まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:壬辰倭乱

    1: 蚯蚓φ ★ 2018/03/30(金) 17:09:09.54 ID:CAP_USER
    http://www.foodnews.co.kr/news/photo/201803/66232_21665_5756.jpg
    ▲韓国食糧安保研究財団は28日、韓国プレスセンターで「唐辛子の利用歴史」を主題に第21回食糧安保セミナーを開催した。写真は討論者たち。

    韓国人の食生活に欠かせないコチュジャン、キムチを作る時に使う唐辛子(コチュ)は壬辰倭乱の時、日本から伝来したというのが学界の定説だ。しかし、韓国食品研究院長だったクォン・テヨン博士はこの定説をひっくり返す主張をして昨年には『唐辛子伝来の真実』という本まで出した。

    学界の一角で唐辛子伝来の定説をひっくり返す主張が出ているにもかかわらず、これに対する学問的反論や討論は探しても見つからない。これにイ・チョルホ高麗大名誉教授が率いる韓国食糧安保研究財団は28日、韓国プレスセンターで「唐辛子利用の歴史」を主題に第21回食糧安保セミナーを開催した。この日のセミナーは食品ジャーナルをはじめ食品専門メディアの後援で開かれた。

    「唐辛子は我が国から日本に行ったという記録が多い」

    クォン・テヨン博士はチョ・ジェソン慶煕大名誉教授が座長をつとめる『唐辛子伝来の真実』に関する主題発表を通じて「唐辛子は壬辰倭乱の時、日本を通じて我が国に入ってきたという記録はただ一つもない」と断言した。それと共に「文献学的にも壬辰倭乱以前の数多くの文献に唐辛子とキムチ、コチュジャンに関する記録が出てきて、唐辛子が我が国から日本に入ったという記録も多い」と説明した。

    クォン博士は「生物学的に結論を下せば、我が国の唐辛子は長くて何百万年前から、短くて何十万年前から私たちの唐辛子であった」と話した。

    クォン博士はこのように誤った説が広がった経緯について、まずイ・ソンウ元漢陽大教授(食文化学者)を取り上た。イ教授の論文『唐辛子の歴史と品質評価に関する研究』で「唐辛子を遠い昔から私たちの民族が食べてきたとよく勘違いしている」とし、「...日本を通じてこの土地に入ってきたと言っても良いようだ」という内容が出てくるからだ。

    クォン博士はまた、「中南米では多様な唐辛子が野生でも育っており、東洋では多様な唐辛子が栽培されていないといって唐辛子の原産地が中南米と主張する人がいる。これはある程度妥当性があると見られるが、必ずしも科学的な根拠に基づくと見ることはできない」と話した。

    ただし「インド、中国、韓国などアジアでは中南米とは違い、国別に数種の唐辛子が集中栽培されているが、これは数千年前から、その唐辛子に合う食べ物が発達したからで、すなわち、食品学的な必要によりその食品に合う唐辛子が栽培されているのを見れば、多様な品種を栽培するよりは一二個の品種を集中的に栽培した結果と見られる」と主張した。

    クォン博士は「結論から言って遺伝学的に唐辛子が我が国に入ってきて進化し、私たちの唐辛子になるには数百万年かかり、農耕学的に唐辛子が壬辰倭乱の時に入ってきて我が国全土で栽培されたなら数百年かかる。食品学的に私たちの唐辛子品種でコチュジャンとキムチが同時に発見され、全国で知られる代表食品に発展するには数千年かかる上、科学的な事実の側面では唐辛子系統樹の図を見ればメキシコ唐辛子は我が国の唐辛子よりはるかに後に進化したものであるからメキシコの唐辛子が我が国の唐辛子に進化することは有り得ない」と主張した。

    しかし、シン・ドンファ全北大名誉教授が座長をつとめて行われた総合討論で、討論者らはクォン博士の主張に一理はあるといいながらも100%否定も肯定もせず、さらに多くの研究が必要という意見が支配的だった。
    (後略:各専門家の意見)

    カン・テイル記者

    ソース:食品ジャーナル(韓国語) 「唐辛子、壬辰倭乱の時日本で伝来」定説ひっくり返るだろうか?
    http://www.foodnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=66232

    前スレ:https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1522335568/
    ★1の立った時間:2018/03/29(木) 23:59:28.91

    引用元: ・【韓国】 「唐辛子は壬辰倭乱で日本から伝来」という定説、ひっくり返るか?~「韓国の唐辛子は数百万年前から韓国で自生」説★2[03/29]

    【【韓国】 「唐辛子は壬辰倭乱で日本から伝来」という定説、ひっくり返るか?~「韓国の唐辛子は数百万年前から韓国で自生」説★2[03/29] 】の続きを読む

    1: ダーさん@がんばらない ★@無断転載は禁止 2017/09/12(火) 10:33:48.09 ID:CAP_USER
    <チョン・ジョンヨン作家の「文学で学ぶ韓国の歴史」> 1592年壬辰倭乱当時、晋州城の戦いで飛行機が飛んだ。

    「北朝鮮、6回目の核実験」強行...韓半島の危機は最高潮」

    2017年9月、最初の週末、このようなニュースがニュースのトップ記事を飾った。青い秋の空に入道雲が咲くが、相次ぐ北朝鮮のミサイル挑発のために、大韓民国の青空はなんとなく暗雲が立ち込めている。さらに、雲の中を飛ぶ最新の戦略兵器まで... ... 。

    空、飛行機!

    人々は古くから空を飛びたかった。ギリシャ神話にイカロスという人物が登場する。ダイダロスとイカロスは金持ちの抑圧を避けるためにクレタ島から脱出することに心を決め、鳥の羽と蜜蝋を用いて翼を作る。イカロスは太陽の近くに飛び立ったが、海に落ちて死んでしまう。人間のこのような欲望は、現代まで続いた。レオナルド・ダ・ヴィンチの「艇」、フランスのモンゴルフィエ兄弟の「熱気球」、ライト兄弟の「フライヤー号」まで... ... 。最近、私たちの空にも数多くの飛行機が飛び回る。

    「死の白鳥」の異名を持つB-1B

    ステルス性能に優れ、敵防空網を突破して作戦遂行が可能なF-35B

    優れた「目」と強力な「打撃」で韓半島全域をカバーすることができるF-15K

    最新鋭の飛行機が韓国を守るということで安心だが、私たちの空を守る飛行機がすべて「made in USA」ということを考えると胸が少し苦しい。しかし、四百年以上前に壬辰倭乱の時、私達の空には、私たちの飛行機が飛んだ。

    壬辰史を書いた「倭史記」には、「飛車のために日本軍が作戦を展開するのに大変苦労した。」と伝えている。強大な日本軍を苦しめた飛車!飛車は風に乗って空中を飛び回り浮かんでいる。まさに朝鮮の空を飛んだ飛行機だった。

    慶尚道の城が敵国に包囲されるとすぐに城主と親しい人が飛車を製作して30里を飛んで倭敵を避けた。

    - 朝鮮後期の実学者シン・ギョンジュン(1712年~1781年)の<旅庵全書> -

    その機械は、ひたすらヒンジを左右に動かしながら接続されて伸縮し、互いに運行し、空気中で風を起こしながら両翼がはためき、明らかに浮かんで鋭い風と大気の上でもその勢いを阻止できなかったはずだから、これはすなわち氣で機械を動かして、新しい鳥としての方法をしていたので考えでは可能であるといえる。

    <五洲衍文長箋散稿>、「飛車弁証説」の中で
    no title


    「飛車弁証説」を読んでみると、飛車は明らかに動力で動く飛行機であった。このようなものを調べるとき、多くの記録はありませんが、飛車があったのは明らかな事実と見ることができる。しかしそれ以来、飛車の記録を見つけることはできない。

    もし、どこかで飛車が発見されれば、人類の飛行の歴史を書き換えなければならないだろう。想像するだけでどれほど誇りで満たされることか!

    この物語にもっと関心を持った読者であれば、<晋州城よそれは飛車>、<飛車、空を飛ぶ」という本を推薦する。晋州城の戦いに関する歴史も学ぶことができ、飛車の製作方法、動作原理まで詳しく知ることができる。

    過去、我が民族の科学技術は世界的な水準だった。世界初の金属活字、天才科学者チャン・ヨンシルまで... ... 、しかも朝鮮中期に、このような飛行技術まで保有したというから驚かざるを得ない。しかし、今日の現実は以前と違いすぎる。韓国の医学、科学分野のノーベル賞受賞者はまだ一人も出ていない。先祖の業績に迷惑をかけるほどではないが、少し恥ずかしい気がする。

    筆者は一人でこのような想像をしてみた。もし、このような技術をさらに発展させて近・現代まで続けてきたとすれば、今日、世界の中の韓国の地位はさらに高くなかっただろうかと想像してみる。

    ソース:デジタル経済 2017.09.09 20:26(韓国語)
    http://www.deconomic.co.kr/news/articleView.html/?idxno=22683

    引用元: ・【韓国】1592年壬辰倭乱当時、晋州城の戦いで飛行機が飛んだ[09/12] [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: LingLing ★@\(^o^)/ 2016/03/27(日) 00:14:16.80 ID:CAP_USER.net
    [カードニュース] たくあん(タンムジ)の根は韓国だった?

    昨日の夕方、ジャージャー麺を食べるのに「タンムジ」が目に入ったんですよ。
    「こいつはどうやってタンムジになったんだろう」ふと気になりましてね。
    それで、タンムジの由来について、カードニュースで解いてみることにしました。

    予想はしましたね、「かつて幼い頃タクワンと呼んだから確かに日本に由来する
    だろう」とね。

    ところで、面白いのはタンムジが僧侶(タクアン)の名前から由来されるという事実
    です。日本の史学者ホギウラノキオ(萩生田憲夫?)の「タクアン僧侶と春雨庵」
    で紹介されたタンムジの誕生背景はこうです。

    戦国時代、地方の領主たちの地域争いで戦争が起きました。住民らは戦争に
    振り回され、おかずもなくおにぎりで食事を間に合わせることが多かったのです。

    この姿を切なく見ていたタクアン僧侶は、日ごろからつましい生活を実践しようと
    よく食べていた「ムチャンジ(※大根の塩漬けみたいなもの)」を住民に分け
    与えることになります。

    これを食べてみた徳川家光将軍はその場で、ムチャンジの食べ物をタクアン僧侶
    の名前をつけ「タクアン(たくあん)」と呼ぶことにしたそうです。

    タクアンを漢字で書くとテックアム(澤庵)となりますが、僧侶が韓国人だという説も
    あります。

    日本の古書である「高僧大徳伝(?)」を見ると、テックアム(タクアン)が、
    高句麗の僧侶だと明らかにしています、また一方では、朝鮮時代の壬辰倭乱時、
    日本に渡ったテクッアム(澤庵:1573~1645年)僧侶という説もあります。

    それでは、白い大根で作ったタンムジはどうして黄色になったのでしょうか?
    タンムジは大根を酢に漬けて作られるが、この黄色はクチナシ水で水を入れます。
    なぜならそれは陰陽五行説のためです。

    昔から東洋では人体の五行と一致する食べ物(白、黒、赤、黄、青の五つの色)
    を食べると健康になると信じました。白、黒、赤、青の食品は手に入れ易かったが、
    黄色はそうではなかったんです。タンムジを黄色に染めた理由がここにあります。

    一方、タンムジを解き明かして驚いた事実の一つは、カロリーがすごく高いということ
    でした。1人分カロリーがなんと348カロリー。ご飯一膳より高いという事実。ジャー
    ジャー麺1人分が700カロリーだから(しくしく~)私は同日、1千カロリーを吸収した
    わけですね。

    ソース 中都日報(韓国語) 2016-03-25 14:35
    http://www.joongdo.co.kr/jsp/article/article_view.jsp?pq=201603250073

    引用元: ・【食文化】 たくあんの根は韓国だった?澤庵は韓国人だという…高句麗僧侶説と壬辰倭乱時に日本へ渡った僧侶説[03/27]

    【常に背乗りしようと身構えてる。【食文化】 たくあんの根は韓国だった?澤庵は韓国人だという…高句麗僧侶説と壬辰倭乱時に日本へ渡った僧侶説[03/27]】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/09/12(土) 10:45:39.39 ID:???.net
    no title


    光州(クァンジュ)大学は11日、「学校学生軍事教育団(訳注:写真にROTCとあり、これは「予備
    役将校訓練課程」で将校を養成するための教育課程のことと考えられる)が候補生の見聞拡大お
    よびグローバル時代の優秀人材育成のために日本国内の壬辰倭乱(文禄の役)・丁酉災乱(慶長
    の役)遺跡などを見回る海外軍事文化探訪を実施した」と明らかにした。

    ウン・ソンス学軍団長をはじめ軍事学教授2人と学軍士官候補生25人が参加した今回の海外軍
    事文化探訪は4泊5日の日程(9月4~8日)で、△朝鮮通信使碑△壬辰倭乱出兵基地であった
    名護屋城跡△陶工、李参平を祀った有田陶山神社などを訪問した。

    この他にも過去の日本海軍と自衛隊の資料がある海上自衛隊佐世保資料館および長崎原爆資
    料館、平和公園などを見学した。

    キム・ジンファン(サイバー保安警察学科4年)候補生は「壬辰倭乱と丁酉災乱当時、捕えられて帰
    ってこられない方々と日本の原爆投下の時、死んだ罪のない我が国の人々がたくさんいることを
    知って驚いた」とし、「これから、このような歴史的事実を広く知らしめるべきだとの考えを持つよう
    になった探訪だった」と話した。

    光州=ホン・キチョル

    ソース:マネーウィーク(韓国語) 光州(クァンジュ)大学区団、日本壬辰倭乱遺跡探訪
    http://www.moneyweek.co.kr/news/mwView.php?no=2015091116078054840

    引用元: ・【韓国】 光州大学学生軍事教育団、壬辰倭乱の遺跡等探訪~候補生「これから歴史的事実を広く知らしめたい」[09/11]

    【ファンタジーとヒストリーは違うぞ【韓国】 光州大学学生軍事教育団、壬辰倭乱の遺跡等探訪~候補生「これから歴史的事実を広く知らしめたい」[09/11]】の続きを読む

    1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/01/06(火) 12:16:42.11 ID:???.net
    「資治通鑑綱目」完本の発見に学界が揺れた。朝鮮第4代国王の世宗時代に経筵(国王の教養講義)で使用された「資治通鑑綱目」の
    完本59巻59冊が、中国上海図書館で発見された。

    国外所在文化財財団(以下、文化財財団)によると、10月に行われた上海図書館および復旦大学図書館所蔵の韓国典籍調査過程で
    これを確認したという。上海図書館の所蔵本は1420年に作られた銅活字「庚子字」で刊行された版本。

    文化財財団は「朝鮮で初めて刊行された版本であるうえ、同一の印刷本の伝来が珍しい貴重な書物という点で意味が大きい」と評価した。
    国内には国立中央図書館、清州古印刷博物館、ソウル大奎章閣韓国学研究院、湖林博物館などに庚子字本の資治通鑑綱目があるが、
    1、2冊または5冊など一部だけが伝えられている。

    印章(蔵書印)を分析した結果、これは世宗当時に経筵で使用され、壬辰倭乱で日本軍に略奪された後、上海図書館に所蔵されたことが
    分かった。

    文化財財団は「韓日中3カ国を行き来した資治通鑑綱目の流浪史から、我々の文化財が体験した痛みを確認することができた」とし
    「上海図書館と復旦大学図書館で計252種・1768冊の韓国典籍を調査し、この過程で朝鮮時代の多様な金属活字本など貴重な典籍
    があることを確認した」と明らかにした。調査の結果は整理と補完研究を経て、来年、報告書として出す予定だ。

    ソース:中央日報 2015年01月05日16時54分
    http://japanese.joins.com/article/868/194868.html?servcode=400&sectcode=400
    「資治通鑑綱目」完本を発見(写真=韓国学中央研究院)
    http://japanese.joins.com/upload/images/2015/01/20150105165447-1.jpg

    引用元: ・【韓国】壬辰倭乱で日本軍に略奪された「資治通鑑綱目」完本発見、我々の文化財が体験した痛みを確認できた[01/06]

    【では,支那に返還要求しなさい。 【韓国】壬辰倭乱で日本軍に略奪された「資治通鑑綱目」完本発見、我々の文化財が体験した痛みを確認できた[01/06]】の続きを読む

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