1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/08/14(金) 00:10:05.98 ID:???.net
no title

▲朝鮮総督府学務局古跡調査課嘱託だった小泉顕夫が1926年、慶州瑞鳳塚発掘中に出土した
金冠を撮影した資料(上)。1918年に京畿道利川郷校付近の廃寺跡から日本に搬出され、大倉
集古館に所蔵されている「利川五層石塔」。(写真=国外所在文化財財団)

古美術研究者が日帝強占期の韓国文化財の受難とその返還について論じる時、必ず参考に
する冊子がある。美術史学者の黄寿永(ファン・スヨン)博士(1918-2011)が1973年に出した
『日帝期文化財被害資料』だ。黄博士は1950年代末から8年間、韓日会談の文化財返還分野専
門委員として活動し、さまざまな記録と文献を集め、66年の会談妥結の結果に満足できず、後代
に役立つ資料集を残した。手書きのメモの束形式を謄写板で200部刷り、定期刊行物『考古美術』
の付録として配布したため、重要な内容であるにもかかわらず一般読者の手には渡らなかった。

この歴史的な資料集が42年ぶりに出版物として登場した。国外所在文化財財団が国立中央博
物館および日本の「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」(以下、連絡会議)と手を握り、増補版
を出したのだ。原本体制に基づきながらも引用文献の前後内容を幅広く翻訳し、関連遺物の図版
と解題を追加し、日本が韓国文化財全般にどれほど大きな被害をもたらしたかをそのまま証言して
いる。

「現在、楽浪付近では真昼に古墳を発掘するが、聞いたところによると、軍駐在所が許可したと
言いながら(…)毎日古物商に売るというので、あまりにも残酷でならない」(102ページ)

「巧妙な手段で盗掘した者が過去8年間だけでも約100基に近い古墳を掘ったと想像できる。
(…)この破壊に代わる学術的な成果を出すことができなければ、その罪を補償し、新しく建設する
のも不可能であり(…)出版物を伴わない遺跡の発掘は(…)一つの罪悪だ」(87ページ)

10枚190項目にわたり一つ一つ告発された遺物破壊と搬出の実情は情けないほどだ。朝鮮総
督府と研究機関、個人の手で盗掘された数多くの事例は、黄博士の表現のように「あくどい略奪は
人類史上に類例がない」ほどだ。

粱山夫婦塚の出土遺物は「朝鮮古跡研究会」により東京国立博物館に寄贈され、今日まで堂々
と所蔵されている。金海会ヒョン里の貝塚と平壌(ピョンヤン)石岩里205号墳は発掘された後、報
告書作業という形で日本に遺物を運んだ後、戻らなかった。

遺物を破壊したり別の所に移した例も多い。朝鮮総督府は1940年代以降、「国民の思想統一
に支障がある」という理由で抗日戦跡碑や功勲碑を撤去し、博物館に移したり現地で爆破したりし
た。荒山大捷碑、海印寺(ヘインサ)四溟大師碑などが消えた理由だ。

今回の出版の動力となった連絡会議のイ・ヤンス幹事は「この資料を今後どのように扱って使う
のか、ここに掲載されている内容が何を表しているのか、この資料集を手にした読者が決めること」
と述べた。

黄博士の生前にそばでこの資料集が出るのを見守ったチョン・ヨンホ韓国教員大名誉教授は
「略奪文化財の返還を強力に求めた黄寿永先生は日帝の残虐さに怒りを抑えられず卒倒したこと
もあり、血圧の病気で生涯苦しんだ」と振り返った。連絡会議はこの本の日本語版を11月に日本で
出版する予定だ。

ソース:中央日報日本語版<日帝が略奪・破壊した文化財、その受難の記録>
http://japanese.joins.com/article/430/204430.html

引用元: ・【書籍】 日帝が略奪・破壊した文化財、人類史上に類例がないその受難の記録~『日帝期文化財被害資料』、増補版出版[08/13]

【無知は最強だなwww【書籍】 日帝が略奪・破壊した文化財、人類史上に類例がないその受難の記録~『日帝期文化財被害資料』、増補版出版[08/13]】の続きを読む