1: まぜるな!キケン!! 2019/10/15(火) 23:13:46.02 ID:CAP_USER
支配層の責任回避で最も厚かましい事例を挙げるなら、日本の無条件降伏後、米軍第1陣が日本に上陸した1945年8月28日、当時の東久邇宮 稔彦(ひがしくにのみや なるひこ)総理が発表した「1億総懺悔論」が挙げられる。

「事ここに至ったのは、もちろん政府の政策がよくなかったからであるが、また国民の道義のすたれたのも(敗戦の)原因の一つである。 一億総懺悔こそ国家再建の第一歩であり、団結の第一歩だと信ずる。」

最終的にはヒロヒト(裕仁)天皇が負うべき侵略戦争の責任を薄めるもので、これについて日本歴史小説家・半藤一利はみんなが悪かったので互いに責めるのは止めよう、という「適当主義」に帰結し、天皇に対する処罰の障害物として機能したと批判する。

著名な政治思想家ハンナ・アーレントもナチ崩壊後、ドイツの一角で提起された、「ドイツ人全体の罪」という呼び掛けに同じ批判をした。「私たちみんなに罪がある」という声はドイツ人という集団のうち、実際に罪を犯した個人を隠すだけだ、という。

ヒロヒトの「罪」を薄める作業に知識人も加担した。代表的な人物が「任那日本府説」を操作するなど朝鮮植民史学を作った律田左右吉だ。彼は1946年4月に発表した「建国の事情と万世一系の思想」という論文を通じて「1億総懺悔論」をさらに精巧にした。

要約する以下の通り。「日本を誤った道に導いたことは『多数の国民』にその責任がある。皇室は時代の傾向の変化に順応し、その時その時の政治形態に適合したが、国民はそうではなかった。国民は為政者に国家を任せ、結局、彼らによって国家が窮地に陥ったので天皇を非難するのではなく、むしろ国民が自ら反省しその責任を負わなければならない。」

チョ・グク法務部長官の辞退に対するムン・ジェイン大統領の「弁」はこのような責任回避の典型だ。「チョ・グク事態」で私たちの社会が大きな産みの苦しみを味わったことについて、国民に恐縮しているとしながらも、本来チョ長官任命を押し切ることによってその陣痛を引き起こした自身の「根源的」責任については口を閉ざした。

特にメディアが信頼を受けるように自分の改革のために努力してほしいとし、メディアに矛先を転じたことは日本の為政者の「国民のせい」の「ムン・ジェイン・バージョン」というに値する。

チ ン・ギョンフン論説委員
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ソース:毎日新聞(韓国語) [オイ姑と嫁]文の責任回避
http://mnews.imaeil.com/NewestOpinion/2019101418533580098

引用元: ・【韓国】 文大統領の責任回避、「国民のせい」にした日本の為政者の様だ[10/15]

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