1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2016/10/04(火) 23:37:56.08 ID:CAP_USER
韓ベ平和財団の初代理事長カン・ウイル司教
2002年済州教区担当して「4・3事件」の真相に関心
「国民に仕えるべき国家が虐殺」に衝撃
「ベトナム戦争当時の民間人に対する蛮行」も同じ文脈
「我々が先に懺悔すべき」との財団の趣旨に共感
「真心伝えると、ベトナム人も応えてくれる」
政府レベルの謝罪が「人間としての道理」
「歴史を振り返ってみると、これまで私たちは外勢に絶えず侵略され、踏みにじられ、人権を奪われて生きてきました。そうした経験を持った私たちも、似たような過ちをベトナム人に犯したということを認識して謝罪する時、日本や他の国が私たちに犯した罪に対して謝罪しろと叫ぶ資格が生まれるのではないでしょうか」
2日、済州(チェジュ)市我羅(アラ)洞のカトリック済州教区司教館で会ったカン・ウイル司教(済州教区長)は、このように語った。カン司教は先月19日、ソウル市NPO支援センターで開かれた「韓ベ(トナム)平和財団」創立総会で初代理事長に推戴された。
済州教区長カン・ウイル司教=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社
韓ベ平和財団はベトナム戦争当時、韓国軍による戦時暴力問題の解決に努めると共に、ベトナム人被害者らの支援と韓国の参戦軍人らの苦しみを癒し、平和の道を切り開いていこうという趣旨に賛同した各界の要人によって創立された。
カン司教は「ベトナム戦争について聞いたことはあったが、済州島に移り住んでから、より直接的に関心を持つようになった」と話した。彼にとって韓国軍によるベトナム戦争での民間人虐殺は、済州4・3事件当時の民間人虐殺と相通じるものがある。だから、彼は済州島に来た知人たちに、観光地だけではなく、必ず済州4・3坪化公園に行って、知られざる4・3事件の悲劇的な歴史を勉強するように勧める。
「済州に来る前には4・3について少しばかり聞いただけで、これがどのような事件であり、済州道民たちにどのような影響を及ぼしたかについて、あまり知りませんでした。済州島に来てから、道民に会って史料を調べてみて、歴史にこのようなことが繰り返されてはならないと強く思うようになりました」
2002年10月済州教区長に赴任したカン司教が目の当たりにした4・3の真相は、まさに衝撃的なものだった。彼は「最も大きな衝撃は、国家が国民を無残にも犠牲にしたということだ。単純な論理で、済州道民はアカで、済州島はアカの島と見做し、『根絶せよ』、『根を絶つべきだ』という上部の指示で、手段と方法を問わず鎮圧に乗り出した。結局は、済州道民を同じ国民と認めず、アカという理念の物差しだけで判断し、無差別に虐殺した」と指摘した。
最近、4・3に対する米国の責任を問う請願運動に参加し、米国を訪れたカン司教は「国家の存在理由は、国民の生命を保護し、国民に仕えるため」とし、「ところが主客転倒し、4・3当時の国家指導者たちの理念の下、数多くの国民をを殺戮したのは、国家が犯した犯罪行為」だと強調した。
カン司教の4・3に対する歴史認識はベトナム戦争にもつながる。彼は歴史の洞察を通じて反省し、前に進むことを注文した。カン司教は「韓国でも長い間日本軍慰安婦問題が認識されず、無視されつづけていたものの、一人のハルモニ(おばあさん)が証言し始めてから、次第に国民的歴史認識に拡大していったように、ベトナムもそうなる可能性がかなり高い」との見通しを示した
「相手からの批判され、謝罪を要求される前に、誰かが自発的にベトナム人に謝罪と連帯の姿勢を表明すべきではないだろうか」と語ったカン司教は、「そうしたことを行ってきた方々の考えに共感するという意味で会ったら、理事長を引き受けてくれるよう頼まれて断れなかった」としながら笑った。
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/25315.html
(>>2以降に続く)
2002年済州教区担当して「4・3事件」の真相に関心
「国民に仕えるべき国家が虐殺」に衝撃
「ベトナム戦争当時の民間人に対する蛮行」も同じ文脈
「我々が先に懺悔すべき」との財団の趣旨に共感
「真心伝えると、ベトナム人も応えてくれる」
政府レベルの謝罪が「人間としての道理」
「歴史を振り返ってみると、これまで私たちは外勢に絶えず侵略され、踏みにじられ、人権を奪われて生きてきました。そうした経験を持った私たちも、似たような過ちをベトナム人に犯したということを認識して謝罪する時、日本や他の国が私たちに犯した罪に対して謝罪しろと叫ぶ資格が生まれるのではないでしょうか」
2日、済州(チェジュ)市我羅(アラ)洞のカトリック済州教区司教館で会ったカン・ウイル司教(済州教区長)は、このように語った。カン司教は先月19日、ソウル市NPO支援センターで開かれた「韓ベ(トナム)平和財団」創立総会で初代理事長に推戴された。
済州教区長カン・ウイル司教=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社
韓ベ平和財団はベトナム戦争当時、韓国軍による戦時暴力問題の解決に努めると共に、ベトナム人被害者らの支援と韓国の参戦軍人らの苦しみを癒し、平和の道を切り開いていこうという趣旨に賛同した各界の要人によって創立された。
カン司教は「ベトナム戦争について聞いたことはあったが、済州島に移り住んでから、より直接的に関心を持つようになった」と話した。彼にとって韓国軍によるベトナム戦争での民間人虐殺は、済州4・3事件当時の民間人虐殺と相通じるものがある。だから、彼は済州島に来た知人たちに、観光地だけではなく、必ず済州4・3坪化公園に行って、知られざる4・3事件の悲劇的な歴史を勉強するように勧める。
「済州に来る前には4・3について少しばかり聞いただけで、これがどのような事件であり、済州道民たちにどのような影響を及ぼしたかについて、あまり知りませんでした。済州島に来てから、道民に会って史料を調べてみて、歴史にこのようなことが繰り返されてはならないと強く思うようになりました」
2002年10月済州教区長に赴任したカン司教が目の当たりにした4・3の真相は、まさに衝撃的なものだった。彼は「最も大きな衝撃は、国家が国民を無残にも犠牲にしたということだ。単純な論理で、済州道民はアカで、済州島はアカの島と見做し、『根絶せよ』、『根を絶つべきだ』という上部の指示で、手段と方法を問わず鎮圧に乗り出した。結局は、済州道民を同じ国民と認めず、アカという理念の物差しだけで判断し、無差別に虐殺した」と指摘した。
最近、4・3に対する米国の責任を問う請願運動に参加し、米国を訪れたカン司教は「国家の存在理由は、国民の生命を保護し、国民に仕えるため」とし、「ところが主客転倒し、4・3当時の国家指導者たちの理念の下、数多くの国民をを殺戮したのは、国家が犯した犯罪行為」だと強調した。
カン司教の4・3に対する歴史認識はベトナム戦争にもつながる。彼は歴史の洞察を通じて反省し、前に進むことを注文した。カン司教は「韓国でも長い間日本軍慰安婦問題が認識されず、無視されつづけていたものの、一人のハルモニ(おばあさん)が証言し始めてから、次第に国民的歴史認識に拡大していったように、ベトナムもそうなる可能性がかなり高い」との見通しを示した
「相手からの批判され、謝罪を要求される前に、誰かが自発的にベトナム人に謝罪と連帯の姿勢を表明すべきではないだろうか」と語ったカン司教は、「そうしたことを行ってきた方々の考えに共感するという意味で会ったら、理事長を引き受けてくれるよう頼まれて断れなかった」としながら笑った。
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/25315.html
(>>2以降に続く)
引用元: ・【韓国】カン・ウイル司教「ベトナムの犠牲者に謝罪しなければ日本にも堂々と立ち向かえない」[10/04] [無断転載禁止]©2ch.net
【【韓国】カン・ウイル司教「ベトナムの犠牲者に謝罪しなければ日本にも堂々と立ち向かえない」[10/04] [無断転載禁止]©2ch.net 】の続きを読む