1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/03/08(水) 21:35:31.30 ID:CAP_USER
▲日帝強制占領期当時、日本が戦争物資として松炭油を作るため、松脂を採取した被害痕跡が残った提川市白雲面朴逹峠一円の松。
[忠北日報=提川]最近、山林庁が日帝強制占領期当時、日本が戦争物資として使う松炭油を作るために、我が国全域で松脂を採取した傷を調査している。
国立山林科学院は最近、全国8地域、合計121株の松脂採取被害樹を標本調査した。現在まで松脂採取被害樹が多く残っている場所は提川(チェチョン)朴逹(パクタル)峠をはじめ泰安(テアン)、安眠島(アンミョンド)、陜川(ハプチョン)海印寺(ヘインサ)紅流洞渓谷などだ。
特に提川市白雲面朴逹峠一円を国内で被害樹が最も多く残っている場所にあげた。提川市庁山林公園課と白雲面住民たちの証言を土台に朴逹峠休養林~舟論(ペロン)聖地間の林道周辺を確認した結果、この区間では林道の両側で多数の松脂採取被害樹が目撃されている。
松脂採取のための傷痕は高さ1~1.2メートルが大部分で'V'字型の傷をつける方式だが、幸いに朴逹峠の被害松の健康状態はおおむね良好だと見られる。
松炭油は松に傷をつけて採取した松脂を煮て作るもので、日本は油が不足した日帝強制占領期間末期(1941~1945)に韓半島全域で松脂を強制的に採取した。
山林庁は松脂採取跡が残っている松の生息地を「山林文化資産」に登録して松脂採取被害樹の歴史的価値を記録文化で残す予定だ。
このような日帝強制占領期間の収奪について白雲面の一部住民たちは朴逹峠松脂被害樹発生時期についておかしな主張をしていて注目される。一部地域で解放後も松から松脂を採取した事例もあったことが分かり、この地域住民たちもまた、解放後1970年代にも松脂採取がなされたという主張だ。80代の住民A氏は「松脂採取は日帝強制占領期間当時にもあったが1970年代、住民たちが採取した場合も多くて正確な時期の調査を並行して行うべきだ」と話した。
/イ・ヒョンス記者
ソース:忠北日報(韓国語) 日帝強制占領期間松脂採取被害調査
http://www.inews365.com/news/article.html?no=484703
引用元: ・【韓国】 山林庁、日帝の松脂(まつやに)強制採取被害樹を調査し歴史記録に残す~地元住民「解放後も採取してた」[03/08] [無断転載禁止]©2ch.net
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