1: まぜるな!キケン!! 2019/04/12(金) 23:07:59.06 ID:CAP_USER
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アンカー:明るい笑顔で普段は「愉快な青年」と呼ばれた写真の主人公は1932年、東京の真ん中で日王に向かって手榴弾を投げた李奉昌(イ・ボンチャン)義士です。イ義士が日王に向けた義挙を控えてかたい決意を新たにした宣誓文、また、金九(キム・グ)先生に送った親筆手紙の原本が正式文化財に登録され明日から一般公開されます。ホン・シニョン記者が先にお見せします。

レポート:「私は祖国の独立と自由を回復するため、韓人愛国団の一員になって敵国の首魁を屠殺することを誓います。」

1931年12月13日、イ・ボンチャン義士が偉業のために日本に発つ直前、上海で宣誓式を挙行して書いた文です。そして12月24日、東京からキム・グ先生に手紙を送ります。彼は当時、キム・グの仮名だった「ペク・チョンソン」先生に父親の手紙で、「義挙」を「物品」にたとえ「物品は確かに翌月中に売れるからなにとぞご安心ください」と書いたのです。これにキム・グは12月28日、義挙資金として100円を送ります。

そして10日後の1932年1月8日、イ・ボンチャンは東京の真ん中で日王が乗った馬車に手榴弾を投げます。現場で逮捕された青年イ・ボンチャンはその年9月30日に死刑宣告を受け、三十二才の若さで殉国しました。偉業は失敗しましたが、イ・ボンチャン東京義挙はこれに続くユン・ボンギルの上海義挙とともに韓国独立に対する世論を広く知らしめました。

[イ・キヒョン/国立中央博物館学芸研究家]「(臨時政府活動が)沈滞期に陥っていた状況でキム・グ先生は義烈闘争がこれを突破する方法だと考え、最初に義烈を闘争したのがイ・ボンチャン義挙です。その後に起きた義挙の端緒になりました。」

平凡な青年だったイ・ボンチャンが抗日闘争を決心し臨時政府がある上海に渡って義挙を実行するまで…その過程をそっくり見せる三件の遺物が文化財として登録され、明日から一般に公開されます。原本が公開されるのは初めてです。ひどい拷問にも最後まで微笑みを浮かべ、恐れも気迷いもなかったという青年イ・ボンチャン。彼が眠る孝昌(ヒョチャン)公園も「独立運動記念公園」として新しく造成される予定です。

MBCニュース、ホン・シニョンでした。

ソース:MBCニュース(韓国語) 笑いながら「日王」に爆弾…「愉快青年」手紙出てきて
http://imnews.imbc.com/replay/2019/nwdesk/article/5245346_24634.html

引用元: ・【韓国】 笑いながら「日王」に爆弾投げたイ・ボンチャン義士…「愉快な青年」の手紙、一般公開[04/11]

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