まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:昔

    1: まぜるな!キケン!! 2020/07/15(水) 21:17:19.50 ID:CAP_USER
    ● [キル・ユンヒョンの新冷戦韓日戦]「昔の良き時代」になぜ戻れないのか


    「昔の良き時代」は中国の浮上と北朝鮮の核開発という二つのショックとともに幕を閉じた。

     韓国と日本の戦略的利害はもはや一致しない。

     両国の対中・対北朝鮮観と東アジアの未来像に対する見解は大きく異なり、そのため互いに対する憎しみと不信を積み重ねる「構造的不和」に陥ってしまった。

     「山口県と秋田県で推進してきた『イージス・アショア』の配備計画を中止します」

     先月15日午後5時30分、河野太郎防衛相が、このうえなく悪化した韓日関係にさらなる波乱をもたらす緊急ニュースを持ち出した。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)予防のために黄みどり色のマスクをした河野防衛相は、やや躊躇するような声で、2017年末から推進してきたイージス・アショア配備計画を中止すると発表した。予期せぬ突然の発表だったため、東京都市ヶ谷の防衛省A棟1階の入り口に集まった記者の間でざわめきが収まらなかった。

     日本はこれまで北朝鮮が自国に向けて弾道ミサイルを撃つ場合、第1次に東海上に浮かんでいるイージス艦がSM-3ミサイルを発射して阻止し、第2次に東京など大都市に配備されたパトリオット(PAC)-3ミサイルを撃って迎撃するという「二重のミサイル防衛(MD)体制」を構築していた。しかし、2017年に入り北朝鮮の核・ミサイルの脅威が高まると、同年12月に「海上の盾」と呼ばれるイージス艦に装着された弾道ミサイル迎撃システムを陸地に移した「イージス・アショア」を導入し「三重の防衛体制」を作ることに決定した。その後2年半の間、2023年を目標に設置計画を推進していたが、この日、迎撃ミサイルを発射する際に落ちるブースターから住民の安全を保障できないとし、計画を突然中止したのだ。

     この決定は、東アジア全体を巨大な混乱の渦に巻き込みかねない連鎖の波紋をもたらした。3日後の18日、記者会見を行った安倍晋三首相は「わが国を取り巻く安保環境がさらに厳しくなっており、朝鮮半島では緊迫の程度が高まっている」とし、「今夏、国家安全保障会議(NSC)で(新しい安保戦略を)徹底的に議論し、迅速に実行に移す」と述べた。

     これを合図に、北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対応するには日本が軍事的役割を強化しなければならないと主張してきた自民党内の重鎮議員らが動き始めた。彼らは先月30日、「ミサイル防衛に関する検討チーム」を設置し、日本が直接北朝鮮のミサイル基地を攻撃できる「敵基地攻撃能力」を備えるべきだと主張した。最初の会議後、中谷元元防衛相は現行憲法の専守防衛の原則を守りながら「日本が敵のミサイル基地を叩くことは可能だ」と主張した。小野寺五典元防衛相も8日に開催された衆議院の安全保障委員会で「敵のミサイルを防ぐには発射前や発射直後が最も確実で効果的だ」と力説した。すると河野防衛相は「様々な選択肢について論議するのは当然」だとし、敵基地攻撃能力保有を公式に検討するという意思を明確にした。日本が遠からず、米国の力に頼らず直接北朝鮮を攻撃する能力を確保する可能性が高まったのだ。

     日本は敵基地攻撃能力を保有すべきだと強く主張する中谷氏は、2015年10月、ハン・ミング当時国防部長官との会談で「韓国の主権範囲は休戦ラインの南側」という発言を残した人物として有名だ。この発言は、日本が北朝鮮から軍事的脅威を感じるなら「韓国の承認なしに」武力行使に出る可能性があることを暗示する言葉として、当時大きな波紋を呼んだ。このような考え方は「朝鮮半島で軍事行動は大韓民国だけが決定することができ、誰も大韓民国の同意なしに軍事行動を決定できない」(文在寅(ムン・ジェイン)大統領、2017年8・15祝辞)という韓国人の考えとは決して両立できないものだ。日本が敵基地攻撃能力を保有し、これを実際に行使しようとするなら、韓日は日本軍「慰安婦」や強制動員被害者賠償・補償などをめぐる「歴史問題対立」や、フッ化水素などの輸出規制をめぐる「経済対立」を超えて、骨が砕け肉が引き裂かれる「安保領域」で本格的な対立を続けるしかない。

     昨年7月、日本のフッ化水素などに対する輸出規制で韓日関係が過去最悪に悪化すると、韓日双方で両国関係の全盛期だった1998年の「韓日パートナーシップ宣言」の頃に戻るべきだという主張が続いた。しかし、「中国の浮上」と「北朝鮮の核開発」という二つのショックですでに新冷戦に突入した東アジアで、「昔の良き時代」に戻ることは事実上不可能なことになってしまった。

    ハンギョレ
    https://news.yahoo.co.jp/articles/1769ea502e75d77044854a28e857d30b32920a22

    引用元: ・【韓国紙】韓国と日本の戦略的利害はもはや一致しない 「昔の良き時代」になぜ戻れないのか[7/15] [鴉★]

    【すり寄ってくるな 【韓国紙】韓国と日本の戦略的利害はもはや一致しない 「昔の良き時代」になぜ戻れないのか[7/15] [鴉★]】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★ 2017/10/22(日) 06:02:07.08 ID:CAP_USER
    「三田渡の恥辱」は380年も昔の事件だが、これは今もなお韓国人のプライドを大きく傷つけている。秋夕(中秋節、今年は10月4日)連休の間に丙子の乱(1636-37年、清が朝鮮を制圧した戦争)を題材とした映画『南漢山城』の観客動員数が最も多かったのもそのためだ。

    非常に高い壇上に座った清の皇帝ホンタイジの前で、3回膝を突き9回頭を地面に付けさせられ、額に土が付いた仁祖の姿に観客は悲哀を感じたことだろう。

    東アジアの覇権をめぐる争いが激しくなり、満州族が建てた新興国の清が明を圧迫していた激動の時代、そのはざまに立たされた朝鮮が多くの困難に直面したのは歴史的事実だ。

    しかしこのような歴史的体験を絶対視することが本当に必要か疑問に感じる。結果的に行き過ぎた自己卑下や敵対心ばかりを呼び起こし、失敗から学ぶ機会を失いかねないからだ。

    また「皇帝の国」を名乗ってきた中国の歴史を振り返っても、「三田渡の恥辱」以上にひどい恥辱の歴史はいくらでもある。例えば4世紀に西晋の3代皇帝・懐帝が匈奴に首都の洛陽を包囲され、直後に処刑された「永嘉の乱」、あるいは1449年に明の正統帝がモンゴル軍の捕虜となった「土木の変」などはまさにそうだ。

    中国・宋の時代、1127年に起こった「靖康の変」も三田渡の恥辱以上の大事件だった。女真族が建てた金の軍隊に押された宋の徽宗は息子の欽宗に譲位して金の歓心を買おうとしたが、それでも破滅を防ぐことはできなかった。

    首都の開封は城門を開き、降伏した徽宗と欽宗は平民とされ、1万5000人以上の女官、画家、音楽家らと共に北の金に連行された。牛車に引かれて黒竜江省の北の奥地に連れられた欽宗と徽宗は金の太祖の前で礼を強要され、徽宗は昏徳公(仁徳がない)、欽宗は重昏侯(ばか)という屈辱的な別名で呼ばれた。

    徽宗と欽宗と共に連れられた数万人の捕虜は再び故郷に帰ることができないままこの世を去った。

    明清交代期のはざまで朝鮮は戦争すべきだったか、あるいは講和すべきだったかは今も論争が絶えない。朝鮮に新しい帝国・清の侵略を防ぐ力はなく、明と清のどちらかに付いて形勢を左右することもできなかった。

    光海君は双方の間で中立を守ったが、後に後金のヌルハチが力をつけたため、朝鮮の軍事力で形勢を左右することは一層できなくなった。後にホンタイジが1636年に清帝国を宣布し皇帝になると、20年前の光海君の時代とはさらに情勢が大きく変わってしまった。

    当時の一連の出来事の中で特に注目すべき点は何か。ソウル大学のハン・ミョンギ教授は歴史評説『丙子胡乱』(丙子の乱の韓国での呼び名)の中で、仁祖は自らの即位を後押しした功臣を重用したが、彼らは戦争への備えには無能で、また口では国防や庶民生活を重視したが、実際は真剣に取り組まなかった点などを指摘している。

    これについてハン教授は「政権の安保には力を入れたが、国の安保は軽視した」と説明する。仁祖は王位に就いた直後、明からの使臣に「(1619年に)明の後金討伐軍が後金に大敗したサルフの戦いの際、光海君は朝鮮軍に後金への降伏を指示したため、明の後金討伐が失敗に終わった」と指摘した。

    前政権の「積弊」を責め立てることで自分たちの正当性を強調し、明から認められようとしたのだ。

    与野党の政治家たちが映画『南漢山城』を見た際、それぞれの政治的立場から違った評価を下したとの話に記者はがっかりした。与党側は丙子の乱を招いた原因として「外交力不足」を上げ、北朝鮮の核問題にも外交的解決の必要性を強調した。

    これに対して野党側は「王の無能」が理由だったとして、現政権における安全保障政策の無策を批判した。一方で映画の中では講和派の崔鳴吉(チェ・ミョンギル)と主戦派の金尚憲(キム・サンホン)は考え方は違ったが、国を思う情熱だけは互いに理解し合う間柄として描かれていた。

    ところが今の政界では相手をひたすら「積弊」とレッテル貼りし、相手への批判を強めるばかりだ。三田渡の恥辱とそれによる「積弊の精算」という破局を目の当たりにしながら、何も学べない彼らの姿を見ると一層不安に感じてしまう。

    文化部=金基哲(キム・ギチョル)部長

    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/10/20/2017102001805.html

    引用元: ・【朝鮮日報】380年経った今もなお韓国人のプライドを大きく傷つけている「三田渡の恥辱」から何も学べない韓国政界[10/22]

    【【お前らは永遠にこんな感じだよw】「380年昔の今も韓国人のプライドを傷つける「三田渡の恥辱」から何も学べない韓国政界」朝鮮日報】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 22:10:29.73 ID:CAP_USER.net
    no title


     1988年冬、韓国の女子高生たちを日本の風俗店のホステスとして売り渡し、逮捕された
    人身売買組織の、ターゲットを物色する方法は奇抜なものだった。犯人らが利用したのは、
    ソウル市や京畿道の女子高校7校の卒業アルバムだった。「写真面接」を通じて、顔がかわ
    いらしい450人ほどの女子高生を選んだ後「アルバイトしながら日本に留学できる」とい
    う手紙を送り、これを餌に女子高生たちを「釣った」のだ(本紙88年12月17日付)。

     学校時代の思い出を残すために作られた卒業アルバムを、多くの部外者たちがこのよう
    なとんでもない目的で利用した。アルバムに掲載された卒業生の連絡先を、電話によるマ
    ーケティングに利用しようとした人たちは、卒業式の会場や印刷所にまで人を派遣し、卒
    業アルバムを購入した。

     1960年代、女子高校の典型的な卒業アルバムの写真では、当時流行していた、全員が体
    をやや横にひねった姿勢でポーズを取っていた。

     とりわけ多くの視線にさらされたのは女子大学の卒業アルバムだった。1970年代、一部
    の企業の経営者たちが、新採用の女性秘書の母校の卒業アルバムを探し求め見て、自分の
    息子の結婚相手を物色したという話が新聞にも掲載されている。90年代には、いわゆる「マ
    ダムトゥ(富裕層や特権階級を相手に、職業として仲人を務めた女性)」たちが、男性たち
    に紹介する女性を探すため、女子大の卒業アルバムを探し求めて見ているといううわさが
    広まった。実際、多くの女子大生は、そのような話を意識して、卒業アルバムの写真写り
    を良くするため、並々ならぬ努力をした。4月から5月にかけ、卒業アルバムの写真撮影が
    始まる前にダイエットをしたり、鼻を高くして、顎を削ったりする学生もいた。撮影シー
    ズンに入った学生街の美容室には「卒業写真1枚があなたの将来を決める」という広告が
    掲げられた。

     97年、ある女子大生は、ヘアスタイルのセットや化粧、衣装のレンタルなどを含め、卒
    業アルバムの写真撮影に150万ウォン(現在のレートで約16万円)を費やしたという。現
    在の物価に換算すると300万ウォン(約32万円)に相当し、結婚式前の写真撮影を上回る
    豪華版といえるものだった(京郷新聞97年2月24日付)。91年11月、米国の時事週刊誌
    「ニューズウィーク」は、韓国の過剰消費の風潮を取り上げた記事で、高級なスーツ姿で
    大学に来る女子学生たちの写真を載せて「カネの奴隷」という説明を付し、その学生から
    提訴された。その女子大生たちは、卒業アルバムの写真撮影のために着飾ってきたのだっ
    た。「ニューズウィーク」は、特別な日のために着用した衣服を、普段着と誤認したのだ。

     「卒業アルバムが見合い写真になるかもしれない」という一部の女子大生たちが精魂込
    めて撮影に臨む状況は、2000年代まで続いた。だが、最近の学生街では、卒業アルバムは
    さまざまな事情により姿を消している。母校に対する連帯感自体がなくなりつつあるとい
    うのが根本的な理由だ。今年4月、ある大学の卒業アルバムの写真撮影の際には、一つの
    学科で80人いる学生のうち、5人だけが撮影に臨んだこともある。個人情報を必要とする
    人たちは今や、卒業アルバムではなく、インターネットで数百万人分の情報を一度に手に
    入れる。卒業アルバムに掲載される数百人の連絡先を入手しようと、販促電話をかけてい
    た業者たちはむしろ、純朴だったといえる。

    キム・ミョンファン史料研究室長

    ソース:朝鮮日報/朝鮮日報日本語版<韓国の女子大生、卒業アルバムを卒業>
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/05/2015120500462.html

    引用元: ・【韓国】 女子大生、卒業アルバムを卒業~昔は日本の風俗店に売るターゲットを物色する資料だった[12/06]

    【犯罪が絡むといきなり高次元の発想【韓国】 女子大生、卒業アルバムを卒業~昔は日本の風俗店に売るターゲットを物色する資料だった[12/06]】の続きを読む

    このページのトップヘ