある。新羅の王の口を借りて日本を持ち上げるこの内容は、今日では日本の史学者も明白に伝説だと評価するが、以後の韓日関連史に及ぼした影響は非常に大きく深刻だった。日本人が韓半島(朝鮮半島)を蔑視する認識の出発点になったからだ。

    (略)

    古代から日本が神国、天皇の国を自負したのは、中国とは対等であり、韓半島より一等級上の国であることを示すためだった。さらに壬辰倭乱以降、日本は自国を「武威の国」と、朝鮮を「武備がない虚弱な国」と規定した。半面、朝鮮は自分たちが中国と最も親しく、中国に次ぐ文明国という事実を日本に対する優越意識の根拠として前に出した。日本は朝鮮を「中国の虚弱な属国」と見なした一方、朝鮮は日本を「中華文明を知らない野蛮国」と罵倒した。

    このようにお互いを眺める根源的な内心は違ったが、壬辰倭乱後の200年余り、朝鮮と日本は平和な関係を維持した。しかし19世紀以降、西欧列強の軍事的脅威に危機感を強めた日本の知識人はまた天皇を呼ぶことになった。代表的な人物が吉田松陰(1830-59)だ。吉田松陰はロシアとの貿易で失ったものを朝鮮と中国を征服して埋めなければいけないと主張した。吉田松陰は「天皇が治めた古代は韓半島が日本に朝貢したが、その後は傲慢だった」とし、神功皇后と豊臣秀吉の偉業を継承して朝鮮を占領すべきだと強調した。朝鮮を征服して天皇にひざまずかせることこそが本来の国体を回復する道だと力説した。いわゆる征韓論を露骨に表したのだ。

    吉田松陰は夭折したが、征韓論は弟子の伊藤博文(1841-1909)らによって行動に移された。韓半島侵略の象徴的な人物である伊藤博文は自らを豊臣秀吉の生まれ変わりと考えた。伊藤らが韓国を侵略して保護国にし、最終的には植民地として奪取する過程は、過去に神功皇后や豊臣秀吉が掲げた「神国の偉業」を実現したということだ。

    実際、1910年8月29日、明治天皇は「東洋の平和と帝国日本の安全を保障するために韓国を日本帝国の保護の下に置く」という内容で、いわゆる併合詔書を出した。そして同日、朝鮮の純宗を昌徳宮(チャンドックン)李王、高宗を徳寿宮(トクスグン)李太王とする詔書も出した。8世紀以降、自らを神国・皇国と称して韓半島に皇帝として振る舞うことを望んだ「千年の願い」が実現する瞬間だった。

    同年11月、韓国を強制的に併呑したことを記念するために発行された雑誌『歴史地理朝鮮号』の編集者は、感激のあまり発刊の辞を書いた。「韓国併合は古代以来の日本の歴史的懸案が解決されたもの」ということだ。

    こうした歴史を振り返ると、解放以降、韓国人が日本の国王を天皇と呼ぶのは簡単でなかった。韓国政府が1998年から外交的には「天皇」を公式用語といて使っているが、内部では「日王」と呼ぶべきだという主張が少なくない。先日、新任駐日大使が日本に赴任した直後「天皇陛下」という呼称を使ったことをめぐり、また論争が生じている。天皇をめぐる葛藤が1000年以上累積してきた韓日間の特別な歴史と、日本との友好を維持すべき最近の現実の間で、果たしてどこに重心を置くべきなのだろうか。

    ハン・ミョンギ/明知大史学科教授
    https://japanese.joins.com/JArticle/274987

    前スレ
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1611894747/

    引用元: ・【中央日報コラム】日本の韓蔑視、1300年続く傲慢と偏見…「朝鮮は我々の臣下」 ★2 [1/29] [昆虫図鑑★]

    【おまエラなんて心からお断りだ。【中央日報コラム】日本の韓蔑視、1300年続く傲慢と偏見…「朝鮮は我々の臣下」 ★2 [1/29] [昆虫図鑑★]】の続きを読む

    このページのトップヘ