まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:壬辰倭乱

    1: まぜるな!キケン!! 2019/04/16(火) 10:13:28.00 ID:CAP_USER
     韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は15日、韓国軍の将官昇進申告式で、軍に対し「切歯腐心」(歯ぎしりして悔しがること)の精神を持てと7回強調した。文大統領は、植民地や第2次大戦、6・25(朝鮮戦争)などの歴史に言及し「結局は力がなければ平和を成し遂げられない」として戦時作戦統制権(統制権)や北朝鮮非核化の問題に触れた。ただし、誰を相手に「切歯腐心」せよというのかは明言しなかった。このところ、米朝対話における仲裁者を自任していたものの米国・北朝鮮双方から「自分たちの側に立て」と迫られる状況になったことを受け、強い国防力の必要性を強調したものと解されている。

     文大統領は「われわれは終戦後70年近く、いまだに韓米同盟へ絶対的に依存し、独自の統制権も持てずにいる」「南北間の分断が克服された後も、世界最強の諸大国に囲まれているというのがわれわれの地政学的安全保障環境」だとして「今こそ、強い軍隊について切歯腐心する心構えを持ってほしい」と語った。「切歯、歯ぎしりし、腐心、胸に刻み」と言葉の意味まで説明した。

     文大統領は「南北間の対話を通して南北関係を改善し、北朝鮮の核も対話と外交を通して解決すべきだと考えているが、対話を通した解決も、強い力があってこそ初めて成功し得る。その主役が皆さんだ。使命感と責任感を持ってほしい」と語った。

     さらに文大統領は壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)、丙子胡乱(後金および清の朝鮮侵略)などにも言及し「あのようなことに直面したら、それこそ切歯腐心すべきではないか。それができずに、結局われわれは国を失った」「植民地を経験し、第2次大戦の終戦で解放されたが国は南北に分断され、分断された南北の間で同族相争う戦争が起きた。国連軍の参戦でなんとか国を守ることができた」「そうして戦争が終わったならば、本当にわれわれは、今こそ自分たちの力で自分たちの国を守れる、そしてその力で分断も克服し、北東アジアの安定と平和まで成し遂げる、強い国防力を持つことに切歯腐心するのが当然だ」と語った。

    鄭佑相(チョン・ウサン)記者

    ソース:朝鮮日報/朝鮮日報日本語版<文在寅大統領、壬辰倭乱に言及し国防力の必要性を強調>
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/04/16/2019041680039.html

    引用元: ・【韓国】 文在寅大統領、壬辰倭乱に言及し国防力の必要性を強調~韓国軍の将官昇進申告式で[04/16]

    【主敵は日本【韓国】 文在寅大統領、壬辰倭乱に言及し国防力の必要性を強調~韓国軍の将官昇進申告式で[04/16] 】の続きを読む

    1: まぜるな!キケン!! 2019/04/06(土) 16:25:34.47 ID:CAP_USER
    no title

    ▲チョン・サムジョ詩人

    街路樹の桜の花がぱっと開き、通りごとに大騷ぎになる。見事な花祭りだ。この花祭りに数百回は参加すべきだろうと誓うかのように人々は花の下でそわそわする。美しい。豊かだ。

    数十万株にもなるという鎮海だけでなく、私たちの私的推薦も桜の花が多い。私的に推薦する桜の花の元祖格はどうしても泗川里(サチョンリ)城の桜だ。この桜の下で一日を飲酒・歌舞で楽しむ人々をすぐに思い出せるほど私たち地元の人々は泗川里城の桜が好きだ。

    今年も泗川里城一帯では桜祭りが開かれるという。この桜の花の豪華さと人々にあたえる喜びをしばらく後回しにしておいて、私たちの故郷、泗川里城に桜がどうして植えられることになったのかを考えてみれば、一方で苦々しい感じがするのを禁じ得ない。

    泗川里城に千本余りの桜を植えたのは日本人だという。その人は壬辰年倭乱後の丁酉災乱(慶長の乱)の時の1598年にこの泗川里城を防御して明国軍が主軸だった朝鮮と明国の朝明聨合軍をはね除け戦功をおさめた日人の子孫という。

    時は日帝強制占領期初期の1918年だと記録されている。1597年末頃、日人らは彼らの退路を心配してこの泗川里城一帯に城を築いて駐留することにしたという。恐らく周辺の多くの私たち国民が労役に動員され、彼らが計画した城なので当然、日本式城の倭城だった。この倭城の泗川里城を陥落するため、朝明聨合軍は倭軍の4倍ほどに当たる三万人以上だったが、不幸にも戦闘中、火砲の誤射による弾薬の爆発で混乱に陥って莫大な戦死者を残して敗退したという。

    この時死んだ朝明聨合軍の数が私たちの記録では八千人、倭人の記録では三万人という。この戦闘は壬辰倭乱の中で倭軍がおさめた代表的勝利とされる。そのせいか、過去の一時は日本の学生たちが我が国に修学旅でくる時、この泗川里城を訪れることがたびたびあった。泗川里城を復元しなければならないという理由の一つに日本観光客誘致の助けになるという人もいた。

    その日本学生や日本人観光客が何をしに泗川里城を訪れたのだろうか。彼らが勝った戦場を探して彼らの愛国心を鼓吹しようという意図ではなかったか。

    より一層理解できないことはこの泗川里城を復元すると言いながら倭城を復元したことだ。歴史の記録を調べれば、この泗川里城にはすでに高麗の時やそれ以前に築造した私たちの方法の土城があったという。その土城を基礎にして倭軍らが倭城を築いたのだ。

    その倭城により数多くの怨みの霊が飛び交うその場に、その怨みの霊を慰められなくとも莫大な税金を投じて、何故、倭城を築いた意図は何か。今も倭城の跡を消して派手でないかもしれないが、本来の土城形態を補完する方案を講じていかなければならないだろう。

    桜の花が日本人のどの様な精神を代弁するとしても、あえて遠ざける理由はない。それは日本人の事情であって、私たちはその桜の花を花以外の目的で使おうとする不純な意図にまきこまれてはならないという考えを泗川里城の悲劇と共に思い出してみる。

    記者注:泗川の戦い(しせんのたたかい)は、文禄・慶長の役における合戦の一つ。絶望的な戦力差があったにもかかわらず、劣勢な島津軍が勝利した伝説的な戦い(Wikipedia)。

    ソース:ニュース泗川(韓国語) [イニャンマルリ]桜の花を見て泗川里城を考えるということ
    http://www.news4000.com/news/articleView.html?idxno=31459

    引用元: ・【韓国】 桜の花を見て思う壬辰倭乱~勝った倭人の子孫が泗川里城に桜を植えたワケ[04/04]

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/03/30(金) 17:09:09.54 ID:CAP_USER
    http://www.foodnews.co.kr/news/photo/201803/66232_21665_5756.jpg
    ▲韓国食糧安保研究財団は28日、韓国プレスセンターで「唐辛子の利用歴史」を主題に第21回食糧安保セミナーを開催した。写真は討論者たち。

    韓国人の食生活に欠かせないコチュジャン、キムチを作る時に使う唐辛子(コチュ)は壬辰倭乱の時、日本から伝来したというのが学界の定説だ。しかし、韓国食品研究院長だったクォン・テヨン博士はこの定説をひっくり返す主張をして昨年には『唐辛子伝来の真実』という本まで出した。

    学界の一角で唐辛子伝来の定説をひっくり返す主張が出ているにもかかわらず、これに対する学問的反論や討論は探しても見つからない。これにイ・チョルホ高麗大名誉教授が率いる韓国食糧安保研究財団は28日、韓国プレスセンターで「唐辛子利用の歴史」を主題に第21回食糧安保セミナーを開催した。この日のセミナーは食品ジャーナルをはじめ食品専門メディアの後援で開かれた。

    「唐辛子は我が国から日本に行ったという記録が多い」

    クォン・テヨン博士はチョ・ジェソン慶煕大名誉教授が座長をつとめる『唐辛子伝来の真実』に関する主題発表を通じて「唐辛子は壬辰倭乱の時、日本を通じて我が国に入ってきたという記録はただ一つもない」と断言した。それと共に「文献学的にも壬辰倭乱以前の数多くの文献に唐辛子とキムチ、コチュジャンに関する記録が出てきて、唐辛子が我が国から日本に入ったという記録も多い」と説明した。

    クォン博士は「生物学的に結論を下せば、我が国の唐辛子は長くて何百万年前から、短くて何十万年前から私たちの唐辛子であった」と話した。

    クォン博士はこのように誤った説が広がった経緯について、まずイ・ソンウ元漢陽大教授(食文化学者)を取り上た。イ教授の論文『唐辛子の歴史と品質評価に関する研究』で「唐辛子を遠い昔から私たちの民族が食べてきたとよく勘違いしている」とし、「...日本を通じてこの土地に入ってきたと言っても良いようだ」という内容が出てくるからだ。

    クォン博士はまた、「中南米では多様な唐辛子が野生でも育っており、東洋では多様な唐辛子が栽培されていないといって唐辛子の原産地が中南米と主張する人がいる。これはある程度妥当性があると見られるが、必ずしも科学的な根拠に基づくと見ることはできない」と話した。

    ただし「インド、中国、韓国などアジアでは中南米とは違い、国別に数種の唐辛子が集中栽培されているが、これは数千年前から、その唐辛子に合う食べ物が発達したからで、すなわち、食品学的な必要によりその食品に合う唐辛子が栽培されているのを見れば、多様な品種を栽培するよりは一二個の品種を集中的に栽培した結果と見られる」と主張した。

    クォン博士は「結論から言って遺伝学的に唐辛子が我が国に入ってきて進化し、私たちの唐辛子になるには数百万年かかり、農耕学的に唐辛子が壬辰倭乱の時に入ってきて我が国全土で栽培されたなら数百年かかる。食品学的に私たちの唐辛子品種でコチュジャンとキムチが同時に発見され、全国で知られる代表食品に発展するには数千年かかる上、科学的な事実の側面では唐辛子系統樹の図を見ればメキシコ唐辛子は我が国の唐辛子よりはるかに後に進化したものであるからメキシコの唐辛子が我が国の唐辛子に進化することは有り得ない」と主張した。

    しかし、シン・ドンファ全北大名誉教授が座長をつとめて行われた総合討論で、討論者らはクォン博士の主張に一理はあるといいながらも100%否定も肯定もせず、さらに多くの研究が必要という意見が支配的だった。
    (後略:各専門家の意見)

    カン・テイル記者

    ソース:食品ジャーナル(韓国語) 「唐辛子、壬辰倭乱の時日本で伝来」定説ひっくり返るだろうか?
    http://www.foodnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=66232

    前スレ:https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1522335568/
    ★1の立った時間:2018/03/29(木) 23:59:28.91

    引用元: ・【韓国】 「唐辛子は壬辰倭乱で日本から伝来」という定説、ひっくり返るか?~「韓国の唐辛子は数百万年前から韓国で自生」説★2[03/29]

    【【韓国】 「唐辛子は壬辰倭乱で日本から伝来」という定説、ひっくり返るか?~「韓国の唐辛子は数百万年前から韓国で自生」説★2[03/29] 】の続きを読む

    1: ダーさん@がんばらない ★@無断転載は禁止 2017/09/12(火) 10:33:48.09 ID:CAP_USER
    <チョン・ジョンヨン作家の「文学で学ぶ韓国の歴史」> 1592年壬辰倭乱当時、晋州城の戦いで飛行機が飛んだ。

    「北朝鮮、6回目の核実験」強行...韓半島の危機は最高潮」

    2017年9月、最初の週末、このようなニュースがニュースのトップ記事を飾った。青い秋の空に入道雲が咲くが、相次ぐ北朝鮮のミサイル挑発のために、大韓民国の青空はなんとなく暗雲が立ち込めている。さらに、雲の中を飛ぶ最新の戦略兵器まで... ... 。

    空、飛行機!

    人々は古くから空を飛びたかった。ギリシャ神話にイカロスという人物が登場する。ダイダロスとイカロスは金持ちの抑圧を避けるためにクレタ島から脱出することに心を決め、鳥の羽と蜜蝋を用いて翼を作る。イカロスは太陽の近くに飛び立ったが、海に落ちて死んでしまう。人間のこのような欲望は、現代まで続いた。レオナルド・ダ・ヴィンチの「艇」、フランスのモンゴルフィエ兄弟の「熱気球」、ライト兄弟の「フライヤー号」まで... ... 。最近、私たちの空にも数多くの飛行機が飛び回る。

    「死の白鳥」の異名を持つB-1B

    ステルス性能に優れ、敵防空網を突破して作戦遂行が可能なF-35B

    優れた「目」と強力な「打撃」で韓半島全域をカバーすることができるF-15K

    最新鋭の飛行機が韓国を守るということで安心だが、私たちの空を守る飛行機がすべて「made in USA」ということを考えると胸が少し苦しい。しかし、四百年以上前に壬辰倭乱の時、私達の空には、私たちの飛行機が飛んだ。

    壬辰史を書いた「倭史記」には、「飛車のために日本軍が作戦を展開するのに大変苦労した。」と伝えている。強大な日本軍を苦しめた飛車!飛車は風に乗って空中を飛び回り浮かんでいる。まさに朝鮮の空を飛んだ飛行機だった。

    慶尚道の城が敵国に包囲されるとすぐに城主と親しい人が飛車を製作して30里を飛んで倭敵を避けた。

    - 朝鮮後期の実学者シン・ギョンジュン(1712年~1781年)の<旅庵全書> -

    その機械は、ひたすらヒンジを左右に動かしながら接続されて伸縮し、互いに運行し、空気中で風を起こしながら両翼がはためき、明らかに浮かんで鋭い風と大気の上でもその勢いを阻止できなかったはずだから、これはすなわち氣で機械を動かして、新しい鳥としての方法をしていたので考えでは可能であるといえる。

    <五洲衍文長箋散稿>、「飛車弁証説」の中で
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    「飛車弁証説」を読んでみると、飛車は明らかに動力で動く飛行機であった。このようなものを調べるとき、多くの記録はありませんが、飛車があったのは明らかな事実と見ることができる。しかしそれ以来、飛車の記録を見つけることはできない。

    もし、どこかで飛車が発見されれば、人類の飛行の歴史を書き換えなければならないだろう。想像するだけでどれほど誇りで満たされることか!

    この物語にもっと関心を持った読者であれば、<晋州城よそれは飛車>、<飛車、空を飛ぶ」という本を推薦する。晋州城の戦いに関する歴史も学ぶことができ、飛車の製作方法、動作原理まで詳しく知ることができる。

    過去、我が民族の科学技術は世界的な水準だった。世界初の金属活字、天才科学者チャン・ヨンシルまで... ... 、しかも朝鮮中期に、このような飛行技術まで保有したというから驚かざるを得ない。しかし、今日の現実は以前と違いすぎる。韓国の医学、科学分野のノーベル賞受賞者はまだ一人も出ていない。先祖の業績に迷惑をかけるほどではないが、少し恥ずかしい気がする。

    筆者は一人でこのような想像をしてみた。もし、このような技術をさらに発展させて近・現代まで続けてきたとすれば、今日、世界の中の韓国の地位はさらに高くなかっただろうかと想像してみる。

    ソース:デジタル経済 2017.09.09 20:26(韓国語)
    http://www.deconomic.co.kr/news/articleView.html/?idxno=22683

    引用元: ・【韓国】1592年壬辰倭乱当時、晋州城の戦いで飛行機が飛んだ[09/12] [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: LingLing ★@\(^o^)/ 2016/03/27(日) 00:14:16.80 ID:CAP_USER.net
    [カードニュース] たくあん(タンムジ)の根は韓国だった?

    昨日の夕方、ジャージャー麺を食べるのに「タンムジ」が目に入ったんですよ。
    「こいつはどうやってタンムジになったんだろう」ふと気になりましてね。
    それで、タンムジの由来について、カードニュースで解いてみることにしました。

    予想はしましたね、「かつて幼い頃タクワンと呼んだから確かに日本に由来する
    だろう」とね。

    ところで、面白いのはタンムジが僧侶(タクアン)の名前から由来されるという事実
    です。日本の史学者ホギウラノキオ(萩生田憲夫?)の「タクアン僧侶と春雨庵」
    で紹介されたタンムジの誕生背景はこうです。

    戦国時代、地方の領主たちの地域争いで戦争が起きました。住民らは戦争に
    振り回され、おかずもなくおにぎりで食事を間に合わせることが多かったのです。

    この姿を切なく見ていたタクアン僧侶は、日ごろからつましい生活を実践しようと
    よく食べていた「ムチャンジ(※大根の塩漬けみたいなもの)」を住民に分け
    与えることになります。

    これを食べてみた徳川家光将軍はその場で、ムチャンジの食べ物をタクアン僧侶
    の名前をつけ「タクアン(たくあん)」と呼ぶことにしたそうです。

    タクアンを漢字で書くとテックアム(澤庵)となりますが、僧侶が韓国人だという説も
    あります。

    日本の古書である「高僧大徳伝(?)」を見ると、テックアム(タクアン)が、
    高句麗の僧侶だと明らかにしています、また一方では、朝鮮時代の壬辰倭乱時、
    日本に渡ったテクッアム(澤庵:1573~1645年)僧侶という説もあります。

    それでは、白い大根で作ったタンムジはどうして黄色になったのでしょうか?
    タンムジは大根を酢に漬けて作られるが、この黄色はクチナシ水で水を入れます。
    なぜならそれは陰陽五行説のためです。

    昔から東洋では人体の五行と一致する食べ物(白、黒、赤、黄、青の五つの色)
    を食べると健康になると信じました。白、黒、赤、青の食品は手に入れ易かったが、
    黄色はそうではなかったんです。タンムジを黄色に染めた理由がここにあります。

    一方、タンムジを解き明かして驚いた事実の一つは、カロリーがすごく高いということ
    でした。1人分カロリーがなんと348カロリー。ご飯一膳より高いという事実。ジャー
    ジャー麺1人分が700カロリーだから(しくしく~)私は同日、1千カロリーを吸収した
    わけですね。

    ソース 中都日報(韓国語) 2016-03-25 14:35
    http://www.joongdo.co.kr/jsp/article/article_view.jsp?pq=201603250073

    引用元: ・【食文化】 たくあんの根は韓国だった?澤庵は韓国人だという…高句麗僧侶説と壬辰倭乱時に日本へ渡った僧侶説[03/27]

    【常に背乗りしようと身構えてる。【食文化】 たくあんの根は韓国だった?澤庵は韓国人だという…高句麗僧侶説と壬辰倭乱時に日本へ渡った僧侶説[03/27]】の続きを読む

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