まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:大韓帝国

    1: ジャン・ポール◆Vkp7zYl5.c 2015/12/17(木)03:52:02 ID:LTV
    前略:開放70周年の機会に旧韓末の歴史を学ぶことにしたが、得た結論は国権を守る機会と情熱、
    才能があったということだ。朝鮮の陽明学者に関する本を頂いた。日本で明治維新に影響を与えた一
    派で、そうした陽明学派が半島にもいたことが興味深かった。

     陽明学の門外漢なので深い意味を計り知ることはできない。ただ虚無だった。命をささげた日本の
    陽明学派も「動機の純粋さ」を重視したのだろう。しかし、彼らは動機と同じくらい重要な目指すべ
    き所を持ち、死を通じて成し遂げた。我が国の陽明学派は何のために死んだのだろうか。彼ら以前に
    もこの国には喜んで命をささげた数多くの実践家がいた。ところが、両国の命の価値はなぜこれほど
    違うのか。勇気と情熱は同じなのに、我が国はなぜ滅んだのだろうか。識見不足のため一つを知ると
    十の疑問がわいてくる。

     歴史書を読めば読むほど、とにかく外国勢力のせいにする主張に興味をなくした。江華島条約から
    国権喪失まで我々には30年近い時間があった。歴史にも三振法が適用される。甲申政変・甲午改革・
    光武改革は貴重なチャンスだった。歴史書を読むほどに興味をなくす主張がもう一つある。朝鮮は国
    力が枯渇し、すでに滅びた国だったという宿命論だ。我が国を長年見てきた当時の西洋人たちは、一
    様に優れた才能、熱い教育熱、豊富な資源を高く評価していた。まだ強くはなかったが、強くなるこ
    とができる国だった。その国で黄ヒョンはなぜ「人間世界の識者役は難しい」という絶命詩を残して
    死んだのか。

     本当に識者役が難しかった時代だったようだ。開花を夢見て政変を主導した当代の天才・金玉均
    (キム・オッキュン)は殺害された後、四肢を切られ全国でさらされた。改革を主導した朝鮮最後の
    領議政(議政府の最高官職)・金弘集(キム・ホンジプ)は失脚後、群衆の前に投げ出されて他殺さ
    れた。外国勢力の暴挙だったとしたら、もっと虚無的でなかっただろう。胸が痛むのは、数多くの人
    材が改革を試みながら、仕えていた王により最期を迎えたことだった。王は改革により王権を制限さ
    れた時、改革全体を放り出した。民族の情熱や才能も、天が与えた貴重な機会も絶対王権の前に30年
    間もがいたあげく、終わりを迎えて消え去った。無能な政治はこのように恐ろしいものだ。

     情熱と希望が枯渇した国には皇帝だけが残った。国権をよこせと要求する日本に対し、皇帝は「大
    臣と国民の意向を問う」と後に下がった。伊藤博文は「不可解なことこの上ない」と皇帝を嘲笑(ちょ
    うしょう)した。「貴国は憲法政治でもなく、万機すべてを陛下が決定する、いわゆる専制君主制で
    はないのですか?」。この幻のような権力を守るために忠臣や改革を捨てたのか。

     旧韓末のことを語ると、「今は国力が違う」と人々は言う。それも事実だ。だが当時の我が国は国
    力が足りなくて滅びたのだろうか、それとも国力を育てる改革ができなくて滅びたのだろうか。考え
    方はそれぞれだが、民族の才能と情熱、改革の機会をまとめて国を引っ張っていくことができなかっ
    た政治のせいで滅びたのは明らかだろう。100年後の子孫たちが書き記す歴史に、今の私たちはどのよ
    うな姿で書かれるのだろうか。歴史は我々の胸を痛くした分だけ教訓を与えてくれる。今年それを悟っ
    た。

    鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員

    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/16/2015121601154.html

    引用元: ・【朝鮮日報コラム】大韓帝国はなぜ滅びたのか:鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員[12/16]

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    1: ジャン・ポール◆Vkp7zYl5.c 2015/06/01(月)03:05:36 ID:oaw
    日本政治を専攻する韓相一(ハン・サンイル)国民大学名誉教授(74)は「伊藤博文はライフ
    ワークの対象」と語った。1974年に米国クレアモント大学で博士号を取得した際、最初は伊藤
    博文をテーマに学位論文を書こうとしていた。しかし、指導教授を務めた世界的な日本学者の
    ピーター・ドウスは「伊藤博文は資料が膨大だ。ライフワークに取っておくべき」とアドバイ
    スした。新刊『伊藤博文と大韓帝国』は、40年にわたる研究の結果というわけだ。韓教授は
    「資料を集め続けていた。定年後に書き始めて、6年ほどかかった」と語った。

     韓国と日本で、伊藤博文の評価は明らかに異なる。日本では明治の元勲、韓国では侵略の元
    凶だ。日本の学界では最近、伊藤博文は韓国を侵略しようとしたのではなく、文明化しようと
    したのだと主張する、とんでもない研究が登場している。伊藤博文は韓国を近代国家にしよう
    としたのに、韓国人は反日活動を繰り広げるなど、伊藤博文の「真心」をきちんと理解せず、
    結局併合の道へと進むしかなかったという奇怪な主張だ。韓教授は「伊藤博文が韓国を保護国
    にして統監となり、併呑(へいどん)政策を進めたことで韓日関係がゆがめられた。ゆがんだ
    韓日関係の出発点は伊藤博文」と語った。

    中略:表向きは韓国独立を掲げたが、それは単に「即刻併合」ではなく「困難なき併合」を目
    標にしただけだった。併呑を徐々に進め、高宗を「条約を拒否した場合、もっと不利になるだ
    ろう」と脅迫して外交権を奪うなど、着実に併合を既成事実化した。

     伊藤博文は義兵を無差別に虐殺するなど、暴力もためらわなかった。伊藤博文は統監になる
    と、明治天皇に軍隊の統帥権を要請し、これを手に入れた。1907年の丁未7条約(第3次日韓協
    約)から韓国併合までの間に義兵闘争で死亡した韓国人の数は1万7688人に達する。韓教授は
    「伊藤博文がことあるごとに韓国併呑を否定したのは、韓国人を安心させて国際的関心を回避
    しようとする政治的修辞だった。伊藤博文は若いころ殺人をためらわなかったように、果断さ・
    暴力・推進力で韓国の外交権・行政権・警察権・司法権を順に奪い、韓国の軍隊を解散させ、
    併呑の障害を取り除いた」と語った。

     日本にとっても、韓国を植民地にするのは有史以来初めてのことだった。伊藤博文は韓国併
    呑のため、英国のエジプト統治政策を徹底的に研究した。韓教授は「既存の研究では大きく注
    目されなかったが、伊藤博文は、エジプトを統治した英国の政治家クローマーの政略を研究し、
    援用した」と語った。米国の外交官スティーブンスは、伊藤博文に「クローマーがエジプトの
    国政を監督した精神や方法を模倣すべき」とアドバイスした。

     伊藤博文が韓国を併呑するため努力した過程を読んでみると、背筋が凍る。かつての侵略を
    認めるようでいて否定し、日米同盟の強化など対外関係を堅固にしていく現在の日本の姿は、
    硬軟両面の戦略を適切に駆使した伊藤博文を徹底的に研究したのではないかと思わせる。「韓
    国では、開化期の権力者だった大院君、金玉均(キム・オクキュン)のような開化勢力、チョン・
    ボンジュンなどの民衆勢力が膝を突き合わせて将来を論じたことがなかった。これらの勢力を
    統合するリーダーシップが、韓国には存在しなかった」。現在の韓国は、果たして徹底した事
    例研究に基づいて適切な外交戦略を展開しているのだろうか。460ページ、3万ウォン(約3320円)。

    李漢洙(イ・ハンス)記者

    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/30/2015053000617.html

    引用元: ・【新刊紹介】日本の外交政策に見る伊藤博文の影:韓相一著『伊藤博文と大韓帝国』(カササギ社)[5/31]

    【まぁ日本が手助けしてやって出来た国なんだけどね 【新刊紹介】日本の外交政策に見る伊藤博文の影:韓相一著『伊藤博文と大韓帝国』(カササギ社)[5/31]】の続きを読む

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