1: まぜるな!キケン!! 2019/04/10(水) 13:19:49.76 ID:CAP_USER
<キム・ドクス公州(コンジュ)大学校教授>
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現政権の反日感情の刺激が一線を越えてからかなり久しい。挙句の果てに京畿道(キョンギド)議会が、道内の小・中・高等学校が保有する20万ウォン以上の製品に、『戦犯企業』ステッカーを貼り付けるという。 いわゆる、『日本戦犯企業製品表示に関する条例案』の制定を推進するレベルにまで至ったのである。それが通過するか否かは未知数だが、その消息は既に日本人に広く知れ渡っている。自充手(駄目詰まり)にも程がある。

グローバル時代において100%の日本企業は存在しない。戦犯企業という日本企業も、その株主は世界の人々である。もしかすると、韓国人もその企業の株主かもしれない。もし、そのような企業に戦犯企業の汚名をつけたら、これらの企業の株主は韓国と国産製品についてどう思うのだろうか?左派の老害たちの呆れる無知に、これ以上発する言葉がない。

日本は決して軽く見る相手ではない。彼らは戦争や競争で負けると静かに承服し、言葉を慎む。 代わりに敗北の原因をじっくりと考え、刃を掴んで必ず報復に乗り出す。それが日本の特性である。いくつかの事例を見てみよう。

日本は甲申政変(1884年)の時に清国に侮辱を受けた。しかし彼らは10年間切歯腐心(ちょー悔しがる事)した後、日清戦争(1894年)で清を屈服させた。また日本は三国干渉(1895年)と俄館播遷(1896年)でロシアに詰められた。しかし10年後に起きた日露戦争(1905年)で彼らを完璧に撃破した。 その後、外勢を思惑通り(?)引き込んで以夷制夷(外国を利用して他国を抑える)戦術により、朝鮮の独立空間を作ろうとしていた高宗(コジョン)の外交権を余すことなく強奪した。のちの乙巳条約(第二次日韓協約)である。

これだけではない。日本は1945年8月6日と9日にアメリカの原子爆弾2発を連続で受けて降伏した。 彼らの話に従い、アメリカにアッサリ(あっさり)と承服した。このアッサリとは、『ケグッハゲ(綺麗さっぱり)』という意味である。

しかし彼らは克美への悲愁を胸に抱いた。アメリカに追い付くため、品質管理で名声が高かったアメリカの数理工学者であるデミング、ジュラン、ファイゲンバウム博士を迎え、彼らの教えを徹底的に受けた。こうして誕生したのがが豊田の看板方式、自動化、JIT(Just-In-Time)、業務標準化だった。日本はそれらを武器に、1980年代初めにアメリカ経済を焦土化させた。レーガン行政府が1985年のプラザ合意で円価値の人為的上昇を図らなければ、アメリカ経済は日本経済に押さえ付けられていただろう。

祖国光復を迎えてから75年という歳月が流れた。これまで我々は、「なぜ日帝から殖民地統治を受けなければならなかったのか?」対する真剣な内部反省と省察がない。ただ日帝から受けた精神的内傷を刃(実力養成)ではなく、口(反日感情)でだけ解消している。このまま行けばモンゴルに対する反モンゴル感情も台頭しかねない。 実力で押される時は、怒りを隠して内実を固めるの事が上策である。こうする事で最小限、未来も保障されるだろう。

今は我々自らで慰安婦と強制徴用者の痛みを抑え、克日の知恵を賢明に講じる時である。生半可な口は、緻密に準備された刃によっていつでも切られるからである。

ソース:忠清トゥデー(韓国語)
http://www.cctoday.co.kr/?mod=news&act=articleView&idxno=1202158

引用元: ・【韓国】「過度な反日感情の刺激は我々に毒である!」=キム・ドクス公州大学校教授[04/10]

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